5.パンピー
シャワーを浴びる。テラGはいろんな意味で、俺には有り難くないけれど、どこにも漂わず体を打って水滴が足の方向に行儀よく落ちていく、こいつは本当に気持ちいい。ちゃんとバスタブに溜まるお湯ってやつもそうだ。風呂はテラGが断然快適だ。やはり、水ってのは、重力がきちんとある環境と相性が良いんだよなぁ。
プールに棲息している野郎どもは、こんなものでまで体を痛めつけたいのか、普通の手加減で蛇口を捻って出てくるお湯の勢いは、凶悪だった。
昨日はうっかり考えなしに使おうとして死ぬかと思った。まさか水で骨までは折れないだろうが、青あざにはなりそうなほどの衝撃だった。銃火器に狙われたり、撲殺されたりするなら絵になるというか、世間さまの同情も引けようが、『粗忽な宇宙人、シャワーに打たれ死亡』じゃぁ、かっこ悪いにもほどがある。そんなのがネットニュースのヘッドラインに流れたら、飛竜なら泣く前に爆笑しかねない。親友に笑顔で送られるってのは、まあ……悪くないのかもしれないけど、そんなんは俺は「ごめんこうむる」だね。
昨日に賢く学んだ俺は、今日は加減してちょろちょろと水が滴り落ちる程度にしてから蓮口の下に身体を滑り込ませた。汗をお湯が流していくのは、極上の快感だ。こればっかりはゼロGでは味わえない感覚だ。
ロッカールームは、筋肉美が大好きな人なら涎を垂らしそうな、素晴らしい肉体の展示場だった。確かに絵になるしカッコいいと思う。クソ、ちっと羨ましい。俺の相棒たちは、重力環境にへつらうこともない人工筋肉と、金属骨だから、いつまでも同じ体型を維持しているが、5年以上の無重力環境で、天然もの俺の土台は見事に崩れまくった。
あの体を見せびらかす作りになっているスペースジャケット生地のツナギ服は、ライダースーツというそうだが、そいつを着込んでいるやつはコレから地球に突っ込む予定なのかもしれない。連中は何を着ても似合う。俺は流石にここで制服(有体に言えば軍服)を着る訳にはいかないから、少しでもテラGの負担を減らすべく、スーパーで買ってきた体に密着していないノーマルタイプのスペジャケを着込んだ。惨めに弛んだ俺が市販のスペジャケを着ると、まさに、宇宙飛行士のコスプレをしたイカれた民間人、といったザマになる。哀しい。
空調ユニットを稼働させる。民間に流通してるユニットは心持ちデカい。こいつのお蔭で、汗をかかない温度と乾燥しない湿度が保たれる。だから普段の生活では俺は汗をかかないことになっている。
いつもは毛穴に皮脂や剥落した角質が溜まる頃に、キャッチャー母船を無人浮遊桟橋(フローテージピア)に着桟させて、そこの設備であるシャワーを使う。全方向から噴射される霧に十数秒曝されるだけで、一応生物的な汚れは落ちているそうだ。
疑わしいもんだが、深く考えないようにしている。ロスコン拾いの現場は人口過疎地だから、水の補給は年に数回数えるのみだ。つまり、貴重品の水は、基本的には排泄物も含めて完全リサイクルを建前にしている。有り難く使っているキレイなはずの水の「真実を」追究するなんて、止めといた方が、精神衛生上、絶対いいと俺は思うね。
「ちょっと待てよ」
フィットネス・ジムを出た直後に、呼び止められた。ライダープールの人口の内、恐らく八割以上が宇宙船操船専門学校出だと思う。港湾都市コロニーである『サンガ』は、極東アジア国のものだ。国立の専門学校は三つしかない。だから俺たちが出た、就職率でトップを誇るネオシャンガン出がその中の半数を占めていると考えてもいいだろう。つまり先輩後輩を含めて、俺を知っている奴がいてもおかしくはない。が、俺ときたら、過去にこだわらないが行き過ぎて、学生時代なんぞキレイさっぱり記憶の彼方に霞んでいる。親しく付き合っていた顔しか覚えていない。
