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7.行動開始

 今日もいつもの無重力。このふわふわが、まんざら悪くもない。

 特に筋肉痛と二日目突入の二日酔いの身には、つくづく体にやさしいと思う。大体、ライダー・プールって所は、回転半径が一般の居住施設より小さいくせに、無理に1テラG(正確にはギリ至ってない)を出しているから、ほんのちょっとの高度差(例えば人間サイズの足下と頭のテッペンくらいの距離)で、わずかとはいえ体感重力に差がある、いびつな作りになっている。

 俺は久し振りに感じる、慣れて心地よい浮遊感に、しばし浸ろうとして……。

 いきなり覚醒度がマックスまで跳ね上がった。

――なんで、ゼロGなんだ?

 改めて確認。俺がいるのはライダー・プールだ。そして、ここはたしか学生時代からの悪友である霧島飛竜のコンパートメント。家主は地球にお仕事で不在だが。

 無重力は自分にとっては日常馴染んだものだが、ここの連中は違う。どうしてMG(Middle Gravity)どころか、LG(Luna Gravity)すらも振り切ってゼロになったのだろうか。いつからなのかも気になるが、外がどういう状況になっているかがもっと激しく気になる。

 酔っぱらって潰れていた自分は、熟睡時にこの状態に突入したから問題なかったが、テラG仕様でできている街で、テラG環境で生活している人間たちが行動している時間帯に、ゼロGにいきなり放り込まれちまったなら、あっちこっちでパニックの十や二十は起こっていても不思議じゃない。

 上下のある生活と、ゼロGの生活は、何から何まで違う。

 遠心力を発生させるための回転系の動力トラブルかもしれないが、せめて急停止ではなく、徐々に減速していったのだと思いたい。

 見渡すと、あらゆるものが自由気ままに漂っていた。Gかん(重力環境)があるのが当然だと思っている連中は、モノを固定するという基本的習慣がない(当たり前か)。慣性に従って移動を開始した質量のあるすべてのものが、ゼロGでどのように動いていくかということに、なんにも恐怖を抱いていない。

 さんざん飲んだせいで下腹部がトイレを呼んでいる。そうだ、無重力ではトイレが大問題だ。テラG仕様のトイレを使ったらエラい目に遭う。こんなときはキッチンで食品用の保存袋を探して用を足するに限る。料理上手の飛竜なら、常備しているはずだ。
 俺はキッチンをにらんで、どうしようか少し迷った。飛竜のようにキッチンを使うやつなら、寂しい独身男の所帯でも、ガラスの破片や小麦粉の粉が漂ってる危険がある。吸い込んでしまったとき、金属探知装置が引っかからないからやっかいなんだよなぁ。

 マスクが欲しい。風邪用の普通の。でも、風邪を引く習慣なんか持ってないだろう飛竜の部屋に、そんな上等なものがあるとは思えない。金魚鉢(ヘルメット)の方がまだ見つかりそうだ。

 昨日着ていた市販の安物ライダースーツも泳いでいる。普段スペジャケを脱いだらほぼ裸でカプセルインして眠る。飛竜がいなかったから習慣で脱ぎすてたのだろう。あれを捕まえて着ても、掌紋を登録した覚えがないので、機能があったとしても、微細浮遊物から体を守る役に立たない。

 マスク代わりになるタオルでもあれば、まだマシなんだけど。

 俺は部屋に浮遊するさまざまなモノを眺めて、自分の鞄を探した。極東アジア国軍の官服は、町中を歩くのに適当なシロモノではないが、多分それを着た方が安全が確保できる。自分の安全に不安があっては、動きが鈍くなる。この際、世間さまの冷たい目に覚悟してさらされよう。

 そういえば、このライダー・プールに棲んでいる連中のうち、ライダー組は無重力環境で動く訓練を受けている。
 何より、パニックは一文の得にもならない――そう骨の髄まで叩き込まれてる連中だ。そんな意味でも、他の場所でこんな事故が起きるよりは、まだマシだ。
 うん、楽観視できる材料を見つけると、ちょっと気分が上がる。

――でも、事故だろうか?

