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磐座やウケヒに関する仮説の元となった私の実体験|日月神示の岡本天明らは「籠目のレイライン」の存在を知っていたのか…?

2014年5月4日。石巻山で私の中で何かが変わりました。その日の出来事は過去記事にまとめています。

目に見えない心の奥底の道がつながったと言うかなんと言うか…うまく言葉にはできませんが、ただ「何かが変わった」という感覚だけがあります。それ以来、ほぼ直感だけを頼りに、各地の神社や磐座を探訪するようになりました。自分が何を探しているのかもわからないまま──。

菰野町での奇妙な感覚

翌2015年の5月、いつものように一人で車を走らせて、奈良県の山添村へ磐座巡りに行きました。山添村は巨岩・巨石の宝庫で、ふるさとセンターの敷地にある長寿岩は村のシンボル的存在です。

長寿岩

この写真ではわかりづらいですが、岩には白い十字線があり、赤道と子午線を表しているのではないかという俗説が噂されています。線そのものは自然にできる石英脈と思われ、珍しいものではありません。しかし古代の人々がこの線を見て何らかの意味づけをした可能性ならあるかもしれませんね。

個人的には磐座特有の迫力のようなものはほとんど感じませんでした。

実はこの岩、90年代のふるさとセンター造成工事の際に山中から発見されたもので、当初は爆破解体される予定でした。しかし爆破にお金がかかりすぎるため計画は中止になりそのまま放置されました。

その後、村外の磐座研究者から「これは古代の磐座なのではないか」という声が上がり、いつのまにか村のシンボルになっていた──という経緯があります。これが本当に上古代の祈りの依代だったとして、そのようなぞんざいな扱いでは岩から神気が失われても当然と言えるかもしれません。

岩の線をよく見ようとしていると、どこからか大きなスズメバチが一匹飛んできて、私の眼前でホバリングしはじめました。ハチと遭遇した経験なら何度もありますが、スズメバチと近距離で目があったのは人生初で、さすがにビビりました。しかし襲ってくるような気配はなかったので、刺激しないように後退りして逃げました。まるで岩を守っているかのようでした。

この長寿岩から東に3kmほど行ったところに、岩尾神社があります。この神社の御神体の巨岩にも、白い十字線があります。こちらは正真正銘の磐座で、太い線がくっきりと浮かび上がり、10メートル以上はある岩全体が今にも動き出しそうな生命感に満ち溢れていました。

岩尾神社の磐座

この岩尾神社は、ふつうの観光客はまず行かないような場所にあり、なにしろ神社ですから地元の人々に古くから崇敬されていました。だからこそ俗気にさらされず、神気が維持されているのかもしれません。私がこれまでに見てきた中でも特に畏怖し、印象に残っているのがこの十字の磐座です。

あとは他日の磐座巡り旅で行ったことのある、眞名井神社の磐座、白山中居神社の御手洗岩、玉置山の玉石…こうした独特の気配を宿す磐座の前に立つたびに、私の中で目に見えない世界との繋がりが少しずつ強まっていくような気がしていました。まるでそれまで誰も通らず草が生い茂っていた脳神経系に、霊剣で草が薙ぎ払われ新たな道が切り開かれていったかのように…。

山添村を一通り回ったあと、最後に鍋倉渓で知られる神野山へ行きました。たまたまこの日、つつじ祭りが行われていました。

山の中とは思えないくらいの大混雑で、人混みが苦手な私はだんだん疲れ始め、鍋倉渓を見るのを諦めて帰ることにしました。


愛知県の自宅をナビに設定し、あとはナビ任せで、適度な旅の疲れもあって気分良くのんびりと車を走らせていました。

三重県菰野町の田舎道を通過していた時のこと。なんの変哲もない道で急に、遠い記憶に一瞬だけ触れたような、懐かしいような、奇妙な感覚がありました。車を停めてその付近に何かがあるのかと見回してみましたが、民家が点在しているだけで、特に変わったものはなにもありません。

帰宅してからもしばらく気にはなっていたものの、誰かに「この奇妙な感覚は何か」と聞くわけにも行かず、情報は皆無でした。

そんな出来事も忘れかけていた数年後。

日月神示を自動書記した岡本天明について調べていると、ある情報が目に止まりました。1955年(昭和30年)、天明が菰野町に移り住み、家族や研究仲間と共に後半生を過ごした、という情報です。彼らはその場所を至恩郷しおんきょうと名付けていたようです。

かつて至恩郷があった場所を調べてみると、そこはあの奇妙な感覚を覚えた道からすぐ近くでした。これは何かあると直感しました。

「懐かしさを伴う遠い記憶のようなもの」と至恩郷が関係しているのかどうか、正確なところはもちろんわかりません。それでも天明と至恩郷について調べれば調べるほど、偶然とは思えないつながりが色々と見えてきました。

至恩郷はただの居住地ではありません。大本の出口王仁三郎から特務を任されていた武智時三郎という人物が、天明より先に菰野町に住んで大本絡みの活動をしていました。天明も、大本の発行する機関誌「人類愛善新聞」の編集長として働いていました。

