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6.周回待ち

 綺麗に青が輝いている。

 いつもなら白いだんだらが、ハケでなでたようにあって、あちこちで視界をさえぎっているものだが、今日はやけにくっきりと見事に見える。
 宇宙というスケールで測れば、地表に貼り付いているに等しいシャトル・ロードに無事に乗り自動巡行(オートクルーズ)モードに切り換えた。気象状況や離発着状況を見て地上管制官から突入指示(ゴーサイン)が出るまでの僅かな待ち時間、こうやって眺める景色が、柏木恵心かしわぎけいしんは大好きだった。

 うっすらと雲で霞んだ柔らかい色調のも、目玉で睨み付けてくるサイクロンの渦巻きも、何度見ても飽きることはない。現在、人類が住むことができる範囲の宇宙は、あまりにも静かだ。月も火星もどこか死んでいるイメージがつきまとう。けれど、この母星(テラ)の豊かな水の循環はどうだ。この息吹を視覚化したような雲の動き。

 水。水。水。

 圧倒的な水。命の手応え。特殊にしてかけがえのない、人類の手中にあるただ一つの宝玉。

 そして柏木がダントツに好きなのは、手を伸ばせば触れられそうなくらいに、くっきりと鮮やかな日差しの塊に見えるやつだ。今、ちょうど眼前に広がっているような。
 この景色が見られただけで、今日は一日はツイていると思える。きっと今日も穏やかで何事もない、穏やかな日が過ごせるだろう。ビールの缶を手に、夜の海を見に行ってもいい。木々のざわめきに耳を傾ける夕べも悪くない。

「ワカタカ…号……、ワ…タ……2号、応答……お願い……す」

――きやがった!

 ビシッと背中に一本緊張の筋が通る。緊張といっても、アガリ性の人間が結婚式のスピーチ前に感じるようなアレではない。地球の濃い大気では生きた水がいつも激しく循環している。風向き。強さ。そして湿度、温度。同じ気象条件がシャトルシップに提示されることは二度とない。だから保証された安全などとは無縁。それが大気圏突入という仕事だ。突入前にいつも感じるこの緊張感は、積み重ねられた訓練と現場での経験によって培われた自信に裏打ちされた、心地よい種類のものだ。

 気を引き締めて、しっかり集中して……。いきなりの横風。旋風。大きな翼が煽られるほどの突風。どんなサプライズ・プレゼントが来ても、過(あやま)たず受け止めて、無事に大気圏内の航空高度で飛行できる時速千キロ程度までに減速する。これが第一段階。そして、今度は飛行機乗りに転職して、着陸(ランディング)する目的地の宙港のコントロールゾーンまで移動する。

 混雑状況によって、地上管制タワーからの誘導方法は異なる。たとえば、GCA(Ground Controlled Approach)は、地上のレーダー担当がレーダースコープ2基でモニターし、機体を追尾、無線で「左3度下がって」など音声で誘導する方式。人類が地球だけで活動していた頃の空母着艦なんかが代表格だ。
 一方のILS(Instrument Landing System)は、滑走路に設置された電波ビームを頼りに機体側が自動で着陸するテクシステムだ。旅客機の多くがこれで着陸している。

 地球の航空輸送網の一般空港パンコーでは、視界がほぼゼロの状況で計器着陸ということもあるらしい。もっともスペースシャトルが発着する宙港は、気象統計学に基づいて気象条件が極めて安定した場所に作られている。柏木自身も視界不在という状況で着陸(ランディング)した経験はない。目的地(ディスティネーション)の管制空域に入れば、仕事はほとんど終わったようなものだ。

 シャトルライダーは『突っ込み屋』といわれる。まあ、世間に思われているだけでなく、ほとんどの場合、ライダー自身が自分たちの本分が突っ込むことだと思っているはずだ。
 柏木も実感する。あの青い輝き目掛けて減速しながら落ちていく矛盾した瞬間が、たまらなく好きなのだと。だから、管制タワーから呼ばれる瞬間、自分は別の生き物になる。

