2025/11/18 憧れの人の面影と今の私 〜言葉にできなかった思いをほどく朝〜
2025/11/18
窓を開けると、曇り空の下に冷たい空気が流れ込んできた。眠気の残る頭をひやり目覚めさせてくれる。
「今日も静かな朝が始まった」と思いながら、昨日の賑やかさの余韻がほっこりと嬉しい。
誰かをもてなす時、思い出すのは幼い頃に通っていた幼馴染のおばあちゃんのこと。
いつも手作りのお菓子やフルーツをさっと出し、家中を駆け回る私たちを編み物をしながら見守ってくれていた。
実母でも祖母でもない。
でも私の中で「こんな女性でありたい」と思う大人。
いつの間にか心のどこかでその人を思い浮かべている自分に気づく。
昨日のピザの具でトーストを作りながら、「喜んでもらえることは、やっぱり嬉しいな」と思った。
届いた言葉が、胸に引っかかる
昨夜、それぞれのママ友たちとのLINEが何往復も続いた。感謝の言葉が並ぶ中に、ひとつだけ、引っかかる一文があった。
「私は楽しませ方を知らないから、すごくありがたい」
悪気がないことは分かる。
感謝として送ってくれた言葉だともわかる。
だけど、なぜか胸の奥がずっともやっとしていた。
ピザ作りは、実はそんなに特別なことじゃない。
発酵も成形も、子どもたちは話せば理解して動ける年齢。だから「すごく頑張った」わけではなく、ただ楽しかっただけ。
なのに、なんでモヤモヤするんだろう。
仕事の合間にふと考えて、ようやく気づいた。
できないというより、考える手前で諦めているように感じたからなのかもしれないなと思った。
そして、さらに深掘っていたら、「あなたとは違う」と壁を作られたように感じていたんだと気付いた。
「楽しませ方を知らない」という言葉の裏に、小さな諦めのようなものを感じて、私はただただ寂しくなっていたんだと思う。
自分の当たり前を大切にするために
その人が自分に貼っているラベルのように感じられて、少し胸がきゅっとしたのも事実。
比べなくていいのに、と思う。
誰かと比べて線を引く必要なんてないのに。
でも、「最初から無理」と決めてしまう姿勢が、私にはどうしても引っかかる。
これは能力の問題じゃない。
価値観や、日々の小さな選択の積み重ねだと思う。
誰かに合わせるのではなく、自分のやり方や価値観をそっと守る。そのためには、感じた違和感をなかったことにしないことって大切だと思う。
でも、諦め癖って、大人になるにつれて無意識に身についていくもので。「できない」を受け入れることと、「やらない」を選ぶことは、似ているようで違う。
そして、その境界線はとても曖昧で、自分自身にも問いかけたくなる。
私は何を諦めて、何を諦めずにいるんだろう。
小さな「楽しませたい」を拾い上げてみる
きっと誰の中にも、「楽しませたい」気持ちはある。
ただ、忙しさや不安や、自信のなさに埋もれて見えなくなっているだけなように思う。
豪華な企画じゃなくても、使い捨てのコップに各自でイラストを描いてもらうとか。「来てくれてうれしい」と一言多く伝えてみるとか。
大事なのは「どうしたら今日いっしょに笑えるかな」と、一瞬でも考えてみること。
昨日のピザも、今朝のトーストも、憧れの人の面影も。全部つながっているような気がする。
「できない」で止まるのではなく、「どうしたらできるかな」と考える姿勢は、持ち続けていたい。
それは誰かのためでもあるし、自分のため。
今日も明日も、丁寧に選び続けたいから。
あなたには、無意識に線を引いて諦めていることはありませんか?
それは本当に「できない」ことですか?
自分の「当たり前」を少し疑いながら、目の前の子どもたちと笑える工夫は続けていきたい。
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