記憶をかき集めて思い出そうと試みる。そうだ。俺を呼び止めた奴は、ザキさんワールドで思考力が一時停止していたとき、にらみ付けてきた男だった。上下も左右も、ガタイがいい飛竜よりも二周りほどでかい。つまり不必要に巨大ってことだ。
「お前……、オヤジ面下げて、新人ライダーって訳じゃねえだろう?」
声も野太いって種類のやつだった。俺は頷く。こちとらライダーとしてなら年季が入ってる。テラGに突っ込んでないだけで、紙みたいにうすっぺらい質量の小型船に何年乗ってると思っているのだ。ぺーぺーなんて呼ばれる筋合いはない。
「ここはライダープールだ。なんでライダーでもない奴がウロチョロしてる。目障りなんだよ」
ふざけてからかうか、真面目に答えるか悩むところだ。交ぜっ返す方が俺スタイルなんだが、こいつらに冗談で殴られるには、宇宙人はハンディがありすぎる。こいつにしても、軽く脅かしでジャブ喰らわせだけの俺が昇天しちまって、過失殺人罪に問われちゃ気の毒だ。うーん、スペジャケ買ったときに背中に『I’m 宇宙人』とでも印刷してもらえば良かったな。
「テラG慣らしさせてもらってるだけですが、何か?」
若造にデスマスで話してるだけでも、むず痒い……。
「テラG慣らしなら、サンガの│一般宇宙港《パンポー》でやれよ。おっさん」
「ぱんぽー?」
聞き慣れない言葉に引っかかってしまった。男が舌打ちする。
「ったく、これだから一般人は……」
「ぱんぴー?」
言葉に出して繰り返すには全く間抜けた響きの言葉だ。それにしても全く意味が分からない。業界っていうのは短い内輪で通じる言葉を作り出しがちだが、「ぱんぽー」に「ぱんぴー」なんてのは、なんか、明るくていい。俺の趣味に妙に合う。
「とにかく、鬱陶しいンだよ。明日もここに顔出してみろ。二度と来たくないって思いはさせてやるからな……」
ははぁ。このお兄ちゃんも飛竜と一緒でザキさんファンね。ザキさんが俺を構うのが面白くないって訳か。……デカいナリして、小学生か? こいつ。
「明日もラスまでザキさんに食らい付いて、ご褒美お願いしようと思ってるんだけどなぁ」
「ご褒美って……」
「ほっぺにチュー」
……まずい。純情な若者をからかってどうする……俺。パンピーときたら、マジで頭から湯気でも出てそうな雰囲気だ。
「……明日まで待つつもりが無くなったぜ」
マッチョ・パンピーが両手の指を組み合わせて握り合わせる。ボキボキと小気味いい音が聞こえた。空間が振動して、鼓膜に音が届くってことは、ここは隅々まで可住大気で満たされてるってわけだ。さすがコロニー、贅沢にできてる。空気の振動がある空間は、音が豊かだ……。ちょっと待って。パンピーちゃん。貴男が殴ったら、俺、死にますけど……。
奴の大きな手が俺の胸ぐらを掴みにのばされてくる。えっと、絶体絶命……かな。もしかして。
「タカさん。さっそくキリーさん以外にお友だちが出来たの?」
危機感たっぷりな俺の様子を見てから言葉を選んでほしかった。暢気すぎる断言とともに登場したザキさんに、安心したというより、見事に力が抜けた。
「│柏木《かしわぎ》さん……今日もナイス・ファイトでしたぁ……」
パンピーちゃんの本名はカシワギというらしい。柏の木と書くなら、俺の高柳と親戚みたいなもんだ。意味もなく親近感が湧いてくる。
「いや……ザキさんこそ。いつもパワフルで……俺、尊敬してます」
デカいし単純だけど、こいつ可愛い。パンピーの頬は心持ち赤い。パンピーからザキさんの声の方に視線を移した。彼女は太股の半分までの短パンと肩を紐で結んだだけの下着みたいなトップスで、足元はサンダル履き。男の割合が極端に多いこの場所でするには、サービス過剰な格好だった。攻めてるなとも思うが、まぁ、若いし鍛えているだけに、すごく似合っている。
「こいつ、キリーさんの友だち?」
俺を指さす。飛竜のことは「さん」づけで呼ぶ関係なのね。
「なんで、一般人がプールのジムにいるんです? 地球│詣《もうで》にテラG慣らしが要るなら一般宇宙港で十分でしょ? 霧島一族の息がかりでも目障りだと思いません?」