「ワカ……二号……応答ね……ます」
 濃い大気を突き抜けてくる音声は、多くのノイズと若干のタイムラグとが混ざって、あらゆる箇所が虫食いになっている。カツカツと耳障りな雑音が刻まれるのも、いつものことだ。愛機・若鷹二号ワカタカニゴウからの応答を促すいつものメッセージ。地上管制からの呼びかけは定型文ばかりだから、受け取る方に何も問題はないが、ハイパーウェーブ通信や宇宙間通信の、クリアで即時的な音声を聞き慣れている人間には、とんでもなく古くさく感じられるに違いない。
 霧島運輸の持ち船に対するネーミングセンスのきわどさは、創業者一族の悪趣味によるとしか考えられない。ちょっと正気では乗れないような類の名前を背負わされている船も多い。若鷹くらいならマシな方だ。『御曹司 おんぞうし』と陰では呼ばれている先輩ライダー、霧島飛竜(彼自身の名前も相当イっちまってるけど……)が搭乗するシャトルにも、その悪趣味は遺憾なく発揮されている。その名は……、

――片鎌十文字 かたかまじゅうもんじ号……。

 いったい、どういう神経をしていたら、こんな名前を付けられるのか。不思議でならない――と、柏木はいつも思う。
なんでも「片鎌十文字」というのは、槍の穂先の根元近くに鎌状の刃が付いている「鎌槍かまやり」という武器の中でも、その鎌が一方にだけ大きく迫り出しているという、実にマニアックなレトロ武器の名前だそうだ。
 そもそも「鎌槍」自体の知名度だって、相当に低い。時代劇にすら滅多に登場しないに違いない。
 柏木にしても、最初にその名を耳にしたときは「なんだそれ」と思ったものだ。興味本位で調べてみたからこそ、その形状をなんとか想像できるようになった。
 調べていなかったら――きっと今でも、それが何なのか、さっぱり見当がつかないままだったろう。

 あれは、誰の耳にも(特に日本語を解さない連中には)ちゃんとした塊で捉えることができない、音の連続のようだ。宙港ポート管制官 タワーの連中はクソまじめに頑張って『カタカーマ、ジュウモ……ジ』なんて発音するが、霧島運輸かいしゃの通話交換手連中は、『御曹司のカマカマ』とか、『カタカナ十文字』とか好き放題に呼んでいる。

 全方向視認型ヘルメット(通称、金魚鉢)を被り、つなぎ目を閉じ、掌で撫でる。掌紋ロックがかかり、ライダースーツと完全密着する。グローブ(手袋)のつなぎ目だけは掌でなぞれないから、グローブをはめた両手を突っ込んでカメラに網膜パターンを読み込んでもらって閉じるという、えらく汎用性に劣る装置に助けてもらう。
 客船タイプのシャトルは機長に副が2名つくのが一般的だが、(運行本数も限られているし)貨物運送用のシャトルは、基本的に一名の運転手で運用されている。オートクルーズが一般的だし、基本的にはフルオートで離発着も可能なくらいのAIは搭載されているのだ。ただ、順番を待ったり、緊急順位が入れ替わったりと、慌ただしい現場では、いちいちプログラムで処理するより、管制チームの捌きを人間に伝えて微調整する(機械と人による二重チェック運用になる)方が安全だからだ。
 言ってみれば、緊急事態さえ発生しなければ、人間が乗っている必要は特にないのだ。物理学に則った微調整など、あちらの操作の方が確実なくらいだ。ただ、突発する事象に対して即効性に劣るのが奴らの欠点だ。食い合っているというより協働しているということに、人間としてはしておきたい。

 柏木は機体認証IDを管制タワーに送ってから口を開いた。金魚鉢ヘルメットをかぶっている時はマイクに口を近付ける必要はない。
「霧島運輸所属、若鷹二号。機長、柏木スピーキング」

――ドバイ宙港管制です。当港空域は現在OC(Overcrowded Conditions)により、即時の着陸不可。周回ウェイティングに移行してください。応答どうぞ。

 心地よい緊張感がどっと崩落する。全く、最近これが増えてきて困る。プランジ(突入)申請を闇雲に受ける宙港ポートの姿勢は、せっかちな荷主のほうにしか向いていない。ここで、無理に突っ込みたいと我が儘を言っても通るものではないので、柏木は軽く舌打ちしてから、過密スケジュールはタワーのせいではないと、いて自分に言い聞かせた。一つだけ深く息を吐き出す。
「了解です。周回用シャトルロード案内願います」

――ロード4でお願いします。

 『お願いする』というのは、あくまでも表現上の問題で、こちらの了承を確認すれば、問答無用でビーコン(無線標識)によるルート誘導が始まる。管制からの誘導は、基本的に民間機はUE(Unconditional Execution=無条件実行)でプログラムが書かれているので、発狂したシャトル・ライダーが突入プランジを強行しようとしても、コンピュータ・プログラム・スキルがなければ自由にはできない。

