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女性性の民・カナン人|神の起源|令和の竹取物語#7

信仰を持たない私が聖書を読み始めたきっかけ

前回の記事で予告した通り、これから聖書の内容について触れていきます。長くなるので記事を何度かに分けて書きます。

なお私自身はユダヤ教徒でもキリスト教徒でもなく、いかなる宗教団体とも関わっていません。そんな人間がなぜ突然、聖書に興味を持ちだしたのかをはじめに書いておきます。

はっきり言って興味はゼロ、いや、マイナスでした。
私がキリスト教に対して抱いていたイメージは“侵略的”。ユダヤのイメージは“金貸し”。どちらかと言えば悪い印象しかなく、聖書にも全く関心がありませんでした。そういう人は少なくないと思います。

日ユ同祖論(日本人とユダヤ人はかつて同族だったとする俗説)も都市伝説界隈で聞いて知ってはいましたが、それも聖書を読もうとする動機にまでは繋がりませんでした。

ところが今から3年くらい前のある日、異変が起きました。私は何気なくWEBを見ていました。特になにを探すというわけでもなくネットの海をさまよっていただけです。たまたまたどり着いたあるサイトに、旧約聖書のイザヤ書の一文が引用されていました。それは次の文です。

それゆえ、あなたたちは東の地でも主を尊び、海の島々でもイスラエルの神、主の御名を尊べ。地の果てから、歌声が聞こえる。

「主に従う人に誉れあれ」と。

しかし、わたしは思った。
「わたしは衰える、わたしは衰える。
わたしは災いだ。欺く者が欺き、欺く者の欺きが欺く」

イザヤ書 24章(新共同訳聖書)

この瞬間、イザヤが何に苦悩していたかのビジョンが私の意識に湧きあがりました。“考えた”のでも“降りてきた”のでもありません。この一文を目にした瞬間、忘れてしまっていた古い記憶の扉が開いた、という感じです。その記憶は私の中に最初から、それこそ私が生まれる以前から存在していた。

こうして私は、神道に加えて古代イスラエルやユダヤについての探究心にも目覚め、聖書を読んでみようという気になったのです。

漫画・進撃の巨人に「道」という概念が登場しますが、記憶の扉が開くイメージとしてはまさにあの感じです。実は作者の諫山先生自身「道」から創作アイデアを得ていたのではないかと、割と真面目に思います。

進撃の巨人

これから私が見たビジョンを土台とした考察を、私なりの言葉で書いていきます。

聖書学者から見れば、無知な凡人のたわごとに過ぎないかもしれません。言語化というプロセスには私自身の思考が介在しているため、間違ったことを書く可能性はあると思います。特に話の詳細部分に関しては。あるいは私が見たビジョンそのものが、ただの妄想に過ぎないという可能性もあります。ですので初めから空想物語やフィクションと思っておいてもらった方が無難です。

とは言いながら、私自身としてはもちろんこの“物語”の中に確かな真実味の手触りを感じているからこそ書くのですし、読者にも、事実か否かの二元論ではなく、物語としてどこかに真実味を感じ取ってもらえれば幸いです。

事実というものは存在しない。存在するのは解釈だけである。

フリードリヒ・ニーチェ

それではここからです。


神の起源(概要)

1.感謝の時代

人々が文字を使い始めるよりはるか昔。食物や草木、太陽や海、牛や羊など、世界のすべてに対して、人々は感謝や畏れといった感情を抱いていました。そこには心の奥底から自然に湧いてくる感情があるだけで、神や信仰という概念はまだ存在しません。

2.感情の具現化

人々は「感謝の感情」や「畏れの感情」を認識し、その対象にそれぞれ名をつけていきました。名という輪郭線を与えられると、人々の間でその名が語り継がれ、人々の意識の中だけに存在する無形偶像として認識されるようになります。「神」のもっとも古い形態の抽象概念です。例えば太陽神、海神、羊の神、牛の神などです。この段階でもまだ神は信仰の対象ではなく、ただ感情を他者と共有し語り合うための概念に過ぎません。

3.偶像神の誕生

人々は、名が与えられたこの無形偶像に対し、集団で感謝の気持ちを捧げる祭りを行うようになりました。秋の収穫祭などです。自然の恵みに対する感謝の祈りをこの偶像に捧げる事により、感謝の意思を伝えました。