俺の回答では満足していなかったのか、そんな聞き方をザキさんにした。
「違うわよ。一般街区の生活圏はMG(Middle Gravity)でしょ。タカさんゼロGからいきなりテラGまでアップしようとしてるから、重力室だけだと間に合わないらしいわ。急激にG環境変えるのは、実際、危険なんだけど……」
「へ? ……こいつ。宇宙人?」
パンピーの顔が蒼くなった。俺を殴っていたら、殺しかねなかった事に気付いたのだろう。殴らなくて良かったと心の底から思っているに違いない。
「うへ……。めっちゃ、迷惑な奴」
そういいながら、奴は俺をなめるように観察してきた。どうせゼロGで弛んだ体は不細工でしょうよ。勝手に優越感に浸っててください……。
「すごいな。このオヤジ、宇宙人のクセに、ザキさんのプログラムに最後までついていけるんだ。信じられない」
意外なことに称賛の響きが入ってる気がする。宇宙飛行の専門家だけあって、G環境をダウンする簡単さと、アップする困難さは、知識でなく経験として知っているのだろう。
「MG慣らしには、どのくらい期間とったんです?」
いきなり敬語になって聞いてくる。本当に面白い奴だ。
「2週間かな……」
俺まで調子に乗ってぞんざいな口の利き方になった。まぁ、年功序列ってのが有効な世界なら、俺が偉そうにして何も問題はないのだが。パンピーちゃんが大きく目を見開いて、肩をすくめる。
「で、テラG慣らしはどの位する予定なんですか?」
「1週間。それ以上は……余裕がない」
「げ……。死にますよ。突っ込むときのマックスG、いくつになるか知ってます?」
ザキさんもパンピーも、聞いてはならないことを聞いてしまったという顔つきになっている。飛竜の口の固さを、この知り合ったばかりの2人に安直に期待することはできないから、Gコントロール・ユニットについて言及することはできない。一応腐っても軍人だしな……。俺は照れ臭く苦笑いするしかない。
バージ(艀)シャトルは、宇宙港サンガから離桟すると、重力と遠心力がつり合って、一見止まっているように見えるシャトル軌道に入る。写真なんかでは暢気に止まっているように見えるが、その時点での時速は3万キロ超だ。
第二段階として、分厚い大気という抵抗を利用して、普通に大気圏を滑空飛行できる時速千キロ程度まで一気に減速する。ここでの加重されるGは……、宇宙人のオレは想像したくもない。
この大気圏突入時にシャトルがとる角度が浅いと弾かれてしまうし、深すぎると摩擦が強すぎて燃えてしまう。その辺の角度調整は勿論コンピュータに支援してもらってるだろうが、中に乗っている人間のG耐性を支援してくれる装置は今のところない。
だからバージシャトルライダーの連中は、肉体を訓練するしかない訳だ。彼らがそろってマッチョな理由は、つまり、この辺にある。
俺が協力させられることになっているGコントロール・ユニットが本当に眉唾でなければ、この連中の職場環境も大きく激変することになるのかもしれない。ライダープール自体が不必要になる可能性だってある。
俺は中年男の威信にかけて(それほど大げさな話じゃないが)、ザキさんとパンピーを食事に誘った。ザキさんがオーガニックの和食懐石がいいと言い(遠慮のない……)、パンピーがステーキがいいと言い(こっちも)、結局、俺が食べたかった蕎麦屋に入った。
テラGに馴染んでいる奴らは、テラGこそが汁付きの麺類を美味しく食べられる唯一の環境だってことを、まるで有り難いと思ってない。ぶつくさ文句を言っていた。が、確かにペロリと一人前を平らげた割に、二人とも露骨に足りなさそうだ。仕方ない。もう一軒は付き合ってやろう、優しい俺。
「宇宙人やってらしたなら、タカさん、パンピーじゃないっすよね」
蕎麦湯を音を立てて呑みながらパンピーが言う。
「そのパンピーっての何? 凄く気になってるんだけど」
