【076】 朱雀大路と朱雀門
(*写真はブッポウソウ目カワセミ科ヤマショウビン属アカショウビン、異名は火の鳥)
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ある日の暮方の事である。一人の下人が、羅生門の下で雨やみを待っていた。
広い門の下には、この男のほかに誰もいない。ただ、所々丹塗の剥げた、大きな円柱に、蟋蟀が一匹とまっている。羅生門が、朱雀大路にある以上は、この男のほかにも、雨やみをする市女笠や揉烏帽子が、もう二三人はありそうなものである。それが、この男のほかには誰もいない。
何故かと云うと、この二三年、京都には、地震とか辻風とか火事とか饑饉とか云う災がつづいて起った。そこで洛中のさびれ方は一通りではない。旧記によると、仏像や仏具を打砕いて、その丹がついたり、金銀の箔がついたりした木を、路ばたにつみ重ねて、薪の料に売っていたと云う事である。
洛中がその始末であるから、羅生門の修理などは、元より誰も捨てて顧る者がなかった。するとその荒れ果てたのをよい事にして、狐狸が棲む。盗人が棲む。とうとうしまいには、引取り手のない死人を、この門へ持って来て、棄てて行くと云う習慣さえ出来た。そこで、日の目が見えなくなると、誰でも気味を悪るがって、この門の近所へは足ぶみをしない事になってしまったのである。
『羅生門』(芥川龍之介)
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「【042】 亀頭とアーモンド」で説明済みだが、三大チャイナ文化は、漢字、儒教、道教、というのが、私の見立てである。その境目は、
儒教:北部+支配層
道教:南部+庶民層
であり、儒教と道教をさらに分かりやすく定義すると、
儒教:左脳(考えろ、感じるな。)
道教:右脳(考えるな、感じろ。)
儒教は徹底して思考と理論を重んじる。一方の道教は、占い、呪い、芸術、音楽、祭り。
チャイナの儒教には詩作以外の芸術はない。動物もほぼ無視。そして肉体を鍛えるのは下民がすることであり、武術もスポーツもない。死後の世界もない。
『論語』の第七編「述而」には、「子不語怪力亂神(し かいりょくらんしんを かたらず)」とある。超能力、祟り、妖怪、鬼神、死後の世界については言及しない、という主旨だ。ただし否定はしない、言及しないだけ、これがミソ。なお「鬼」は、道教における「死者」である。
神話、干支、節季、風水、書道、水墨画、太極拳。これらはすべて道教に由来する。道教の目的は、仙道を極めて不老不死の仙人になること。仙道の極意は「呼吸法」だ。神獣がいるのも道教。朱雀は道教由来である。
道教では、朱雀は南の守護神。都の宮殿の南門が朱雀門で、そこから真南に伸びる通りが朱雀大路、その最南端の城壁との境界が羅生門だ。
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『古事記』では、百濟の和邇吉師が『論語』と『千字文』を、『日本書紀』では、王仁が「習諸典籍」を日本に伝えた。これが儒教であり、日本初輸入の「外国の教え」である。
又科賜百濟國 若有賢人者 貢上 故受命以貢上人 名和邇吉師 卽論語十卷 千字文一卷幷十一卷 付是人卽貢進
『古事記 中卷 應神天皇』
十六年春二月 王仁來之 則太子菟道稚郎子 師之 習諸典籍於王仁 莫不通達 所謂王仁者 是書首等之始祖也
『日本書紀巻第十 譽田天皇 應神天皇』
次いで仏教。百濟の聖明王が、仏像と経論(仏典)を日本に持ってきた。
冬十月 百濟聖明王 遣西部姬氏達率怒唎斯致契等 獻釋迦佛金銅像一軀 幡蓋若干 經論若干卷
『日本書紀 巻第十九 天國排開廣庭天皇 欽明天皇』
実際の年代については様々な説があるのであえて書かないが、第15代応神天皇の代に儒教が、第29代欽明天皇の代に仏教が伝わったことになっている。
では道教は日本にいつから入っていたのか?
私は、儒教よりさらに数百年古いと考える。道教はあまりに古くから日本にあり、政のイベントとして認識されていなかった。だから記紀にも記録はないのだろう。遥か昔より、チャイナ南部の戦争難民(=帰化人)から伝わっていたのだと推察する。
なお朱雀の初出は以下。
三月乙巳朔辛酉 阿倍大臣薨 天皇幸朱雀門 舉哀而慟 皇祖母尊 皇太子等及諸公卿 悉隨哀哭
『日本書紀 巻第廿五 天萬豐日天皇 孝德天皇』
第36代孝徳天皇の代には、すでに朱雀門があった。日本三番目の元号「朱鳥」は朱雀の別名だとする考えもある。日本で七番目の元号は「霊亀」。亀を目出度いものとする考えも道教だ。
次は、朱雀の反対、北の守護神を見てみよう。