 ちなみに、港とかはしけ(バージ)、桟橋さんばしといった呼び方同様、これは宇宙前時代のビーコンとは異なるシステムだ。運転手が「道がある」と錯覚できるよう、モニターにガイドラインを表示してくれるだけの便宜的仮想バーチャルの道である。飛んでくるのは信号そのものではなく、コンピュータ側で構成されるルート表示プログラムだ。いわゆる V(Virtual)ビーコン と呼ばれるやつだ。
 それから、サンガやライダープールのアームに物理的に寄せていくための、本物の誘導信号を発信する R(Real/Raymark)ビーコン というのもある。

「了解。若鷹二号、周回ウェイティングに入ります。誘導お願いします」

――ゲームでもするか。本でも読むか。見ようと思ってゲットしているだけの映画データでも再生するか……。

 柏木はグローブを外し、金魚鉢ヘルメットを脱いだ。シャトル・ロードは機体にダメージを与える大きさのスペース・デプリ(宇宙ゴミ)を排除して、安全に地球周回軌道を回れるように整備されているルートのことで、その名の通りに道として存在するわけではない。ロードナンバーは地表からの距離によって割り振られているものだ。シャトルを周回させるには、地球へ全ての物体を落下させようとする引力を振り切れる速度が必要だが、それは高度によって異なる(地表から距離があるほど、速度は遅くなる)。ロード4だと次にこのポート・ミーティング・ポイントに帰ってくるには約95分ほどかかる。昼寝ができるほどの長さではないが、ただぼーっとしているには勿体ない。

――ヤング・イーグル・ザ・セカンド。ヤング・イーグル・ザ・セカンド。

 突然スピーカーが音を立てる。わざわざ、若鷹二号をそんな風に長く呼ぶのは、からかっているということだろう。今週は運が悪いことに、全ての突入(プランジ)でウェイティングがかかったのだ。大当たりには違いない。

――毎度、周回ウェイティングご苦労さま~。

 先程のタワー音声と違ってクリアな宇宙通信がスピーカーから流れてきた。会社の通信交換手として長く働いている、ミセス・キャロットの声だ。

「毎度ぉ。最近、ウェイティング多いよね~。もう、厭になっちゃうよ。誰から?」

 柏木はインカムをセットして答えた。このタイミングで通話をくれるなんて暇人の証拠だ。もしかしたら1時間ほどのおしゃべりに付き合ってくれるかもしれない。

――御曹司の『カニカマ十皿食べたい』からよ。若鷹。

 御曹司、霧島飛竜の愛機・片鎌十文字号の名前は、最早もはや原型をとどめていない。

「キリーさん、今日はローンチ(打ち上げ)じゃなかったっけ?」

――カニカマは地上で順番待ち(ウェイティング)よ。御曹司も暇なんじゃない? 搭乗してウェイティング・レーンに入っちゃったら、他にすること無いもの。一緒に映画でも見てたら?

「キリーさんとじゃ燃えないよ」
 『御曹司』という呼び方は、優秀なライダーである霧島飛竜を侮辱しているような気がして、柏木はいつも『キリー』という仲間うちの通称の方で彼を呼ぶ。

「オーケー。回線、カニカマに繋いでください」
 柏木がそう許可する前から回線が繋がれていたのか(ウチの交換はいい加減だ)、いきなり飛竜の声が耳元でした。
「俺とじゃ燃えないって、丸聞こえだよ。言ってくれるじゃないか。ラブロマンスたっぷりドラマでも見るかぁ?」
 相変わらず、霧島飛竜は見惚れるような爽やかな笑顔をしている。同じ男の柏木からみても、霧島飛竜は魅力的だ。的確な技量をもつライダーとしての彼にも言うまでもなく一目置いている。だが彼は創業者直系で、現会長の長男なのだ。本社(オフィス)のデスクでそっくり返って数字を弄っているだけでも誰も文句を言わないだろう。突っ込むのが好きだからというだけの理由で、よくもまぁ危険が背中に張りついてるような仕事につくものだ。普通に好きなくらいでこの仕事を選ばないはずだ。
 その証拠に、彼の直ぐ下の弟さんは、専門学校を出たあと直ぐ、惑星間不定期貨物船に配属されて、今では四本線(船長)だ。曙丸あけぼのまる(これも今どきどこか違和感がある名称だ)はたしか今、ブルーリボン・ホルダー(惑星間ジャンプ航法での最速船に与えられる称号)だ。霧島飛竜とよく似た青年船長の勇姿は社内報に何回も載っている。

