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完全制覇?昭和の「ポンコツ親父」のタイ🇹🇭2拠点生活。持病は、厄介者から「相棒」へ



今回のミッションを70点で終え、タイへ戻ろうとしていた最終日に、新たなどんでん返しが起きた。

「処方箋を受け取る薬局に、顔を出しておこう」

代理を快諾してくれた恩人の、この一言が始まりだった。

そこから私は、思いがけず筋書きのないドラマの主役になってしまったのだ。

62歳、持病を抱えながらの2拠点生活。

「小事が大事」を改めて知る。

5年越しの懸念が「呆気なく」解決。日本での薬の確保というミッション

町中華で祝杯。

餃子とニラレバーは町中華が最高


「本当に良かったな」

30年来お世話になっているカウンターのみの町中華。

名物の餃子とニラレバをつまみに、冷えたジョッキを5杯ほど空けたあたりで、恩人が静かに呟いた。

その一言で、私の中で張り詰めていた何かが、ふっとほどける音がした。

「色々あったなぁ」と、しみじみ思う。

自分がこの数日間、どれほど異常に気を張っていたのかを思い知らされた。

今回は、5年がかりの悲願だった「通院と薬の確保」というミッション完了の祝杯だ。

次回の帰国時の釣行の約束で大いに盛り上がり、大好きなピータンを頼み忘れたことに気づいたのは、すっかり気分が良くなった後のことだった。

それにしても、あんなに奔走したのは何だったのか。

7種類の処方箋


2拠点生活の最大の悩みであるこの問題。

前回の段階で70%の達成と踏んでいたが、帰国前日に見事などんでん返しがあったのだ。

ChatGPTも教えてくれなかった「代理人受け取り」の正解


恩人と共に念のため薬局へ挨拶に赴くと、あっさりと全薬の代理受け取りが了承されてしまった。

受け取り時に患者本人のマイナンバーカードや健康保険証不要。

「病院の指示があり、今日、本人と代理人の関係と身元の確認が取れたため」とのこと。

嬉しいを通り越して、呆れ果てた。

「だめだこりゃ」ではなく、「なんだこりゃ」である。

出典元  政府広報オンライン  とどくすり
相談はかかりつけの病院と薬局に直接行うのがベターと思います。



数多くの資料や情報を取り寄せ、リフィル代理人受け取りルールの難解さに頭を抱えていたのは何だったのか。

あれほど駆使したChatGPTの情報すら不要だったという結末に、もう苦笑いするしかない。

本来ならここで手放しで喜ぶ場面だが、私の「KY(危険予知)」が厄介な反応を示す。

物事が上手くいきすぎると、かえって疑って身構えてしまうのだ。

改めて郵便局へ相談に行くと、

「多量の薬を一度に郵送すると、税関で止められる可能性も」

とのアドバイス。

結局、タイでは入手不可能なエフィエント(1ヶ月分)のみを郵送に指定し、残りの不足分はバンコクで調達するという、なんとも小賢しいリスクヘッジを私は選んだ。

こちらはネットにも情報が少なく、頼みのChatGPTからも的確な回答は得られなかったからだ。

それでも達成度は85%。

前日からは15%のアップである。

やはり私は「持っていた」のだろうか。

これで不安はほぼ解消された。

ようやく、心置きなくタイへ帰れる。

日本の夜の喧騒が、この時ばかりはやけに心地よく耳に響き、残りの大好きなプレミアムモルツが五臓六腑に深く沁み渡っていった。

だが、この60代の身についた「KY(危険予知)」という警戒心が、本当に消えたのは翌々日のことだった。

深夜のバンコクに降り立った瞬間のことである。

身体が教えてくれた、私の生活拠点


深夜のスワンナブーム空港


スワンナプーム空港の自動扉を抜け、バンコク特有の、あのまとわりつくような熱気を全身に浴びた瞬間だった。

身体にある「異変」が起きていることに気がついた。

日本であれほど私を悩ませていた目の痒みと、鼻のグズグズが、ピタッと止まっているのだ。

薬を飲んだわけでもない。

ただ、タイの空気に触れただけである。

何とも「現金な身体」である。
我ながら驚くほかない。

ほんの十数時間前まで、日本のルールやシステムに対してガチガチに身構え、厄介な「KY(危険予知)」を張り巡らせていたというのに。

私の身体は、もうすっかりタイで暮らすことに馴染んでいたのだ。

そんな少しおかしくて、思わず苦笑いしてしまう気持ちのまま、深夜のバンコクを走るタクシーの窓の外を眺めた。

流れていくオレンジ色の街灯をぼんやり見ているうちに、

「やっと自分の居場所に戻ってきたんだな」

という気持ちが、少しずつ心の中に広がっていった。

タイに戻った当日。

遅めの朝食、あるいは早めの昼食をとるために近所の人気店へ向かった。

1日に20羽以上の鶏を捌くという、ここのところのタイ帰還時の定番スポットだ。

注文するのはもちろん、カオマンガイ。

この時ばかりはカロリーなど気にせず、皮を少し多めにしてもらう。

鶏ガラがたっぷりと効いた特注の大盛りスープと一緒に、一気に胃へ流し込む。

「とにかく、美味い」

これが第一声だ。

鶏の旨みを全て堪能。

顔馴染みのお店の方からは、

「日本はどうだった?」

と声がかかる。

「花粉症が酷くて困ったよ」

と笑って答えると、

「じゃあ、PM2.5のほうが良い?」

と見事な逆質問。

この軽口を叩き合える居心地の良さが堪らない。

しかも、価格はたったの40バーツだ。

食べ物で感動するという体験には、「味と値段のアンバランスさ」が大きく寄与していると私は考える。

