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「竹取」と響き合う籠目歌|龍神の目覚め|令和の竹取物語#6

再び伊雜宮の話に戻ります。しばらくぶりなので、これまでに伊雜宮に関して投稿してきた内容を、ここで軽く整理しておきます。

江戸時代初期、内宮の別宮に位置付けられる伊雜宮を巡ってある事件が起こりました。事の発端は、伊雜宮の神官たちが「伊雜宮こそ真の日の宮であり、内宮は星の宮、外宮は月の宮である」と主張し、江戸幕府を相手に直訴したこと。この主張は伊勢三宮説として広まり、日本を揺るがす大騒動にまで発展しました。一連の出来事は「伊雜宮事件」などと呼ばれています。

朝廷と幕府は、伊雜宮が証拠として提出した書物「伊雜宮旧記」や、その後に出版された「先代旧事本紀大成経」をいずれも偽書として退け、事件は終息したかに見えました。

ところが、昭和30年。「伊勢三宮奉賛献灯会」という名の団体が、あたかも伊勢三宮説の復活を祈念するかのように、内宮の参道と伊雜宮周辺に無数の石灯籠を設置していきました。この灯籠には皇室の紋章とともに、なぜか六芒星が刻まれていました。

伊雑宮周辺に現存する、菊花紋と六芒星の石灯籠

私がこの伊勢三宮説を知る以前の2014年、愛知県東三河の石巻山の中腹にあった祠で六芒星が描かれた鏡を見て、どういうわけだかわかりませんが「六芒星について調べなければならない」という衝動が心の奥底から沸き起こり、その衝動に駆られるまま私は古代の謎の探求をはじめました。

そんな私にとって、六芒星の石灯籠と伊勢三宮説に出会うのは必然で、こうしてnoteにこれまで書いてきたような考察を進めてきました。一応「考察」という事にしておきますが、鍵となったのは実は思考よりも直観や一瞬の閃きがほとんどです。

伊雜宮では、竹取神事という祭りが古くから行われています。この祭りで特に象徴的なのが、太一と書かれた巨大なうちわを引き倒す行事です。太一は、ここ志摩地方では天照大御神の別名とされます。

竹取神事

この「竹取」という言葉からは、かぐや姫の竹取物語を連想します。事実、伊雜宮の謎と竹取物語には密接な関係があります。その裏には、第10代崇神天皇が大和の地で始めた「信仰に基づく国作り」と、それ以前から日本に住んでいた人々の、複雑に絡み合う思いと歴史が関係しているようです。

この謎は、尾張氏の祖神である天香山命アメノカグヤマ(別名:高倉下タカクラジの謎にもつながります。以下がその関連記事です。

命は“意の血”

ここまではまだ、古代日本の謎の氷山の一角に触れただけに過ぎません。

そもそも神話や神道についての謎解きの本質とはなんでしょうか。正解の存在しない謎に向き合い、何をもって“謎を解いた”と言えるのか。

その答えは、生きる道につながったと自信を持って言えるかどうかだと思います。

子々孫々、何千年と続く大きな流れの中で、先人たちは何を我々に託そうとしたのか、その思いを知り、継ぐこと。

解釈が“正しい”かどうかは、自分の魂だけが知っています。自分以外の誰に聞いてもそれが正しいかどうかはわかりません。正解は自分の内側だけにあります。探求の先に「これが自分の生きる意味であり、未来に託したいものだ」と言えるものが見つかった時、それが自分にとっての正解です。

「伊雑宮こそ真の日の宮」という主張。47名もの神官たちに命がけの直訴を決意させたほどの強い信念。暗殺されたとも噂される伊雑宮の中村兵太夫。

この事件の裏側にある真相はなんなのか。これはただの神社の存続という小さな話ではなく、奥底に、日本人のルーツと使命に関係する、とてつもなく深くて大きな地下水脈の流れが存在する、と私は感じます。

竹取物語と竹取神事に共通する「竹取」の意味

前回の記事で、次のように書きました。

実は、すでに明かすかどうか判断を迷っていることがあります。それは記事のタイトルにもしている竹取物語です。この「竹取」という二文字の言葉そのものが、尾張氏の霊統以上に重要なダブルミーニングの暗号である可能性に私は気付きました。

解釈の一つは明かしても特に問題なさそうなので、いずれ書きます。
しかしもう一つの方は、下手をすると悪用されかねない解釈です。ですので当面は私の中だけの秘密にしておくつもりです。

籠から竹かんむりを取ると龍になります。つまり竹取神事とは籠の中に囚われた龍を解き放つ鍵が隠された神事であり、竹取物語とは、饒速日命の時代から連綿と続く、我々日本人が龍を解き放つまでの現在進行形の物語と言えます。

したがって問うべきは

・龍とは何か?
・何に囚われているのか?