集団が祈りの意識をより集中しやすくするため、無形偶像に物質的な「形」が与えられ、人や動物の姿をかたどった有形偶像が作られ始めました。目に見える偶像神の誕生です。

4.因果の逆転
確かな形を与えられた偶像神はやがて、それ自体に意思や心が宿っているとみなされるようになり、人に食欲や所有欲があるように、偶像神もものを欲するという考え方が生まれました。こうして偶像神に食物などを捧げる儀式が風習として定着していきました。

この時代の自然は、人類にとって恵みをもたらすと同時に脅威でもありました。凶作や疫病や災害など、あらゆる形で自然は人類の生存を脅かします。

危機に直面すると、人は理解可能な理由を求めます。こういう時、筋が通らない理由であってもそれを信じて自分を納得させることで、まず不安や恐怖を解消し安心を得ようとします。心理学で言う認知的不協和の解消です。

ここで因果の認知が逆転します。「我々の感謝が足りなかったから神が怒ったのだ」と。

つまり「自然から人への恵み→感謝の気持ちが湧く」という因果が「感謝が足りない→自然が人に牙をむく」となる認知の逆転です。ここから「もっと多くの捧げものをすれば、自然は怒りを鎮めてくれる」という発想が生まれました。

こうして儀式に迷信が混入していきました。「もっと捧げ物を」の思いから、生きた動物を生贄として神に捧げる風習(スケープゴート)が生まれ、最終的には生きた人間も神に捧げられるようになっていきました。人身御供です。

5.生贄を神に捧げた原カナン人

このような人身御供は、世界各地の古代社会に見られます。

聖書に「約束の地」として記されるカナン(現在のイスラエル・パレスチナとその周辺地域)に住んでいた原カナン人も、実際に人間を生贄として神に捧げる儀式を行っていました。

原カナン人の神の名は長らくモレクとして知られていましたが、最近の研究によれば、モレクとは神そのものの名ではなく「生贄の儀式の名」であった可能性が高いとされています。生贄が捧げられる神の名は、嵐と豊穣の神バアルが代表格です。

この段階まで来ると「信仰」と言えますね。それと共に、人と神は契約関係で結ばれていると認識されるようになりました。「生贄を捧げれば神は人に恵みをもたらし、そうでないなら災いをもたらす」という、意識の上での契約です。

これにより、もはや結果とは無関係に、生贄の儀式そのものが常態化していきました。

悪いことが起きなかった → 神のおかげ
悪いことが起きた → 供え方が悪かった

という反証不能構造が、原カナン人の社会の中に組み込まれた形です。
まれに生贄は良くないと異論を唱える者がいても受け入れられず、悪いことが起きればその異論を唱えた者が異端として真っ先にスケープゴートになります。そしてその様子を見た他の人々は、恐怖でますます異論を唱えなくなります。

映画化もされたスティーブン・キングのホラー小説「霧」では、このようなスケープゴートを生む人間の集団心理特性を見事に描写しています。

こうなると、この生贄の迷信文化を変革できるのは外側からの圧力か、内側からの大規模な決起だけです。しかし原カナン人は“空気を読んで揉め事を好まない人々”だったようで、生贄の儀式は廃れることなく長い間続けられました。

利他的な精神性を持つ集団ほど、一歩間違えれば“他者を生かすための犠牲”という思想を過度に美化・陶酔しやすいという面もあると思います。戦時中の日本がそうであったようにです。

調和を重んじて揉め事を好まない意識は女性性であり、水の意識(水平意識)です。その意味で、原カナン人はかなり女性性優位だったと言えます。女性性のレイヤーは男性性よりも動物的本能に近いため、下層としてイメージされます。これは人類共通の陰陽の元型であり、女性性が月(陰性)ならば男性性は太陽(陽性)として神話の中で対比されます。

生贄の儀式と聞くと未開の原始社会を想像する人が多いと思いますが、実際には原カナン人は高度な文明を持ち、ウガリットなどの都市国家を築いていました。

この特徴は中央アメリカのマヤ文明やアステカ文明に非常に似ています。カナンとマヤ・アステカは、距離にして12000キロも離れていて、遺伝的・文化的な接点はほとんどゼロに等しいです。それでも似てくるのは文明の収斂進化(系統が離れていても、同じ自然の法則を共有しているために似通ったものになる現象)なのでしょうね。

実は迷信ではない…?

