見出し画像

能力に、大差はない。

成果にも、大差はない。

少なくとも、多くの職場ではそうだと思う。

もちろん、圧倒的にできる人はいる。

桁違いの成果を出す人もいる。

しかし、日常の仕事の多くは、そこまで極端な差で動いていない。

同じような資料を作る。
同じような会議に出る。
同じような顧客に向き合う。
同じような期限で動く。
同じような成果を出す。

では、なぜ評価や信頼に差がつくのか。

なぜ、同じくらい仕事ができるはずなのに、任される人と任されない人がいるのか。

なぜ、成果は出しているのに、人が離れていく人がいるのか。

最後に残るのは、立ち振る舞いではないか。

そんなことを思う。



仕事は、成果だけで見られていない。

仕事は、成果で評価される。

これは間違っていない。

しかし、仕事は成果だけで見られているわけではない。

どう報告するか。
どう相談するか。
どう断るか。
どう謝るか。
どう引き受けるか。
どう迷うか。
どう不満を出すか。
どう成果を受け取るか。
どう失敗を扱うか。

こうしたものが、ずっと見られている。

しかも、本人が思っている以上に見られている。

能力そのものより、能力の出し方が見られている。

成果そのものより、成果に至る態度が見られている。

正しさそのものより、正しさの扱い方が見られている。

ここを軽く見る人は、仕事ができても信頼されにくい。


立ち振る舞いとは、何か。

立ち振る舞いとは、礼儀作法の話ではない。

愛想がいいことでもない。

空気を読むことだけでもない。

私は、立ち振る舞いをこう捉えたい。

立ち振る舞いとは、自分の能力、感情、成果、不満、正しさを、他者や場に対してどう出すかである。

能力を見せびらかす人がいる。

能力を隠しすぎる人もいる。

成果を誇りすぎる人がいる。

成果を受け取れない人もいる。

不満をぶつける人がいる。

不満を黙って腐らせる人もいる。

正しさで相手を追い詰める人がいる。

正しさを飲み込んで、何も言わなくなる人もいる。

どちらも、立ち振る舞いである。

人は、能力そのものだけでなく、その人が能力をどう扱うかを見ている。


大差がない時ほど、差が出る。

能力に大差がある時は、わかりやすい。

圧倒的にできる人は、やはり目立つ。

圧倒的にできない人も、やはり目立つ。

しかし、多くの職場では、そこまで差がない。

七十点の人。
七十五点の人。
八十点の人。

このくらいの差で並んでいる。

その時、最後に効いてくるのが立ち振る舞いである。

少し早く相談できる。
不都合なことを隠さない。
人の功績を奪わない。
雑に扱われた時にも、感情を暴発させない。
相手の立場を見て言葉を選べる。
自分の正しさを、相手が受け取れる形にできる。

この差は、成果物だけを見ると見えにくい。

しかし、一緒に働く人には残る。

この人には早めに相談したい。

この人には少し難しいことを任せたい。

この人とは、長く仕事ができそうだ。

この人がいると、場が荒れにくい。

そう思われる。

これは、能力とは別の資産である。


成果を出しているのに、信頼されない人。

成果を出しているのに、信頼されない人がいる。

仕事は速い。
頭もいい。
数字も作る。
論点も見える。
間違ったことを言っているわけでもない。

それでも、周囲が距離を取る。

なぜか。

立ち振る舞いが、周囲の消耗を生んでいるからである。

いつも正しさで押してくる。
相手の未熟さを見下す。
自分の成果を過剰に守る。
失敗した人への言葉が冷たい。
面倒な仕事を、うまく避ける。
不満を、周囲ににじませる。
感謝を受け取らず、さらに不足を訴える。

