賃貸住まいで思うこと:土のあるところがいいのはまちがいないのだが
はじめに
自宅持ちと賃貸住まい。その両方のメリットをいちどきにあわせもつのは基本的にむずかしい。そのひとつが土のある庭。もちろん賃貸でもベランダや室内で園芸をなさる方はいる。この場合には地球につながる土地の意味で。たまにそんな地面をやはりいいなあと感じる。
きょうはそんな話。
賃貸住まいで
長年の夢であったマイホーム。それを手にして20数年。とりあえず住みつづけることができた。ところが自然災害の危険エリアに指定され、やむなく安全な場所に移る。おなじ市内でも10キロ以上離れた街なかへの賃貸へとひっこし。
移り先に個人の庭はとうぜんのごとくない。離れた家にはまだそんなに大きくないオレンジの木。もはや実をつけるまでは世話はむずかしい。おそらくこの家と土地は危険なため手放すことになりそう。
かろうじて安全が確認できる日に学習サポートの教室として週に2度つかう。それもこの春まで。そののちはここに住みつづけた私のこどももここを離れてくらすという。もうじき住人はいなくなる。
さまざま育てた庭
離れた家の庭ではさまざまな草花を育てた。リストにするとこんなにあったのかというほど。それらのうち手のかからない宿根草や数本の果樹や常緑樹が残るぐらい。すこしずつ整理しつつある。
老いた父のあと6年ほど家から歩いたさきの丘の上の畑をつくっていた。ちいさなものが4つほど。そこでも通算で100種ほどのやさいをそだてた。土に触れる作業は苦にならないし時間をわすれてしまう。おだやかな気候ならばやればやっただけ作物はこたえて実りをあたえてくれる。
庭と畑と
それらの土のある場所からはなれて土のない生活へ。街なかのくらしは雨靴をそれほど必要としない。庭と畑を行き来していたころは逆に長靴で行き来するばかりだった。そのため長靴はもとの家に置いたまま。おとずれたときにたまにおこなう草刈りなどで履く。
同時に作業着もいつのまにか手放してしまった。はたけしごとの際には着古した長袖すがたが基本。それらももはや手もとにない。
あきらかに生活全般がいまと当時ではまったく異なる。畑や庭では空を見上げて、昼と夜の天気情報を欠かさず見ていた。それらの行動はもはや過去のもの。雨に対する意識がほんとうにうすくなったし、季節の変化や風向き、外気のしめりぐあいなどへの関心も薄まった。
おわりに
住処の賃貸マンションのおとなりは空き家。住人はいないまま。あまなつと数本の庭木が窓の外の風景となっている。これはやはりうれしい。年間通じてこうして窓のそとの緑の存在にほっとする。
部屋さがしの内見のときにこの窓外の木々の緑が決め手になった。ここにしようとあっさり決まった。緑や土をいまでもどこかにもとめているにちがいない。
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