さきほど迷信と書きましたが、その一方で、これが迷信ではない可能性も同時に存在します。たしかに高度な文明を持ちながら生贄の儀式を行うのは、現代の常識に照らせば非常に奇妙に思えます。しかし実はそれ自体がただの偏見に過ぎないとしたら。

例えば、争いがほとんどなく、文明もどんどん進化していったとすれば、人口は際限なく増えていき、いつかは食糧供給が需要を下回る時が来ます。そうなれば彼らとて争いは避けられません。

そうなる前に、争うことなく適度な人口を維持するため自ら進んで命を捧げる人がいたら、それはもっとも神に近い利他精神の究極形と言えます。

カナンについては記録がなさすぎてわかりませんが、マヤやアステカでは実際に「人々が自ら望んで」生贄になった可能性を指摘する研究者もいます。

この究極の利他は、仏教で捨身月兎として伝わる説話に通じます。

捨身月兎の説話

飢えて倒れた老人(帝釈天)を見た森の動物たちが、彼を助けようとしました。猿は木の実を集め、狐は川で魚を捕らえて老人に捧げました。しかし兎だけは何の食べ物も見つけることができませんでした。悩み抜いた兎は、自ら燃え盛る火の中へと飛び込み、その身を捧げ物としました。

その慈悲の心に深く打たれた帝釈天は、兎の行いを後世まで伝えるため、その姿を月の中に永遠に描き出しました。これが月に兎が住むという伝説になりました。

この世に「正しい解釈」は一つもなく、すべては可能性の波として広がっています。

6.海の民の侵入

紀元前1200年頃、地中海から海の民と呼ばれる武装集団が一斉に侵入し、原カナン人の都市国家は大混乱に陥りました。

海の民の正体や目的については諸説ありますが、正確なことはわかっていません。
ただ破壊・略奪して、嵐のように去っていく。この「わからなさ」こそが海の民の特徴であり、破壊と混沌を司る海神スサノオの根源的イメージはこの海の民に由来しているのではないかとも思います。

聖書では「生きた子供を生贄にする邪悪なカナン人」として描写され、ヨシュアが率いるイスラエルの民によってカナン人が滅ぼされたように記されています。しかし現実には、海の民の侵入が決定打となって壊滅した可能性が高いようです。

この混乱により、原カナン人は各地に散らばりました。これで生贄の風習も廃れたかと言えばそんなことはなく、むしろ伝染病のように各地に拡散しただけで、信仰はなお生き続けました。

海洋民族フェニキア人は原カナン人の直接の子孫です。この「フェニキア」という呼び名は、ギリシャ人が彼らをそう呼んでいただけで、フェニキア人は自分たちのことをカナン人だと認識していました。

フェニキア人は北アフリカに新たに植民都市カルタゴを建設し、ここでも生贄の儀式は続けられました。

7.ユダヤの産声

聖書の創世記22章に、アブラハムが実の子イサクを生贄に捧げるよう神から命じられ、ナイフをイサクの心臓めがけて振り下ろそうとしたところで天使が止めに入るエピソードがあります。

これはアブラハム(古代ヘブライ人)が自らの使命に目覚めたことを象徴しています。使命とは、この“邪悪”な信仰を放っておけばやがて伝染病のように人類全体に広まってしまうため、それを防ぐことです。

しかし信仰というものは、力づくで強引にやめさせようとすれば、押さえつけられた反動で反発心が燃え上がり、かえって火に油を注ぐ結果になりかねません。

彼らの中でも特に優れた知性を持つ賢者たちが、この難題を解決するために知恵を絞りました。これがユダヤの精神の原型です。こうしてイサクの子であるヤコブ(=イスラエルの民)は「約束の地」カナンへ向かいました。

今回はここまで。次回は、原カナン人とはある意味で対照的な国、古代エジプトとモーセの出エジプト記について書く予定です。

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