こういう人は、成果を出していても、周囲に疲労を残す。

一緒に仕事をした後に、少し荒れる。

その場にいない時に、誰かがフォローしている。

本人の成果の裏側で、関係の修復コストが発生している。

ここを本人は見落としやすい。

「成果を出しているのに、なぜ評価されないのか」と思う。

しかし、組織は成果だけを見ていない。

その成果が、周囲をどう扱いながら生まれたのかも見ている。


立ち振る舞いは、場への貢献である。

立ち振る舞いは、個人の印象管理ではない。

場への貢献である。

会議で、論点を整理する。

誰かの発言を拾う。

異論を、相手を潰さずに出す。

決まったことを、静かに引き受ける。

できないことを、早めに伝える。

不満を、攻撃ではなく改善に変える。

成果を、自分だけのものにしない。

こうした振る舞いは、派手ではない。

しかし、場を壊さない。

場を少し前に進める。

人が働きやすくなる。

次の相談がしやすくなる。

失敗が隠れにくくなる。

小さな信頼が積み上がる。

これは、成果である。

数字に出にくいが、確かに成果である。


立ち振る舞いは、評価される人と期待される人を分ける。

評価される人は、過去の成果で見られる。

期待される人は、次に任せられるかで見られる。

この二つは似ているが、同じではない。

成果を出した人が、必ず次も任されるとは限らない。

逆に、成果が突出していなくても、次の機会を渡される人がいる。

なぜか。

立ち振る舞いに、未来の信頼が含まれているからである。

この人は、難しい局面で崩れにくい。

この人は、迷った時に相談できる。

この人は、都合の悪いことを隠さない。

この人は、自分の正しさで場を壊さない。

この人は、任せた後の関係コストが低い。

そう思われる。

これは、能力の問題でもあり、能力の問題ではない。

能力が同じくらいなら、立ち振る舞いが次の機会を決める。


人事や管理職は、何を見るべきか。

人事や管理職は、能力と成果だけを見ていると、人を見誤る。

もちろん、能力も成果も重要である。

しかし、それだけでは足りない。

成果の出し方を見る。
場への影響を見る。
不満の扱い方を見る。
正しさの出し方を見る。
失敗後の振る舞いを見る。
他者の成果への態度を見る。
任せた後の関係コストを見る。

ここを見る必要がある。

仕事ができるのに、周囲が疲弊している人。

成果は出ているのに、次の人が育っていない人。

正しいことを言っているのに、誰もついてこない人。

こういう人を、単に優秀と扱うと、組織は少しずつ荒れる。

逆に、派手な成果はないが、場を整え、相談を生み、失敗を隠さず、人を前に進ませる人がいる。

この人を見落とすと、組織は静かに土台を失う。


どう立ち振る舞えるか。

最後に問われるのは、ここだと思う。

何ができるか。
どんな成果を出したか。
それも大事である。

しかし、能力も成果も大差がない場面では、もう一つの問いが残る。

あなたは、どう立ち振る舞えるか。

正しい時に、どう振る舞えるか。
悔しい時に、どう振る舞えるか。
評価されなかった時に、どう振る舞えるか。
誰かが失敗した時に、どう振る舞えるか。
自分の成果が見えにくい時に、どう振る舞えるか。
不満がある時に、どう振る舞えるか。

ここに、人の仕事ぶりが出る。

能力は、仕事を前に進める。
成果は、組織に貢献する。
しかし、立ち振る舞いは、その人とまた仕事をしたいかを決める。

ここは、とても大きい。

仕事は、一度きりの成果で終わらない。
次の機会がある。
次の関係がある。
次の役割がある。

その時に残るのは、能力の記憶だけではない。
成果の記録だけでもない。
その人が、どう場にいたかである。

能力差より、立ち振る舞いの差が残る。
そして、その差が、次の信頼を連れてくる。


根拠・確認メモ

本稿は、評価、信頼、管理職育成、インテグリティ、人事思想を接続する概念記事である。

中心概念は、立ち振る舞いの差。

立ち振る舞いの差とは、能力や成果の大きさだけでは見えない、正しさ、不満、成果、失敗、感情、他者への態度の扱い方の差である。

この記事では、能力や成果を軽視していない。

能力と成果が大差ない場面で、信頼、任せやすさ、次の機会を分けるものとして、立ち振る舞いを扱っている。


関連記事


#AI
#人事
#HR
#人事の仕事
#これからのHR
#仕事観
#評価
#信頼
#立ち振る舞い
#パーソナル分析
#キャリア
#管理職
#マネジメント
#人事評価
#インテグリティ
#人事思想
#組織開発
#リーダーシップ
#成果
#能力
#職場
#働き方

いいなと思ったら応援しよう!

この記事が参加している募集