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人事制度|制度を育てる視点:賃上げしても評価納得は上がらない

賃金を上げることは、間違いなく強いメッセージになる。
採用競争力を高めたい。中堅社員に報いたい。年功色を弱め、能力や役割に応じて処遇したい。
こうした目的があるなら、給与水準の見直しは避けて通れない。

ただし、賃金を上げても、評価への納得感まで一緒に上がるとは限らない。
むしろ、給与が改善したからこそ、次に「なぜこの評価なのか」「なぜあの人が昇格するのか」「専門職とは何で評価されるのか」が見え始めることがある。

今回見るのは、賃上げが悪いという話ではない。
賃上げを成功させるほど、評価・昇格・専門職制度の未成熟が目立ち始める、という留意点である。



導入時に目指していたこと

日本生産性本部の事例記事によると、歯科材料・歯科機器メーカーのジーシーは、2021年度に新人事制度を導入した。

背景には、社員満足度調査で「報酬の低さ」「評価の妥当性」「昇格昇進の妥当性」への不満があり、特に30代と開発部門で満足度が低かったことが挙げられている。
役員ヒアリングでも、昇格基準・評価基準の明確化、賃金水準引き上げ、専門職の必要性が出ていた。

ここだけを見ると、制度改定の出発点はかなり合理的である。
古い制度が年功的に残っている。中堅社員に報いにくい。専門性を持つ人が、管理職以外の道で処遇されにくい。
採用・定着にも影響する。

この状況で、資格数を増やし、年功要素を圧縮し、能力給と役割給へ整理し、管理職層の役割年俸割合を高め、専門職制度を導入する。
制度改定の選択肢としては、十分にあり得る処方である。

とくに今の賃上げ局面では、「給与水準を上げる」「年功カーブを是正する」「専門職を置く」という組み合わせは、多くの会社にとって魅力的に見える。
だからこそ、この事例は成功紹介としてではなく、導入後に起こり得るズレを読む材料として扱いたい。


どこで機能しにくくなるのか

壊れ始める場所は、賃金そのものではない。賃金を上げた後に、評価と昇格の説明が追いつかなくなるところである。

同記事では、給与を大きく上げた年には満足度がかなり上がった一方、翌年の調査では給与満足度は下がっていないが、評価や昇格では満足度が下がったと紹介されている。
ここに、制度改定の怖い時間差がある。

導入初年度は、給与改定のインパクトが大きい。
社員は「会社が処遇を見直した」と受け止める。経営も人事も、一定の成果を感じやすい。

しかし翌年になると、社員の関心は金額の上昇から、配分の理由へ移る。
誰が早く昇格したのか。なぜ自分はその評価なのか。専門職は、何を達成すれば専門職として認められるのか。
管理職にならないキャリアは、本当に処遇されるのか。

この問いに答えるには、賃金テーブルだけでは足りない。
評価基準、昇格審議、職務・役割の配分、評価者の観察、フィードバック、異議の扱いまで必要になる。

賃上げは、社員の不満を消す万能薬ではない。

むしろ、社員が制度を見る解像度を上げる。
その結果、評価・昇格・専門職の説明責任が前面に出てくる。


現場に出やすいサイン

早期兆候は、給与不満としては出てこない。
むしろ「給与は上がった。でも評価はよく分からない」という形で出る。

一つ目は、評価理由を聞かれた時に、管理職が具体的な行動事実で説明できないこと。
コンピテンシー評価や能力評価を導入しても、現場で観察された行動、期待水準、次の成長課題まで説明できなければ、社員には「新しい言葉で印象評価をしている」と見える。

二つ目は、昇格基準が変わったのに、昇格審議の納得材料が変わらないこと。
旧制度では過去数年の評価ポイントを見ていたものを、直近2年中心に変えるなら、なぜその期間で見るのか、短期成果と再現性をどう両立するのか、中途採用者をどう扱うのかまで説明が必要になる。