その武智が岐阜にいた岡本夫妻を菰野町に招き、至恩郷の土地を居住地兼活動拠点として貸し与え、大本を通じて知り合った仲間もそこに何人か加わって、自身の自動筆記の研究などをしていたようです。大本が国から弾圧された際には天明も取り調べを受けましたが、大本の活動には直接関わっていないただの雇われ人と判断され釈放されています。

至恩郷という名は、古代イスラエルと日本の関係を調査していた武智が、聖書の「シオンの山」にちなんで名付けたようです。


岡本天明伝(黒川柚木著)にはこう書かれています。

天明たちが菰野に転居する前に、武智時三郎の弟子たち、増田観石、生源寺泰信、武市瑞月が、のちの至恩郷の土地に、飲料水として井戸掘りを始めた。当初、高台の土地のために井戸掘りの難航が予想されたが、三尺ほど掘るとすぐに水が湧き出した。

しかし井戸水が白濁していたので、武市瑞月は亀岡・天恩郷の出口日出麿のもとを訪ねて教えを乞うた。すると武市の脳裏に、丹後元伊勢の奥宮・眞名井神社が浮かび、そこで宮津まで足を延ばし元伊勢の眞名井神社に参拝して御神水をいただき、半分を岐阜の天明に飲んでもらい、残りを至恩郷の井戸に注ぐと、井戸の水が透明に清まった。

岡本天明伝・p338

この岡本天明伝を私が読んだのは、ちょうど籠目のレイラインの気付きを得て独自調査を進めていた時のことでした。

もしやと思い、眞名井神社と至恩郷跡地を地図上で線で結んでみると、予想通り、線はほぼ正確に冬至の日の出の方角を指していました。出雲の日沈宮と玉置山を結ぶ冬至ラインと平行になっていることが下図からもわかるかと思います。

私が籠目のレイラインの存在に気付いたそもそものきっかけが、日月神示に関係する麻賀多神社の神紋(麻の葉紋/六芒星)。

麻賀多神社の神紋

眞名井神社の裏神紋も六芒星の中に“日月”のシンボルです。

籠神社・眞名井神社の裏神紋

ウケヒ仮説

思い返してみると、「特定の場所で奇妙な感覚を覚える」という経験は私にとっては初めてではなく、何度か経験しているんですよね。

たとえば…。これもかなり昔の話ですが、名古屋を歩いていて、たまたま見つけたある店に何の気なしに入ってみようとした時のこと。

その店はビルの二階に入り口があります。階段を上がって店のドアの前まで来た時、急に頭の中にドス黒い嫌なイメージが湧き起こり「この店には関わらないほうがいい」と直感しました。見た目には何の変哲もない普通の店で、自分でもわけのわからぬまま、とにかくすごく嫌な感じがしたので、店に入ることなく回れ右して立ち去りました。

これも後から知ったのですが、その店は某カルト教団のフロント企業の系列店だったのです。(今はそこは閉店し、全く関係ない店が入っています)

逆のパターンもあります。
上記の記事にも書いた石巻山の麓の料理店、ほっとい亭がそうです。ほっとい亭が私にとって“良い空間”であることを、私の直感は店に入る前から知っていたかのようでした。

これらの出来事について、私の脳内で何が起こっているのかを真面目に考えてみた事はありませんでした。この他にも似たようなことを何度か経験しているので、自分自身ではそれほど気に留めていなかったからです。

しかし菰野町での経験と至恩郷の存在はそれまでとは違って妙にインパクトがあり、これらの現象が起こる機序を突き止めたいと考えるようになりました。そうして色々と思索を深めていくうち、私が感じ取っているものは、空間に残される「人の思念」なのではないか?という仮説に辿り着いたのです。

その考えを発展させたのが、下記記事に書いたような、磐座やウケヒについての仮説です。


武智時三郎は古代イスラエルと日本の関係を調べていた。武智は何を知り、何を知らなかったのか…。もしかしたら、籠目のレイラインに関係する秘密を何か掴んでいた可能性もあります。出口王仁三郎も、淡路島で発見された“古代イスラエルの遺跡”を重要視していた、という話もあります。

このあたりを深掘りすることで、何か見えてくるものがあるかもしれません。

最後に、古代イスラエル絡みで一つ。

徳島県美馬市にある磐境神明神社には、江戸時代に発見された古い石積みの遺跡があります。美馬市の観光サイトには次のように書かれています。

全国でも珍しい石室造り(磐境造り)をした神社です。この地域は、古代ユダヤとの繋がりを感じさせる言い伝えが数多く存在し、イスラエルの神殿とよく似た造りの神明神社も古代ユダヤと美馬市の繋がりを示すものの一つとされています。

美馬観光ビューロー

この磐境神明神社と籠神社を結ぶと、籠目紋から南西に伸びるラインと重なります。つまり冬至のラインと交差した時に十字になる、下図の赤いラインです。これらはすべて偶然の一言で済ますには完璧すぎるのです。

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