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表現者になるということ|余白亭 手芸・創作部

「あるいはもしあなたが風にあこがれて、地下から這い出るセミならば、最後の土をかき分けた瞬間、地上の目もくらむ光と同時に、足もとに深く広がるやわらかな闇をあらためて認識するでしょう。

人々はともすると光と闇のとろけあった乳白色の混沌の中にさまよいがちです。私もその中の一人だから常にそれを恐れ、手を動かさずにはいられないのです。」

天野可淡(人形作家・画家)

「音楽でも、歌でも、ダンスでも、演劇でも、絵画でも、彫刻でも、詩でも、小説でも、エッセイでも、何でもいい。
どんな芸術でも実践しなさい。
上手か下手かは関係ない。お金や名声を得るためじゃない。人間の魂を成長させる唯一の方法だからだ。」

「何かを表現することは、自分が何者であるかを世間に知らしめるためではない。自分自身が何者であるかを発見するためだ。」

カート・ヴォネガット(小説家)

真理は霊、芸術は体であるぞ。
正しき芸術から神のみちに入るのもよいぞ。
説くのもよいぞ。芸術の行き詰まりは真理がないからぞ。
芸術は調和。七つの花が八つに咲くぞ。

日月神示 黄金の巻 第83帖

創造性の扉

これは私が小学三年の時の話です。
学校の図画工作で、紙コップなど一般家庭で手に入る素材を加工して自由に造形作品を作る、という授業がありました。

時間割という概念を当時の私はよく理解していなかったので、授業の時間制限などフル無視で、自分が作りたいものを作ろうとしました。結局間に合わず、居残りで続きの作業をすることになり、それも相当な時間がかかってやっと完成させました。

その作品を見た先生は、ポイっと床に投げ捨てて、

「これだけ時間がかかって、こんなものしか作れないのか」

と吐き捨てるように言いました。

私は悔しくて泣きました。作品が投げ捨てられたことに対してではありません。私という存在や、親が私を産んでくれたことを面と向かって否定された気がしたからです。

大袈裟に思われるかもしれません。しかし自分自身、場違いな世界に生まれてきてしまったのかもしれないという漠然とした不安を抱いていたところへの「こんなもの」という言葉は、“出来損ないの烙印を押された”ような決定的な言葉の刃として私の心に突き刺さりました。

前々からその先生が私を嫌っていることには気付いていました。作業が遅いことを口実として、公然と私を傷つけられる事に快感を覚えていたとしか思えません。

およそ創造・創作において、私が学校から教わるものはただの一つもないということを、人生の早い段階で気付かせてくれた、という一点で言えば、良い反面教師でした。

「(自分は)へたくそだからいいと思っているんです。今はじょうずな人が多いですね。うますぎるぐらいだな。そういうのを“じょうずくそ”って呼んでいるんですよ」

棟方志功(版画家)

そんなようなことが重なって、私は創作・創造という行為をうまく行えなくなりました。家では粘土をこねて変な生き物を延々と作っているような子供でしたが、ちょうどその小学三年頃を境に、あんなに好きだった粘土にもまったく触らなくなった覚えがあります。潜在意識レベルでトラウマになったんでしょうね。

私の中の幼い私が、創造性を司る女性性を抱えたまま扉をバタンと閉め、中から鍵をかけてしまった。


しかし、この年になって再び創作をしたいという意欲が湧いてきました。この自然と湧き出てきたものに対して理由付けは必要ないのですが、強いて言葉にするならば、それはカート・ヴォネガットが言うように、芸術を実践することこそが、自分が何者なのかを発見する唯一の方法だからでしょう。

私は自分が何者なのかを知りたがっている。

創作意欲が再び湧いてきたということは、傷ついた幼い自分が癒されつつあるということなのかもしれません。そうだとしたら、それは間違いなく、神話や神道という世界と出逢ったおかげです。

要するに、岩戸に閉じこもった神話世界の女性性と、幼い頃に閉じこもった私の中の女性性が出逢ったということ。

創造。ものをつくり表現するということ。その本質は精神性スピリチュアリティ。あるいは物語性ナラティブ

私がnoteに書き記している古代人の精神性についての探究も、ひとつの創造です。解釈は一つに定まらない、正解がない問い。百人いれば百通りの解釈(物語)があります。

織物×縄文

先月投稿した記事で「饒速日命の復活」の話を書きました。

中央集権型モデル思考に馴染みすぎている現代人の意識が、ラルーの言う“超越した意識”を理解し馴染むのには、まだかなりの時間と、“ティール意識の場に触れる経験”が必要になるでしょう。

それは、二〜三千年前に封じられた古代人の精神性そのもの。世界のどんな民族よりも、日本人がそれを一番よく知っているはず。知らないのは、単に忘れているだけなのです。それを復活させることが、私にとっての”饒速日命の復活”であり、恩返しでもあります。

具体的になにをどうすれば「復活」につながるのか。意識の領域では、私にもわかりません。でも魂はそれを知っていて、進むべき道を教えてくれる。

今年に入ってから見つけた転職先がたまたま一宮市の真清田神社の近くだったことで、自ずと一宮市との縁が深まっています。一宮は、織物の街として知られています。天火明命(饒速日命)を祀る真清田神社にも、境内社として織物の神を祀る服織神社があります。

私の道の先はどうやら「織物」に通じているようです。神話の探究と並ぶ創作活動として、私は何を創りたい?と内側に問いかけると、織物と縄文土偶に関係するなにかを創りたがっている自分がいます。物質的に土偶と同じものを作るということではありません。「土偶を創った人々の精神性」に関するものを現代に蘇らせるのです。

織物という象徴が日本神話の中でいかに重要視されているかは、これまでの記事でも何度か書いてきました。例えばこの記事↓です。

では縄文土偶は何を象徴しているのか。内側の探求の中で、こういうことだったのでは?というビジョンが少しずつ視えてきました。言語化して、近日中にnote記事として書きます。

縄文人が土偶に託し、弥生・古墳時代の人々が神話として織物に込めた祈り。それらを想い、形ある作品として昇華させることを、手芸・創作部として余白亭の活動の一環にしていきます。具体的にどんなカタチになるかはわかりませんが、直感に従って進み続けるだけです。

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