「一般のパン。ピーは……多分people(ピープル)の……ピー」
ザキさんが言う。俺は納得した。じゃぁ同じ解釈で、パンポーは一般宇宙港。パンクは一般街区か……。こいつらの用語は徹底して直線的で捻りというものが全くない。
俺が彼をパンピーと心の中で呼んでいるのが分かったら、この単純な大男は、またしても、激怒するのかもしれない。でも、パンピーが一般人ということなら、軍人に対して、やつらは民間人。完全に一般人だ。うん、パンピーのままで呼称変更の必要なし。
「どんな仕事してらっしゃるんですか?」
パンピーは、そのガタイと顔つきのせいで、損をしているタイプだ。言葉遣いなど第一印象を裏切って│朴訥《ぼくとつ》で、今どき珍しいくらいマトモ。オヤジ受けすること間違いなしのお人柄だ。
「……うん。まぁね」
ゼロGで働いているのは、地球を中心に多少いびつに膨張しつつある植民地開発の最先端でテラフォーミングに携わっている開拓者とか、宇宙植民地の建造者辺りが、パンピーの想像できるいいところだろう。多分、スカダーなんて、存在自体が認識されてない。ついでにスカダーが軍人だってのも……知らないはずだ。テラ・マスドライバー・システム『サヤコ』を極東アジア国軍が独占していることは、意外と一般に認識されていない。
「チェイサー(追跡者)ってのやってる」
若者に見栄を張りたいおじさんは、スカベンジャー・ライダーという卑称を使わず、正式名称で答えた。我ながら……セコイ。
「チェイサー? なんかカッコいい。その実体って、警察かなにか?」
俺は蕎麦湯を噴きそうになった。犯罪者を追いかける仕事? ザキさん、ドラマの見すぎだよ。俺は運送屋。
「いや。追っかけるのは追っかけてるんだけど……、相手はロスト・コンテナだから、飛竜と同業者で単なる運送屋」
「ロスコン?」
パンピーがちょっと顔をしかめた。
「ちょっと待ってくださいよ。タカさん。それってもしかして、スカダー?」
……げ。こいつ、知ってる。
「じゃぁ、タカさん、軍人じゃないっすか」
「えーーっ? タカさんって軍人さん?」
ザキさんが仰け反って大声を出す。蕎麦屋にいた他の連中の視線が痛い。極東アジア軍は(特に日本県においては)自衛隊の昔ッから、国民に敬遠される伝統がある。今こそ俺は断言しよう。極東アジア国軍は、『サヤコ』を民間委託事業とし、従事者を軍籍から抜くべきである。
俺は居心地悪い苦笑いを顔に貼り付けるしかなかった。
「軍人がそれこそなんで、プールで密かにGアップ訓練してるんですか? 必要なら専門の施設があるだろうし、普通はGアップ・トレーナーが付くでしょう?」
パンピーの射るような視線が痛い。
「……ここだけの話しにしてくれる?」
俺は声を思いっきり音量をしぼった。ザキさんもパンピーも調子を合わせて、ぐっと俺の顔に耳を近付けてくる。
「私、おしゃべりじゃありませんよ……」
定番としては、こういう断言をする女の子が一番アテにならない。
「俺も信用してくれて良いっす」
パンピーは論外だ。
「軍の研究者がね、Gアップなしに宇宙人を大気圏突入させて、データとりたいらしいの。Gアップ・トレーニング禁止されちゃったから……ここで隠密トレーニングって訳。まだ死にたくないし……」
「えーーっ。それって酷い。そんなの人権保障委員会に訴えるべきよ」
またしてもザキさんの通りが異常に良い大声だった。やっぱり、Gコン・ユニットについては喋らなくて正解。
「ゼロGからテラGに移行するときの生物の反応は既にデータが出そろってます。今更、そんな常識化してるデータなんか、追加で集める必要はないでしょ? ……軍が研究してる……Gコン。実用段階に入ったって噂あるんですけど、まさか……とは思ってたけど、もしかして、そっちじゃないですか?」
パンピーが訥々と言った。
俺の華奢な心臓が止まりかけた。この、筋肉男。いったい何者だ?
