運動嫌いなわけではないけれどこればかりは世代で受け継いで
はじめに
中学・高校と運動部、大学の体育の授業では講師の先生の相手をつとめた。そう記すと運動が得意なんだと思われそう。じつはその逆でどうしようもないほど運動は苦手なほう。
どうやら体を使い動き回ることは習得しづらい特性をもつ。自動車の免許もそうだった。生まれつきのようで致し方ない。とはいえ指先はわりと器用に使えて、細かい作業や何かはわりと最近までできた。
運動に関しては小学校でさまざまつらい思いをして一念発起。中学でせめてすこしでも体力をつけようと運動部に。
きょうはそんな話。
幼稚園に入る前から
これは以前に書いたが、幼稚園に入る前に小学校の運動会での話。なぜか4歳児ばかりの徒競走に出た。このとき以降、ぼくは足が遅いんだとはじめて気づいた。人家がまばらな郊外の長屋住まいで幼い弟や同い年のサリドマイド渦で腕の不自由な子とばかり遊んで、他の子とほとんど接したことがなかった。
徒競走とは何をすることなのかわからないまま、父が申し出て急遽参加。自分たちの順番がきた。どうやら合図のあと、この広い場所で遊んでいいらしい。こんな一方向ばかりへみんなどうして走っていくのだろうと思いつつ皆のあとを追いつつ、途中休みながらゆっくりゴール。まわりはなぜかわたしにむかって拍手してくれる。いやあ、まんざらでもないなと思いながら父のもとへ。かけっこデビューはこうして「勘違い」からはじまった。
水泳のシーズン
これから暑くなり泳ぎのシーズン。小学校の体育の授業はとくに気が重かった。水にもぐることはどうにかできたが、息継ぎがうまくいかない。ようやくコツをつかめるようになったのは中学になってから。
だが息継ぎはできてもどうもおかしい。同級生たちは泳いでさほど辛そうにしていないのに、ひとり毎回息が上がってしまう。高校では途中で気分が悪くなり途中で切り上げたほど。どうやらこれはのちに合点がいった。胸の肋骨の骨格がもともと狭く(胸郭が小さい)、肺を膨らませにくい。後に全身麻酔の手術前に知れたが、呼吸機能検査で基準に届かなかった。
運動のあとの呼吸や水泳の息継ぎがなかなかたいへんなのは、どうやらこのあたりに原因があったらしい。人がふつうにやるように運動しようとすれば、けっこう懸命にやらねばならないということ。もちろん高校の運動部では、それを補えないかと別途走る自主トレーニングをしていたが、まわりの理解はなかなか得にくいものだった。
もちろん他の皆さんたちもさまざま人知れず努力されて克服なさり、なにげなくされている方もおいでだろう。わたしもそうだろうと思い、自主練習をやったのだがなかなか胸郭を広げるまでには至れていない。
運転も
自動車の免許をとったのは30代半ば。これも苦労した。最初はマニュアル車の免許取得のつもりで自動車学校に通い始めた。坂道発進の回で、両手両足でそれぞれ違う操作をせねばならない段階でまったくうまくいかない。指導員からの勧めもありオートマ限定にやむなく変えた。おそらく車の運転に慣れた今ならば限定解除もできようが、いまさらマニュアル車に乗ることはまずないのでやらないでいるが。
同じ頃に入校した若い人たちはつぎつぎと卒業していくが、わたしは路上に出てからなかなか進歩が見られないまま。どうしても体が思うとおり動いてくれない。中学・高校で運動部に所属して訓練していなかったらもっと悲惨なことになっていたかもしれない。自分のからだをコントロールしながら動かすというところに難があるのは間違いない。だからこそ工夫でやりすごすしかない。
おわりに
運動部での活動のおかげで、自分の体力の限界を知れた。これは大きい。どこまでやっていいか、あるいはやってはいけないかのラインを明確にできた。それ以上はほぼまちがいなくけがを招いたり、のちに後遺症が出たりしかねない。
実際にそれにともない何度か病院通いを経験済み。己を知るということはこんなことも含むし、できる範囲を心得て6割ぐらいで余裕をもち行動するのがいいとわかる。だから人にも無理強いしないし、多様だと知れたおかげで習得にはそれぞれに合うペースがあるとわかった。
決して運動が嫌いなわけではないけれど、こればかりはわが身をふり返れば3世代で受け継いでいる。なるようにしかならないし、できる範囲で行動すればいいと今は落ち着いて考えられる。
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