「だから、なんでキリーさんとそんなもん見なきゃなんないんです?」
「だったら、さっさとザキさん誘っちゃえば? ウジウジしてないで。そのガタイが泣くぞ」
 肉体的に負担が大きいライダー稼業で避けられないトレーニングを、『楽しく』継続できるようにというのが霧島運輸の方針らしい。その一環としてサンガのライダー・プールのトレーニング施設の設備はバリエーションに富んでいる。その中では、全く捻っていないコンセプトのフィットネス・ジムの人気が高いのは、名物インストラクター・尾崎さんの存在によるところが大きい。『ザキさん』と呼ばれる彼女は、小柄な体躯にも関わらず驚くほどタフにできている。そして彼女がいるだけで、キツいトレーニング・プログラムが楽しいエンジョイ・タイムに激変する。
 柏木が彼女に純情な片思いをしているのが、どうも霧島飛竜には面白いらしい。柏木が可能な限りザキさんのレッスンに参加して、自己負担も必要な『パーソナル・トレーニング』に申し込むぐらいが精一杯。あと一歩、彼女のプライベートに切り込んでいくほどの度胸が無いことをいつもからかってくる。
 霧島飛竜は文句無く女性にもてる。彼が未だに独身なのは、不思議でもなんでもなく、遊びすぎて女性陣からそういう意味で信用されていないからに違いない。それでも飛竜と飲んでいる時のザキさんの笑顔を見れば、彼女が間違いなく彼に好意を寄せているとしか思えない。飛竜さんが相手なら、自分などが絡んでいく隙間はないと柏木はつい考えてしまう。自分が普通の女性の基準からいってもデカすぎることは承知しているし、ザキさんは小柄だから隣においておくのは、いいところ飛竜さんまでで限界だろう。

「昨日はザキさんと飲んでましたよ」
 それでもつい見栄を張る。

「おーっやったなぁ。どこまでイッた?」
 飛竜さんじゃあるまいし、飲んだだけで、普通はその先になんか簡単に行けるものではない。第一、女性に対して純な柏木には、そもそも女性との付き合いを「遊ぶ」と表現する感覚が理解できない。

「どこまでって……。タカさんと一緒でしたし……」
「高柳と? お前、まさか、俺がザキさんにあいつを頼んでッたの誤解して……、タカの野郎を絞めたんじゃないだろうな? あいつ宇宙人だぞ。殺してないだろうな」
 どうして、こう、鋭いのだろうか。柏木は肩をすくめた。
「なんとか……殺してませんよ。ちょっと知るのが遅かったら、ヤバかったかもですけど」

 クックッと肩を震わせて飛竜が笑っている。心から面白がっている様子だ。無責任な。ただ、その直前に『殺してないだろうな』と言ったときの真剣な目から、彼がどれだけ高柳を大切に思っているかが察せられた。柏木は苦笑する。

「タカさん、スカダーなんですってね。宇宙人長くしてる人って、俺、初めて見ましたけど、思ってたより随分しゃんとしたガタイしてるんですね……」
「あぁ、やつは一応、宇宙人長くても、ちゃんと耐G訓練もしてるらしいから。そうじゃなかったらジムなんか連れてけないよ」
「へ? どうやって?」
 宇宙の物質が希薄の宙域で地味にロスト・コンテナを拾う現場で、どうやったら耐G訓練が行えるのだろう。柏木は真面目に考え込んでしまう。
「オフの時間に、カーボンナノチューブのキャッチネット使って母船のアームにボート繋いで、ぐるぐるっとぶん回してもらってるらしい……」
 言い切ってから、飛竜が腹を抱えて笑い崩れた。
「上にバレたら罰金モノだな。下手したら懲戒かもなぁ……あいつ……」

 柏木は一瞬、その風景を考えて飛竜につられて笑いそうになってしまってから、冷静な部分で舌を巻いた。遠心力に曝されるのが重力環境を擬似体験できる方法だと誰でも知ってるが、自らの筋力維持に供するための、そこまで単純な方法を誰が思いつくだろう。しかも、思いついたところで実行を普通はするだろうか。
 職務命令で無重力に長期間曝されることになったら、誰もが有G環境に帰って来てから、ゆっくりとGアップトレーニングをするしかないと諦めてしまうだろう。どれだけきつくても、それしか方法が無いのだから。
 3週間でゼロGからテラGにアップすると聞いて、正気じゃないとは思った。あのおっさんは考え無しの馬鹿だと思った。が、そういう前提があるなら、全く高柳への評価は変わってくる。行き当たりばったりで無謀に時間を設定しているのではなく、Gショックを充分に乗り越えられるだけの勝算が有って、尚、安全のために期間をとっていることになり、したたかな計算能力があることの証明である。
 高柳はGコントロール・ユニットについては、徹底した柏木の追究をのらりくらりといなしていたが、命令があって無重力からテラGに移動しなければいけないことは白状した。そして、即刻という命令を無視する猶予期間を勝手に3週間に設定していることも。

