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【224】 南方熊楠と托枳尼

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(写真は荼枳尼天だきにてん

狐と人間との関係は、もつと溯つて言ふ事が出来る。平安朝の極の初め、嵯峨天皇の時に出来たものだが、内容は殆ど奈良朝気分を持つて、奈良以前の伝説を書いて置いた日本霊異記の中に、美濃の国の狐ノアタヘ(又、美濃狐)と言ふ家に関した伝説が載つてゐる。

欽明天皇の御代、其家の祖先なる男が、途中で遇うた美しい女を連れ戻つて、夫婦になつた。其女が、子どもを産んだ。其子の産と殆ど同時に、其家の犬が亦産をした。其犬の子が、翌年の春、庭を歩いて居る其女房に咬みついた。驚いた余りに、元の姿を顕して、垣に逃げのぼつて、家を出て行かうとした。

夫がなごりを惜しんで、此からも毎夜「来つゝ寝よ」と言ふと、夜は来ることになつた。それで子の名を「きつね」其獣の名も「きつね」といふ様になつたとある。此子、力は人に優れて居たのみか、其四代目の孫女に、馳ける事極めて捷く、力逞しい女が出て居る。

此「狐ノアタヘ」まで溯れば、まづ日本に於ける狐と人との交渉の輪郭は話し得たことになる。

日本の狐も、上古と近世には、やさしい感じを持つて語られて居るが、平安朝から後久しく、恐しくて執念深いものとなつたのは、の修法の対象として使はれたせゐであらうと想像してゐる。ところで、日本の動物中、さうした点で狐と勢力争ひの出来るのは、まづ蛇であらう。蛇との交渉が古い処に多く、狐との関係は、わりあひ新しい時代に殖えて来た様にさへ思はれるのである。

(中略)

神と、其祭りの為の「ニヘ」として飼はれてゐる動物と、氏人と、此三つの対立の中、生け贄になる動物を、軽く見てはならない。其は、ある時は神とも考へられ、又ある時は、神の使はしめとも考へられて来たのである。

遠慮のない話をすれば、属性の純化せなかつた時代の神は、イケと一つであつた様に考へられる。さうして次の時期には、其神聖な動物は、一段地位を下げられて、神の役獣と言ふ風に、役霊の考への影響をとり込んで来る。さうした上で、一方へは、使はしめとして現れ、一方へは神だけの喰ひ物と言ふ様に岐れて行く。此次に出て来るのが、前に言うた、神の呪ひを受けた物、と言ふ考へ方である。

稲荷の狐は、南方熊楠翁の解説によれば、托枳尼修法の対象なると言ふ狼の様な獣の、曲解せられた物だと言ふ事である。其は、外来のものであるが、固有の使はしめと思はれて居るものにも、此類の役獣がありさうな暗示にはなる。

山王の猿は「シロの猿」と称せられた様である。此は使はしめの意義を、正しく見せてはゐる。けれども、山王権現に対するおほやまくひの神の本体が、もつとはつきりせぬ間は、生得の使はしめかどうかは、疑ひの余地がある。

鳩・鴉・鷺・鼠・狼・鹿・猪・蜈蚣・亀・鰻と言ふ風に、社々の神の使はしめの、大体きまつて居るのも、犠牲料の動物の側から見れば、説明がつく。

『信太妻の話』(折口信夫)

「日本霊異記の中に、美濃の国の狐ノアタヘ」については、「【221】 岐都禰と野干」を一読されたし。

次章でも荼枳尼天だきにてんを見て行こう。

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