ですね。
龍や龍神とは何か。その答えもまた一つには定まらず、人それぞれ解釈が違うはずです。

例えば饒速日命の妻神である瀬織津姫は、龍神と同一視されます。この解釈も、それ自体は正解ではありません。昔の誰かにとって、その人が抱いている瀬織津姫のビジョンと龍のビジョンが自己の内側で重なりあった。そのビジョンに共鳴する人の数も多かったために「瀬織津姫=龍神」という言説が各地に広まっていった。

情報が各地に拡散しやがて極に達すると、共鳴する人は減っていく一方で、単なる知識としてさらに拡散していきます。

内発的な気付きがないままただ頭で覚え情報拡散する人が増えると、情報にどんどんノイズが混入していき、共鳴する人はさらに減り、下降線を辿ります。腐敗しきって土に還ったあと、そこからまた新たな気付きの芽が出てくる。ちょうど今がその芽が出始める時なのだと思います。

この「流れ」こそが龍であると解釈したほうが、より実像を捉えている、とは言えるのかもしれません。

ひふみ神示 春の巻 第1帖

新しき御代の始めのタツの年。スメ大神の生れ出で給ひぬ。皆々御苦労ながら、グルグル廻って始めからぢゃと申してあらうが。

始の始と始が違ふぞ。皆始めヒからぢゃ。赤児になりて出直せよ。ハラで見、ハラできき、ハラで話せよ。ハラには間違ひないのぢゃ。

祈りばかりでは祈り地獄、神から光いただけるようにみちつけねばならん。水は低きに流れるぞ。喜びに叶ふ心、喜びの行あるところ喜び来るのぢゃ。

喜びにも正しきと曲れるとあるぞ。無限段階あるのぢゃ。心して迷はんように致しくれよ。此処は光の理伝へ、行ふ所、教でないと申してあろう。教は教に過ぎん。理でなくては、今度はならんのぢゃ。天の理、地の理、もろもろの理、カタ早う急ぐぞ。教は局部的、時、所で違ふのぢゃ。迷信となるぞ。ハラが神であるぞ。

この内側の共鳴と外側の知識の広まり具合の変化は、波形を描きます。上昇しながら進む、数値化できない神の波形です。奈良の富雄丸山古墳から出土した巨大蛇行剣はこの波形を象徴しているのではないかと思っています。

釈迦はこれを末法のことわりと表現しました。釈迦の説法を、内からの気付き(悟り)や共鳴がなく単に知識として覚え、そのまま情報として左から右に流すだけでは、その体系のエントロピーは増大し続け、時の経過と共にどんどん迷信化が進み、迷信が布教されることによって共鳴する人もそれだけ減っていく。それが極まった末法の世の暗闇の中から、再び悟る者が現れる。そのサイクルの理を解いたものです。


なぜこんな話を書いたかと言うと、この世界には物理現象の裏側に「観測できない理」が存在するということをお伝えしたかったからです。釈迦だけでなく、賢者や聖人や預言者と呼ばれた人々の多くは、この理が見えていました。

この理に気付かない限り、我々は籠に囚われたままで、霊的進化は停滞したままです。もちろん私も囚われています。ただ少なくとも「自分が籠に囚われていることを自覚している」という意味において、それを自覚していない人より一歩だけ外側にいるという事は言えると思います。

ソクラテスの言う無知の知ですね。

釈迦も本質的に同じことを言っています。ミョウガの記事で触れた釈迦の弟子・周利槃特シュリハンドクの物語にその話が出てきます。

周利槃特は自分の名前さえ覚えられないほど愚鈍で、当然、経文は一つも覚えられませんでした。一緒に修行していた兄も、あまりの物覚えの悪さに愛想を尽かし「お前はもう家に帰れ」と突き放しました。

周利槃特が落ち込んでいると、釈迦がこう言いました。
「お前は覚えが悪いが、自分が愚鈍であるという事だけは知っている。世の中には自分が賢いと思っている者が多い。自分が愚かであることを知っているお前の方が、賢いと思っている者よりも悟りに近いのだ


意識の籠は、何重にも果てしなく人間を捉えています。それが何重かは知る由もありませんが、一枚一枚、殻を破って上昇し続けることが龍に通じる道です。

私も龍とは何かを知り、龍神と一体化するために、外ではなく内側を探し続けます。そういう意味を込めて令和の竹取物語というタイトルにしています。

かごめかごめ 籠の中の鳥は
いついつ出やる 夜明けの晩に
鶴と亀が滑った 後ろの正面だあれ?

話のネタはまだまだあります。むしろここからが本題と言ってもいいかもしれません。竹取物語には忌部氏の存在が暗号として隠されていることも以前お伝えしましたが、その謎を追う過程でカタカムナ文献が忌部氏と関係していることがわかりました。

あ、本屋で買えるカタカムナ関連本やインターネット上の情報は、いいかげんな内容のものが多くて、中には霊感商法同然のものもあるので注意してくださいね。

私が重視しているのは、カタカムナ文献の発見者である楢崎皐月氏とその直弟子の宇野多美恵氏が発行していた相似象学会誌という機関誌に書かれている内容に関してです。相似象学会誌はずっと前に絶版になっていて、いま中古で買うと一冊あたり1〜2万円のプレミアがついています。中古市場に出回ることがほとんどない号も何冊かあります。ちなみに私は全号持っています。

この相似象会誌と出会った経緯は、これまたちょっと不思議で長い話になるため、別記事として書きます。


カタカムナについては追々書いていくとして、まずは伊雜宮についての謎をできるところまで掘っていきます。伊雜宮の神官たちが自分の命と引き換えてでも後世に伝えたかったものは何なのか。私の中にはすでにそのビジョンがあります。

伊雜宮の謎の深淵を見ていくと、話は古代イスラエルと旧約聖書の時代にまで遡ります。必然的に、いわゆる日ユ同祖論についても触れていくことになります。

言語化はこれまで以上に困難で、読む人にとっても難解な文章になると思います。でも伝わる人には伝わるはずだと信じて、頑張って書いていきます。

津島神社の花手水

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