 ちょっとだけ不安が頭の隅を過る。言いたくないが、本来宇宙は、人間というか、生き物が生きていくのにそれほど適しているという場所じゃない。そこにあえて住もうっていうんだから、安全対策は何重にもなってる。だから一か所壊れても普通は日常が続く。
 重力がないだけで、酸素や電気は大丈夫。もし本当に空気が止まってたら、寝てた俺はとっくに窒息してるはずだし――どうやら循環も維持されてる。
 やはり急停止じゃなく、減速停止だったんだろう。

――テロとかそんなんじゃないと、心の底から有り難いンだけどなぁ……。

 俺はつい思ってしまう。事故ならここが、最悪とはいわないまでも、それに近いポイントだ。これが人為的な悪意で引き起こされているなら、もちっと悪い段階が先に待っていて不思議でない。まぁ、現状を把握してない今の段階で、そこまで不安がっても仕方ないか……。

 俺は上下左右を確認し、やっと目指す鞄を発見した。ちょっと体を捻ってぐるっと目見当で斜めに回転させて、部屋のつくりに体の向きを修正する。一番軽そうな(反対側にぶちあたっても、モノを壊さない質量)の椅子を軽く蹴って、壁への移動を試みる。壁に到着、第一段階クリア。俺はちょっとだけため息をつく。
 とにかく、ここまであらゆる質量のものが浮遊している空間で、不必要に力をかけるべきではない。重さを感じないがモノには質量があって、慣性の法則はここでも有効だということを忘れちゃいけない。鞄が欲しくてもそこに猪突猛進するのはいただけない。

 鞄のロックを解除し、あけようとした瞬間、中身がふわっと散乱しかけた。隙間から最初に指に当たった袋を引っ張り出す。鞄の中身を整理するのに、いろんなものを袋に入れている。中身が飛び散っても問題ない服なことを確認し、中身を取り出す。俺はめでたくトイレを確保した。

 下半身の呼び声にちゃんと応えて(用済みの袋はキッチリ閉じないと意味ねぇし…)から、普段なら大事なあらゆるものを袋から出して、袋のほうを丁寧に畳んでポケットに詰め込んだ。
 一応トイレは誰にとっても必需品だから、道で行き合った誰かにトイレを訪ねられる可能性がある。そんなときの用心の意味でも袋は便利だろう。俺はこんなことのために荷造りをしたんではないが、思わぬところで役に立つもんだ。俺ときたら日頃から神経が細やかで、ホントに全く役に立つ。

 それから俺は官服を着込んだ。念の為説明を付け加えると、支給されている官服のスペジャケは戦闘仕様になってない。世間さまから見れば色といい形といい、軍服そのもの。
 見かけはイマイチなんだが、手抜きをせずにちゃんと密封して着込んでいれば、薄いキャッチャーボートの筐体きょうたいに穴があいたりしても、最低限の生存環境は確保できるという優れモノだ。

 不便にも折り畳めない金魚鉢(ヘルメット)は携帯してこなかったが、3週間したらここからサンガの基地に出頭しようと思っていたので、普段着の簡易版ではなく、正装に近い良い奴を持ってきていた。視界に少し離れたところで浮かんでいる鏡がたまたま目に入りーーがっかりする。軍人にしか見えない。最悪だ。

 悲惨な事故や災害の現場で、消防士や医者、警察官、及び軍人に見られるのは(事実だけど)少し有り難くない事態になりがちだ。服は組織の象徴であって、個人の能力とは関係ないのだが、『なにかしてくれる』という期待を抱かせがちになる。

 例えば普段オフィスの窓口で来場者を呼び出す仕事しかしてなかったとしても、目の前で凶器を振り回しているバカが居る状況に警察官の服を着て運悪く居合わせてしまえば、それは自分の職分ではありませんからという言い訳は通じなくなる。

 ライダー・プールから重力が消滅するというのは、どう考えても異常事態だ。こんな所に軍服を着てのこのこ泳いで行ったら、極東アジア国軍とどっかの団体がここでドンパチでもやらかして、こういう事態に陥ったと勘繰られても言い訳できない。瓜田かでんくつを入れず、李下りかかんむりを正さず。クワバラ、クワバラ。

