【131】 柿と臼と猿蟹合戦
(写真はカキ)
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蟹の握り飯を奪った猿はとうとう蟹に仇を取られた。蟹は臼、蜂、卵と共に、怨敵の猿を殺したのである。
――その話はいまさらしないでも好い。ただ猿を仕止めた後、蟹を始め同志のものはどう云う運命に逢着したか、それを話すことは必要である。
なぜと云えばお伽噺は全然このことは話していない。
いや、話していないどころか、あたかも蟹は穴の中に、臼は台所の土間の隅に、蜂は軒先の蜂の巣に、卵は籾殻の箱の中に、太平無事な生涯でも送ったかのように装っている。
しかしそれは偽である。彼等は仇を取った後、警官の捕縛するところとなり、ことごとく監獄に投ぜられた。しかも裁判を重ねた結果、主犯蟹は死刑になり、臼、蜂、卵等の共犯は無期徒刑の宣告を受けたのである。
お伽噺のみしか知らない読者はこう云う彼等の運命に、怪訝の念を持つかも知れない。が、これは事実である。寸毫も疑いのない事実である。
蟹は蟹自身の言によれば、握り飯と柿と交換した。が、猿は熟柿を与えず、青柿ばかり与えたのみか、蟹に傷害を加えるように、さんざんその柿を投げつけたと云う。
しかし蟹は猿との間に、一通の証書も取り換わしていない。よしまたそれは不問に附しても、握り飯と柿と交換したと云い、熟柿とは特に断っていない。
最後に青柿を投げつけられたと云うのも、猿に悪意があったかどうか、その辺の証拠は不十分である。
『猿蟹合戦』(芥川龍之介)
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さるかに合戦は、数ある日本民話の中でもかなりぶっ飛んでいる。という認識はなかったのだが、これも白人からの指摘で気づいた。内容がクレイジー過ぎると言うのだ。
私の息子が保育園に通っていたときのことである。日本の民話絵本の購読サービスを利用し、月に一回、保育園経由で配布される。そして息子のクラスメイトにハーフの男の子がおり、彼の母はイギリス人。
彼女は日本文化を学ぶべく、民話絵本を子供のため、というより自分のために読んでいた。そこである会合で質問攻めにあった。さるかに合戦の月だ。
芥川版では、臼、蜂、卵だが、その絵本では臼、栗、蜂、牛糞。
彼女はまず、柿を知らず。柿はユーラシア東部と日本にしかなかった。英語のパーシモンは、アメリカ先住民語の「干し果実」が語源だそうだが、英語でパーシモンと言えば、柿の近縁のアメリカガキの建材としての木であり、その後はゴルフウッドのヘッドを指した。白人には柿の実を食べる習慣がなかったのだ。
1990年代から、日本の柿がとくにフランスで注目されるようになり、高級デザートの Kaki として普及が始まった。スペインではフランスへの輸出向けに Caqui 栽培を始め、今では世界二位の輸出国となっている。
Kani も Kaki も日本発祥なのだ。Kani の話は「【129】 カニカマとカイガラムシ」で紹介済みだ。
そして彼女は臼も知らず。西洋には粉を挽く石臼はあっても、木製の臼はない。チャイナにもない。チャイナは西洋と同じ小麦食だから。
「臼」は石臼の象形文字だ。日本には石臼はなく、チャイナには木臼はなく、日本では木臼に「臼」を当てた。
「臼」の Wikipedia を覗いてごらんなさい。チャイナ語版はないから。あるのは日本語、英語、フランス語、イタリア語で、すべて日本の臼の説明だから。
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動物を擬人化した民話は世界中にある。イソップ寓話には「カニとキツネ」があり、ギリシャ神話のカニは、ヘラクレスに戦いを挑むも、踏み潰されて星座になった話を「【121】 かに座の女の子って どこか少し大胆」で紹介した。
だからサルとカニの闘争も、まあ許容範囲だ。植物も大樹などは、ごく稀だが擬人化されることはある。
しかし木の実、道具、ましてウンコを擬人化する民族はどこを探してもいない。牛糞が昆布のバージョンもあるが、昆布だったとしても外人には理解不能であろう。