 それにしても、3週間という限られたGアップ期間の中で、MGを2週間とるというのは、案外なかなかできそうでできないことだとも思う。普通なら焦ってMGを素通りして自滅するだろう。

「タカさん……って、もしかして、凄く頭良いですか? キリーさんくらい?」
「俺くらいって……あのバカと俺を比べるなよ」
「タカさん……バカなんですか?」
「学校の成績は最低だったぞ。だけどな……、あいつの思いつきっつーか、決断力っつーか、妙な発想力ってのは、みんな一目おいてたけどな。そうそう、あれあるだろ? みんな、一度は死んだと思う、学校出てる奴でトラウマになってない奴がいないって噂もある、あの、緊急事態回避訓練(トラブルバーゲン)。俺、あいつとクルーの時、何回かやられたんだけど、もう、バカさで勝てない……全然悩まないんだぜ、あいつ。もう気持ちいいくらい。『いい訓練でした、お疲れさまでした。チャンチャン』にできたのは、突破口を切り開いてたあいつのおかげ。成績は俺の方が全然よかったし、いつだってクルー・リーダーは俺だったのに、くやしいよなぁ……」

 緊急事態回避訓練っていうのは、宇宙船の操船を教えてくれる専門大学では必須の名物訓練のことだ。生徒には告知無しで実施されることが多く、最終的に『訓練終了』の合図がでるまで、本当の事故に巻き込まれているのか、くだんの訓練なのか区別がつかないことが多い。
 シミュレーターや現場を使ってチーム操船の訓練をしているとき、いきなり事故が発生する。いかなるときもチーム操船の課題は『チームだけの力で宙港ポートに帰還せよ』というのが最低合格条件なので、生命の危険を乗り越えるために皆で一致団結して事に当たるのが当然のスジなのだ。が、宇宙船乗りになりたいなんてやつは、それはもうアクの塊みたいな連中ばかりで、誰がヘッドを取るかの時点で分裂しがちなものだ。柏木も初回はご多分に漏れずリーダーを取ろうとしたが、派手に失敗した記憶がある。

 シミュレーターを使ったほうでは、まぁ、事故が突発的に起こっても、脳味噌の何処かが『訓練だ』とたかをくくっているが、柏木自身、実際の空間でやった方では軽く5回は死んだという自覚がある。

「いつもボケっとしてるくせに、緊急事態になると、どっかにスイッチが入るみたいでな、状況把握がやたらと速いの。んでもって、できるできないってのをあっつーまに纏めて、行動プランを立ててみせるんだけど、それがめちゃ速いの。しかも3つくらいプランを並べて、その全部のパターンで想定できる利点・欠点を並べて、『リーダー、どれかでGOよろしく』とくる。よくもまぁ、自分の命がかかってるかもしれない場面でって、いつも呆れてたよ」
 それは凄い。柏木は素直に感動した。
「学校の成績は全部、あいつ親玉のところにバックされてるはずだからな、クルーメンバーだった奴らは皆、凄い階級を背負いこむだろうって言ってたんだけどなぁ。こっちも奴の見積もりの方が当たりだったな。奴は軍用機じゃなくて民間船での操船訓練が指令された段階で、軍での出世はないってあっさり言ってた。全く、ヘボな奴らばっかりだぜ。極東アジア国軍のヘッドってのは。ほんと、見る目がないぜ」
 貶しているようで、飛竜の高柳に対する評価は絶対的に高く、ついでに高柳が置かれているポジションに対しての不満も相当なものがあるようだ。
 柏木は尊敬する飛竜の評価によって、修正した高柳への高評価が定まっていくのを感じていた。タカさんは凄い人で間違いないらしい。ザキさんへのセクハラは別として……。