 浮遊物の中に金魚鉢を見つけた。いくら飛竜がライダーでも、独居者住宅(こんなところ)にグローブ装着器があるとは思えないので、とりあえず手首を浮いていたシーツをちょん切って紐状にして(スペジャケにはハサミとナイフは当然、装着してます)苦労して縛って、靴はちゃんと密封して(足下は大事ね)、手近にあった雑誌で進む方向をガードしながら、壁を蹴った。
 壁は推進力発生装置としては加減しやすくて助かる。いろいろな浮遊物を雑誌で打ち払いながら、金魚鉢(ヘルメット)に到着したが、それまでついでに払ってしまって舌打ちが出た。二週間、有Gばかりで過ごして、感覚が大分鈍っている。

「やっぱりニュースかなぁ……」

 なんとか二度目の挑戦で入手した金魚鉢をとりあえず装着して、目と呼吸器の安全を確保して少しだけ落ち着いた俺は、聞く者がいない独り言をいいながら、総合端末にとりついた。
 黒一色。思わず下品に舌打ちが出た。

「うーんと……電気。死んで……ないはず。明るいしなぁ……」

 総合端末が反応しないので、一瞬それを疑ってマジにヒヤッとした。だが、そんな凶悪な事態だったら、暗闇に閉じ込められているはずだ。光が確保されているなら、そこまで悲惨ではない。

 軍の回線なら生きてる可能性は高いが、ここには露骨な命令違反でやってきている。まぁ、機密を漏らしたり、敵対行動をしている訳ではないから、最悪でも失職なだけで、裁判ものの違反ではないだろう。今は現状の把握が即時必要だ。

 そこまで考えてから二度目の舌打ちが出た。ID端末はジョーに預けてきた。自分が持っているのは、軍の回線に入っていけるIDではなくて、軍の持ち物である証明を第三者にするものだ。(しかも新人(ニューマン)の)。

「これで、ここからで加悦かえさん呼べる……かな?」

 整理して考えるのに、習慣で口に出す。まず、生きている総合端末を見つけるところから始めなきゃならない。相棒の加悦とジョーに連絡をとるより、ニュースヘッドラインを読むほうが良いかもしれない。ただ、ID端末がないと十分に身動きがとれないから、少なくともジョーに来てもらう必要がある。

 そこまで考えてから、俺は総合端末でニュースが得られないもう一つのパターンを思いついた。ネットの大元がどっかで物理的に断絶している可能性だ。その場合、この総合端末は外と繋がる機能は失っている。

 でもコンピュータとしての役割は、電力が供給される限り期待できる。ニュースヘッドラインを見ようとしていた操作を止めて、ジョーのID端末を押しつけてから、ローカルエリアだけで使うモードを指定して、端末にコンピュータとして再起動するよう操作した。

 総合端末は普段、ネットワークに接続されたクラウド端末として動いているが、再起動すればローカルコンピュータとしても使える構造になっている。

 これなら外との接続が切れていても、内部のマザーと繋がれる。

 プールのマザ・コン(ホスト・コンピュータのこと)とさえ繋がれたら、外との無線通話もできるかもしれない。再起がかかるまでのわずかな時間を、指をイライラと空で動かしながらじりじりと待った。こいこい。さあ、こい。

 軽妙な音楽が鳴って(飛竜の趣味が知れるということだ)、普段滅多に目にしない端末として、黒一色画面が立ち上がる。

「ラッキー」

 期待した通りの効果が得られると、人間は嬉しくなるものだ。俺はジョーではないが、この端末には俺自身の網膜パターンや掌紋のデータをマムに入れてもらっている。マムにヘマは無い。端末のデータと俺自身に齟齬がなければ、エンドユーザーとして弾かれることはないだろう。俺はプログラムの専門家じゃないからキーボード操作は苦手だ。喋ってくれないコンピュータから情報を引っ張りだすのは不可能に近い。

 こんなとき、斉藤さいとうあゆむがいてくれたら便利なのにと、溜息の一つもつきたくなる。斉藤というのは飛竜と一緒で、専門学校時代の仲間だ。

 今は、極東アジア国軍でも特殊な位置にいる統合幕僚会議情報本部の有名人、岸二佐のところにいる。
 学生時代は同じ軍からの出向組ということで、親しく付き合っていた。斉藤は情報処理のスペシャリストだったから、バリバリの管制畑。普段の学舎も違っていたが、なぜかいつもつるんでいた。正確には、やつの居場所で俺が野宿してたんだが。