このクオリティなら、日本で160バーツ以上出しても間違いなく人気店になる味だ。

その圧倒的なアンバランスさこそが、タイの日常の豊かさなのだ。

これで40バーツ 約180円


そして早い夕食は、先月5年以上ぶりに再会したガパオの名店「ウタイ」へ足を運んだ。

かつて日本人が多いプロンポンエリアで有名だったこの店。

コロナ禍で閉店したのではなく、移転していたのだとYouTubeで知り、居ても立っても居られず先月訪問した経緯がある。

日本へ戻る日の昼食もここでいただき、その時、

「タイに戻った当日にまた来るよ」

と約束していたのだ。

店に着くや否や、

「今日、戻って来たの?」

「今日はカナームーグローブ食べる?」

「日本はどうだった?」

と矢継ぎ早の質問攻めに遭う。

ここでも、自分の生活の中心が、もうタイにあることを暖かく感じさせられる。

今回は定番中の定番、この店独特のインゲン入りガパオムーサップを注文する。

そして「緑の友」ことチャーンビールのお供には、カナームーグローブ(カリカリ豚と芥藍菜の炒め物)を。

実を言うと、店に着いた途端に「歓迎の土砂降り」に見舞われ、そのまま雨宿りを兼ねた約3時間の滞在となってしまったのだ。

緑の友は順調に朝昼晩、3食分の3本空き、最後には5年以上前に大好きだったイカチャーハンまでオーダーしてしまった。

完全な食べ過ぎだが、この居心地の良さには抗えない。

「食べ物は心を豊かにしてくれる。」

は間違いない。

極めつきは、店主からの

「昨日、日本人が2人来てくれて嬉しかった。」

という報告だった。

BTSの駅からも遠く、住宅街にあり分かり辛い場所なのに、わざわざ場所を調べてモーターサイ(バイクタクシー)で来てくれたのだという。

タイ人同様、日本人も美味しい料理には目がないのだなと、なんだか微笑ましく、嬉しくなった。

約束通りに戻ってきた馴染みの店で、容赦ないスパイスの香りと冷えたビールを胃に落とし込む。

この心地よさこそが、今の日常なのかも。

その事実を痛感し、深い安堵と心地よさに包まれていた。

日本のルールや花粉に悩まされていた数日前が、まるで遠い昔のことのように思えた。

名物のガパオムーサップとカナームーグロープ 
緑の友も


「持病」を厄介者から「仲間」へ引き入れた


ウタイでの心地よい満腹感と酔いを抱えたまま、自宅のコンドミニアムへと帰り着いた。

ここ数日の溜まった連絡に目を通し、日本のニュースをぼんやりと眺める。

暫くして、タイの40度の米酒をグラスに注ぎ、炭酸で割ってライムをギュッと絞った。

イサーン(東北)地方に住んでいた頃によく飲んでいたお酒と飲み方だ。

ライムの香りが際立つ。

こういうところにも、タイ生活が染み付いている自分を感じる。

一方で、テーブルに並べたつまみは、大好きな日本からわざわざ持ってきた落花生。

こちらだけは譲れない「日本仕様」である。

40度のお酒にライムは最高の組み合わせ?

ふと、頭の中にこんな言葉が浮かんだ。

高橋克典さんの『私が日本に住む理由』で印象に残っている、「How strange life is !(人生とは不思議なものだ)」というフレーズだ。

……そういえば、昭和の頑固オヤジというのは、不思議と英語のメッセージを使うと少しカッコ良いと思ってしまう。

我ながら、実に昭和らしい発想である。

誰に気兼ねすることもない静かな部屋で、一人グラスを傾けながら、しみじみとこの数日間を、いや、この5年間を振り返る。

本当に、時間も労力もかかった。

決して自分一人では辿り着けなかった道だ。

周りの方々の多大なる協力があって初めて成し遂げられた、「5年来の目標完全達成」である。

ずっと背負い続けてきた一番の重荷を、ようやく下ろすことができた。

……とはいえ、どこか拍子抜けした気がしないでもない。

だが、これで本当の意味での2拠点生活のスタート地点に立てたのだ。

その確かな実感が、炭酸とライムの心地よい刺激とともに身体の隅々へと染み渡っていく。

62歳のポンコツな身体と始める、真の2拠点生活


もちろん、これからの日々も様々なハードルや水濠といった障害物が立ちはだかるだろう。

いや、実際には今、既にいくつも抱えている。

白内障に、抜歯後の入れ歯。

脱臼の後遺症に、今後の医療保険問題……。

数え上げればキリがない。

9月には初めての90日レポートも待ち構えている。

オプションの加湿器を装着したCPAP


それでも、最大の関門を突破した今、前途の視界は驚くほど澄み渡っている。

これからも決して、真っ直ぐになんて進めないだろう。

ふらふらと悩み、寄り道をしながら、自分だけの心地よい「悠遊居」を探す旅を続けられるだろうか。

Life be a joyful one.(喜び多き人生を)。

新しく始まる真の2拠点生活の幕開けに、乾杯。

ワット・アルンの夕暮れとともに



正直、ここに辿り着けるまで5年掛かるとは思っていませんでした。

でも何とかなるもんです。

「持病があるから」

「もう若くないから」

と2拠点生活を諦めかけている方がいたら、この記事が小さな勇気になれば嬉しいです。


宜しければ、お暇な時にこちらもお読みください。

【参考記事】

🇹🇭5年越しの悲願達成!通院帰国半減のはずが最後に予期せぬ伏兵「抜歯」

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