三つ目は、専門職制度が「管理職にならない人の受け皿」に見え始めること。
専門職として何を成果とするか、どの周期でレビューするか、期待に届かない場合に任用解除や再配置をどう扱うかが曖昧だと、専門職は尊重の制度ではなく、処遇上の逃げ道に見えてしまう。

四つ目は、人事説明の量が増える一方で、現場の対話が増えないこと。
制度資料や動画で概要を伝えることは必要である。しかし評価と昇格の納得感は、最終的には「自分の仕事がどう見られたか」という個別の対話で決まる。
説明会を増やしても、上司が本人の仕事を言語化できなければ、納得感は上がりにくい。


つい選びがちな対応

よくある対応は、制度説明を増やすことである。
制度ブックを作る。説明動画を配信する。評価項目の定義を細かくする。昇格要件を追記する。専門職の要件を厚くする。
もちろん、情報が足りないなら説明は必要である。

ただし、評価納得感の不足を「理解不足」とだけ見ると、同じ問題が再発する。社員が分かっていないのではなく、会社がまだ説明できる状態になっていない場合があるからだ。

もう一つの対症療法は、評価項目を増やすことである。
納得されないなら、もっと精密にする。専門職が難しいなら、要件を細かくする。管理職評価がばらつくなら、チェック項目を追加する。

しかし評価項目は、多いほど公正になるわけではない。管理職が具体例を出せず、社員が次の行動に翻訳できない項目は、精密さではなく儀式を増やす。

さらに危ないのは、給与をもう一度上げて不満を抑えようとすることだ。
賃金原資で短期的な不満を緩和することはできる。しかし評価や昇格の納得感が低いまま賃上げを重ねると、社員は「会社は評価を直せないから金額で埋めている」と学習する。

それは、制度への信頼を強めるのではなく、次の賃上げ期待を強める。


見直したい設計ポイント

変えるべきなのは、賃金制度だけではない。賃金を上げた後に、評価・昇格・専門職をどの順番で検証するかである。

まず、給与満足と評価納得を別指標として扱う。
給与が上がったかどうかと、評価理由に納得しているかどうかは別の問題である。
社員調査でも、報酬満足、評価妥当性、昇格妥当性、専門職制度への理解を分ける必要がある。

次に、昇格基準を「条件」だけでなく「判断過程」として設計する。
何点以上なら昇格、何年で昇格という条件だけでは、境界線上の判断を説明できない。
昇格審議で何を見たのか、どの事実を重く見たのか、次回に向けて何を伸ばせばよいのかまで返せる状態にする。

そして、専門職制度を称号ではなく、レビューされる役割として置く。
専門職は「管理職ではないが高く処遇する人」では弱い。会社の競争力にどう貢献する専門性なのか。
成果は個人成果なのか、組織への知識移転なのか、後進育成なのか。任用後にどの周期で見直すのか。

ここを決めないまま専門職を作ると、制度は名誉職化する。

最後に、評価者支援を制度費用に含める。

制度改定の費用は、賃金原資と設計費だけではない。
管理職が期待を言語化し、行動事実を観察し、本人に説明し、次の行動へつなげるための時間と訓練も制度費用である。ここを見積もらない制度は、導入時点では美しくても、二年目以降に現場へ負荷を押しつける。


立ち止まって再設計したい条件

賃上げを止めるべき、という意味ではない。
ただし、賃上げと同時に「能力主義強化」「専門職制度」「昇格スピードの見直し」まで一気に入れるなら、立ち止まって再設計したい条件がある。

一つ目は、評価基準を管理職が具体例で説明できないこと。
制度設計者が説明できても、評価者が説明できなければ運用されない。

二つ目は、昇格審議の記録が残らないこと。
なぜ上げたか、なぜ見送ったか、本人へ何を返すかが残らなければ、翌年の納得感は改善しない。

三つ目は、専門職の成果基準と任用解除基準を経営が説明できないこと。
「専門性が高い人を処遇する」だけでは足りない。専門職になった後、どんな貢献を期待し、期待に届かない時にどう扱うのかを決める必要がある。