 柏木は明るいアクリル窓の向うで、高柳がザキさんにキスしていた風景を思い出していた。あのシーンを思い出すのはついさっきまではえらく腹立たしいことだったが、飛竜の評価が胸に染み込んでから思い起こすと、勝てないかもしれないという思いに打ちのめされそうになる。女性というのは、本能の部分で凄い男を嗅ぎ分けることができるのかもしれない。
 プールの繁華街で酔っぱらっていたとき、尻の形がいいとからかっただけの男の鼻に左ストレートをぶち込んだザキさんを柏木が覚えているだけに、あのあとの彼女の反応は宇宙人に対する遠慮からだけとは思えないものがある。

「でも、キリーさん。ああいう人が、まさかとは思いたいんですけど、ザキさんのタイプだとしたら、俺……絶望的ですよぉ」
「ん? 何かあったのか?」
「俺見ちゃったんですけど、あの人、G訓練で潰れてたのを介抱してたザキさんに、どさくさに紛れて、マウスツーマウスの……」
 画面の向うで手に顎をのせていた飛竜が、そのままズルッと滑って柏木の視界から消えた。暫く画面に戻ってこない。
「……あ、あの野郎~っ。ったく、相変わらず手の速い……」
 あの飛竜さんに手が速いと評されるのは、やはりただ者ではない。

「全く、ザキさん、貴方もですかって……参ったなぁ……」
 飛竜は暫く意味不明の言葉をブツブツ呟いてから、気を取り直したように言った。
「大丈夫、大丈夫。あいつのは魔法マジックだから、気にしたら負けだ。ザキさんの好みじゃないことを信じよう」
 柏木は心から厭そうな飛竜の表情を見てつい聞いてまう。
「何です? その魔法ってーのは」
「世の中にいる女性の圧倒的多数が、奴に対してだけガードが甘くなるっていう脅威の魔法だ。この俺が肩を触ってるのに『訴えるわよ』なんて速攻で払いのけるような子が、奴がヒップタッチしても、『もう、タカさんたら、ふざけないの』でお終いなんだぞ。不公平だろ?」
 オカマ言葉に倒れそうになりながら、柏木は思い当たるところが昨晩だけの付き合いでも山ほどあるのを思い出した。

 高柳はいつもつんけんしているジムの受付の女の子と談笑してた。それから外からの一見いちげんさんにはそっけない蕎麦屋の女将さんが、なにかと気をつかってくれてたし、なによりあのザキさんが、いつになく何度も笑い転げて、楽しそうで、普段の数倍可愛かったのだ。飛竜さんといるときのクール・ビューティーのイメージが、良い意味で崩れたのも確かなのだ。

「魔法じゃ、なおのこと勝てないですよ……」

 シャトル・シップの窓の向うで何かが光ったように見えた。僅かな、しかし揺らめきのような違和感が柏木の目尻に捉えて何かを警告した。

 普通なら光らない。

 おそらく太陽光が何かの隙間から漏れて見えたのだろう。いや、サンガとプールの間に、新しい窓でもできたっていうんだろうか。
「キリーさん、ちょっとゴメン」
 飛竜との会話を中断させると、柏木は光の正体を見極めるために窓に顔を寄せた。

 丁度、宇宙空港都市であるサンガの巨体が、通りすぎていくところだった。いつもの風景だ。

(何が光ったんだろう。)

 いぶかしく思う柏木の目の前で、ゆっくりとサンガが後方に流れていく。この「ゆっくりと」というのはあくまでも感覚的なものだ。地球の引力圏にありながら、それを振り切って回り続ける速度を双方ともが維持しているのだ。宇宙空港サンガは周回軌道にいる柏木にはどっしりと静止しているように見える。それでいて地球の自転速度に同期できるほどに高速ということなのだ。

 何気ないいつもの風景。背後には地球の青く美しいカーブ。そして、少し白光しているようなサンガ。
 そのサンガから、信じられないほどゆっくりとした動きで、島二号、つまりドーナツ型をしたスタンフォードトーラス型のライダー・プールが離れていく。

(……離れていく?)

 目の前の光景を疑いたくなった。間違いなく、サンガとライダー・プールは今分裂した。柏木の手がおぼえず、震えてくる。掌を何度か握りしめ開く。喉がカラカラに乾いて、震えが止まらない。

――どうした? おい、柏木? 何かあったか?

「……プールが……」

――おい。ちゃんと喋れ。どうした?

「今、目の前で……プールが……サンガから……千切れました……」

――何だって? 柏木。おい、ちゃんと繰り返せ。何がどうした?

「サンガと、ライダー・プールが……、離れていきます……」

――何だとぉ?


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