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ゼミの発表からひとりひとりの学生の日ごろのようすがいろいろと垣間見えてくる

はじめに


 新年度の研究室での講読(ゼミナール、ゼミ)がはじまり、研究協力者(Visiting Associate(unpaid))として参加させてもらっている。この場に慣れていない新4年生が加わり、メンバーの変化から年度があらためて変わったとわかる。入れ替わり立ち替わり担当した回に順次発表するが、仕上がり状況は人それぞれだと感じる。

これは各々の学生に必須単位の演習であり、勉励かつ審査の場でもある。日ごろ温厚な先生方でもこの場はしっかり線引きして、「あるライン」を確保しようとなさる。

きょうはそんな話。

わたし自身も


 そういえば大昔になるが、大学4年のわたしは同様の「講読」をやった。担当教授から英語の原著論文を渡され、この日までに日本語でまとめた下書きを見せるようにと言われた。期日までに記したものを携え教授室へ。

そこで元の論文とともに照合しつつ、朱を入れてくださる。その何年かのちにこのけっこう手間のかかる作業を今度は自分がやることになるとは。さて、真っ赤に朱の入った訂正だらけのものを仕上げて、コピーを人数分+保存分1で当日配る。今はメールで添付して各自のもとへ。それを担当日に発表し、つぎつぎとくる質問に応える。

学生たちも


 質問は受けるばかりでなく、同級生や先輩方の発表時には質問する側にまわる。同級生たちの素朴な質問のほうが予期しない(できていない)だけに応えにくいもの。しどろもどろに応答する場合も。同級生のなかには、おかしいところが見つかり「来週までに調べておくように」と命じられることもそこそこあった。

先生方は、4年生の下書きはこうして温情で下見をしてくださるが、それですべてOKだったわけでない。本人たちの当日の発表のようすやまとめたレジュメの記述との整合性などから、あらたな質問すべきところがいくつか出てくるもの。

参考文献も


 渡された論文をひとつだけ読んでまとめるだけでは理解不足。論文中で引用される参考文献も主要なものに関しては目を通して把握しておくべき。なかにはキャンパス内になく、電車ではなれた別のキャンパスの図書館まで出向いてやっと入手できるものすらあった。たったの1語やフレーズの内容のわからないところを知るために、それだけ行動せねばならない。おかげでこの大学の各キャンパスのどこにどんな資料があり、ない場合にはどうやって入手すべきかなど把握できた。

つまり講読とは、研究に関するさまざまな所作をこなせるように身につけるため、もっとも手っ取り早い方法といえる。なにもかも自分ひとりでできるようにする必須の作業と言っていい。そんなゼミの作法を4年生の1年間で学び当該単位を習得した大学院生は、新年度のゼミで発表する論文探しから何もかも全部ひとりで行う。

人それぞれ


 毎年参加すると学生さんたちもさまざまだとわかる。1年間鍛えられるあいだでそれぞれの人となりがおのずと見えてくる。せっぱつまらないと取り掛からないタイプと、ひと月ほど前からじっくり取り組む性格の持ち主の両タイプ。最初はそのやり方やどのくらい手間や時間がかかるものなのか皆目見当すらつかない。

とりあえず1か月前には対象の論文を手渡し、本人がどうするか1週間ほどこちらは何も言わずに見ている。手が進まないようすが見受けられたらひと言アドバイス。あせりはじめるのは期間の半分になった頃。並行して実験技術や研究室のさまざまもひとつずつ覚える時期で、なかには就職試験なども重なる学生もいる。いずれも慣れないことばかりがつづく新4年生たちにとって何もかもたいへんな時期かもしれない。そこを若さで乗り越えてほしい。

おわりに


 こうして講読をつうじて、学生たちそれぞれの日ごろのようすがいろいろと見えてくる。わたしの当時の担当の教授は、そんなゼミや実験の様子からひとりひとりのようすを把握しつつ、それぞれに合いそうな卒論テーマをちょうどこの時期に与えていらした。

あらためて自分の卒論のテーマを見直すと、その特徴からそんなふうに自分が把握されていたんだと感じとれた。


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