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生魚を捌いたあとに薄い酢で手を洗うと匂いを落とせるとなぜ気づけなかったのだろう


はじめに


 化学者として末席にいて、大学で教育・研究のお手伝いをさせていただいている。家ではごくふつうに自炊し、燃やせるゴミの前日に魚をまるごと捌くことも。新鮮ならば気にならないにおいだが、解凍した魚は手ににおいが残りがち。そんなとき「うすい酢で手洗いすればいい」と知ったのはわりと最近。その理屈にはわりと納得だがなかなか実生活に活かせておらず、情けない。

きょうはそんな話。

手とあたまが鈍らぬように


 としを重ねると手もあたまも鈍るのは必定。すこしでも遅らそう、実験をせめて学生さんなみに捗らせようと思うと、日ごろの活動で維持するしかない。車をアイドリングさせるのに似ている。

それには料理がうってつけ。この作業は実験とよく似ている。段どりをまえもって頭に思い描き、材料や下ごしらえをやってからはじめるとスムーズにおこなえる。逆に泥縄式だとなかなかうまくいかない。

手先をうごかす


 もうひとつある。手先を使うこと。これにはけっこう細かくあたまを同時につかうことにつながる。指先の微妙な動きや操作はニンゲンにおいて最たるもの。おそらくこれを思いのまま若い時の状態で使いつづけられるとなにごともよさそう。それにもやっぱり家での料理。包丁をつかい魚を捌くとよりいまの自分の指や手の状態をつかみやすい。

これがおっくうになったり、思ったとおりに三枚におろせなくなったりしたら実験もできなくなる兆候だろう。そのときは正直申し出ようと思う。「もう思ったとおりに動きません」と。日ごろの職場での実験は、料理の実践のおかげか指先をふくめ思いの外、いまのところは動いてくれる。

ところが視力のほうが何ともならない。ちょうど電気泳動装置のコームでできたゲルの溝に、タンパク質溶液をピペットマンで流し入れるのは難なく操作できるのに、その操作のたびに眼鏡をはずさないと眼のまえのアクリルアミドゲルの溝の状態を確認できない。これは困りもの。やはりからだ全般整ってないと無理なのかと帰り道の車のなかですこし残念に思う。たしかに宇宙飛行士の応募の項目に視力があったなと思い出す。気力はあるのになとつづけて思う。

アルカリと酸で


 さて、料理で魚をさばく話にもどろう。冷凍のまるごとの小いわしに青のりをふりかけ、片栗粉をまぶす作業。面倒なのでまな板をつかい、きれいな手でおこなう。やはり素手でやるときれいにまぶせる。凍ったまま油を熱したフライパンにならべていき途中までふたをしてソテー。下味なしでもおいしい。

あまり気にしていないが、そののち外出したりヒトに会う予定があるときは生臭い魚の手のままではよくなかろうと思いはじめた。そうだためしてみようと先日何かで読んだとおりやってみた。洗っても手に残る生臭さを取るのに薄めた酢で洗うといいとあった。

そのとおりやってみたところほぼあっさりとれた。魚のにおいの多くはアミンのなかまで弱アルカリ性。なるほどそれを弱酸性の酢酸で中和することになりそう。どちらも若干皮膚の表面に残るだろうが、それでもやってみるとけっこう軽減できた。

おわりに


 化学者でありながら気づけていない。上で実験と料理の類似に触れながら、その一方で研究と生活をべつものと気づかぬまま線引してしまっている。これでは実生活でのアイデアを何も生まないだろう。何もとくべつなものである必要はない。

まだまだ化学の現象を身近な困りごとにもっと活かせるはず。学んで経験して身につけたことを、ふだんの生活のなかでもっと意識しようと思った。半世紀近く気づけないままだったことが半分くやしい。


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