四つ目は、社員調査を平均値だけで見ること。
30代、開発部門、中途採用者、専門職候補、管理職候補では、同じ制度改定でも見え方が違う。平均の満足度だけで成功判断をすると、最初に壊れる層を見落とす。

五つ目は、制度理解を人事広報だけに任せること。
評価・昇格・専門職の納得感は、現場管理職の対話能力に依存する。説明資料だけで補えないなら、導入時期をずらす選択も必要になる。


この事例から、自社で問うべきこと

まず確認したい問いは、単純である。

賃金を上げた後、社員は次に何を問うようになるか。

この問いを置くと、制度改定の見方が変わる。

給与水準を上げるなら、誰に、何の理由で、どの程度報いるのか。
年功要素を圧縮するなら、生活保障、育成期間、異動可能性をどう扱うのか。
昇格スピードを上げるなら、短期成果と再現性をどう見分けるのか。

専門職制度を置くなら、専門職は何を生み、何を組織に残す人なのか。
評価制度を変えるなら、評価者は本人にどの事実を返せるのか。
社員満足度調査を使うなら、給与満足、評価納得、昇格納得、専門職理解を分けて見ているか。

そして、制度導入後の二年目に何を見るか。
初年度は、賃上げのインパクトで制度全体が良く見えることがある。

本当に見るべきなのは、その後である。
評価面談で理由が語られているか。昇格見送り者に次の行動が返されているか。専門職が称号ではなく役割として機能しているか。
給与満足は維持されているのに、評価・昇格の満足だけ下がっていないか。

賃上げは、制度改革の終点ではない。
社員が制度をより細かく見るようになる起点である。


確認した資料と留意点

本稿では、株式会社ジーシーの会社概要、日本生産性本部・生産性naviの記事、ジーシー公式の人的資本レポート2025を確認した。

会社概要からは、ジーシーが1921年設立の歯科材料・歯科機器メーカーであることが分かる。

日本生産性本部の記事では、同社が2021年度に新人事制度を導入したこと、導入前に報酬、評価、昇格昇進への満足度課題があったことが紹介されている。

また、資格数の増加、専門職制度、能力給・役割給への整理、役割年俸比率の変更、昇格条件の見直し、コンピテンシー評価の導入も同記事で触れられている。

特に参考になるのは、給与を大きく上げた年には満足度が上がった一方で、その後、給与満足度は下がっていないにもかかわらず、評価や昇格では満足度が下がったとされている点である。

専門職の評価基準や、成果が出ない場合の扱いが難しいという課題意識も示されている。

ジーシー公式の人的資本レポート2025では、2022年から2024年にかけて、エンゲージメント指標、定着率、自己都合離職率などの人的資本メトリクスが開示されている。

ただし、2021年度新人事制度の詳細な制度設計、評価・昇格満足度の数値推移、専門職人数、専門職の任用解除実績、個別賃金影響、社員説明後の改善状況までは、公開資料だけでは確認できていない。

したがって、本稿はジーシーを問題企業と断定するものではない。

公開記事から読み取れるのは、賃上げが給与満足を改善し得る一方で、評価基準、昇格基準、専門職の成果基準が十分に運用されない場合、社員の関心が「金額が上がったか」から「配分理由を説明できるか」へ移る、という構造である。

ここでは、その構造を人事制度設計上の一般化可能な留意点として扱っている。

主に参照した資料は以下である。

日本生産性本部「歯科材料・歯科機器の大手メーカー・ジーシーにおける人事制度構築事例」
https://jpc.jpc-net.jp/productivitynavi/case_20221105/

公益財団法人日本生産性本部「人事制度とは?最近のキーワード解説と企業事例」
https://www.jpc-net.jp/column/detail/post_9.html

株式会社ジーシー「会社概要」
https://www.gc.dental/japan/company/gc-corporation/company-profile

株式会社ジーシー「人的資本レポート2025」
https://www.gc.dental/japan/company/gc-corporation/humancapitalreport2025


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