 彼の指が滑るようにキーボードの上を躍ると、奇妙な暗号みたいな奴が黒い不細工な画面を埋めつくす。何をやっているのかさっぱり見当もつかなかったが、そこから弾き出されるデータの正確さは、感動モノだった。
 良い材料を使えば、当然旨い料理が出来上がる。奴のデータがあれば良い結果を産むプランを料理できた。

 その斉藤は、ルナ暴動の元凶の洗い出しに借り出され国連部隊で数年間活動した。その後、高等防衛専門学校とやらに行き、今では情報処理のプロになってるはずだ。

 ロスコン拾いのスカダーの自分とはえらく違う。でもまぁ、斉藤歩が評価されないような組織なんか、ただのクソだ。

「ちゃんと起きろよ。俺はあゆみちゃんじゃぁないんだからな」

 読み方をわざと間違えて弄り合ってた俺たちを知らない機械には絶対通じない脅しだから、凄みが効いたということでも無いだろうが、ちゃんとパンピー用(実はこのファンキーな感触がある表現がかなり気に入っている)のトークモードでコンピュータが起動したらしい。総合端末から妙に機械的な声がした。

「おはようございます。何か御用でしょうか」

 御用もなにも、どうなっているのか教えてくれ、といいたいところを我慢して、ジョーの権限を確認する。

「このIDでホストアクセスできますか?」

「残念ですが、無理です」

 機械にここまで断言されると微妙に腹が立つ。いや、イライラしても仕方ない。

「データの引き出しは可能ですか?」

「求められる種類によります。要求するデータは何ですか?」

「1テラG環境が基本のプールに何故重力がないのか。事故か、事件か。現在のライダー・プールの状況はどうなっているか。復旧には取り掛かっているか。現状把握したい。保安機密に抵触しない一般レベルのニュースヘッドラインでも良いから、現状把握できる情報が欲しい」

「了解しました。まずなぜ重力がないのか。回転が停止しているからです」

 そんなの分かるよ……。俺は倒れそうになった。機械ってのは、突然、最高級の天然ボケをかましてくるから油断ならない。

「次の事故か事件かについては、まだ把握されていないので判定できていないというところが正確な答えです。どちらの可能性も有りますが、当然……」

「何重にも課せられた安全対策が空振りしているので、事件の可能性が濃厚……ってことですかね?」

 終わりまで聞かず介入した。こういうことをしても人間と違ってヘソを曲げないのが、ホスト・コンピュータの良いところだ。

「そうです。次、現在のライダー・プールの状況ですが、全容を数値データとして提示してよしいでしょうか? オーバーフローしませんか?」

 さりげなく閉鎖型にマウントとりやがる。嫌みでもマウントでもなく、事実確認をしただけって分かってますよ。もちろん。だけど、これだから解放型(オープン)な連中はそれだけなんだ。

「数字は要らない。個別に気になっている点を聞いてくよ。電気系統は健全? 部分的に破壊?」

「サンガへの中央ジョイント部分で爆発が観測されていますので、メインは働いていません。5つの補助系統から、太陽光発電のエネルギーがバイパスされてきています」

「死者、怪我人の状況は?」

「こちらも通信回線が分断されていますので、全体像は把握できていません。私の可知域では現在の時点では死者はゼロです。但し、浮遊物との衝突等で、早急な救助、及び治療が必要と思われるケースは多発。全容は把握できていません。死者の方は、爆発観測点の有人記録はありませんので、少なくとも爆発による死者は確認されていません」

「オーケー。次、酸素供給状況。空気対流の保持状況」

 画面が居住区のドーナツが、赤い線で輪切り――というより切り売りのバームクーヘンの形になるように――分断されていている姿になった。その区画によって青や緑と塗り潰されている色が違っている。

「これは現時点での観測分布を図示したものです。赤のラインが異常時に空気漏れによる人的被害を最低限に止めるために降りている緊急遮断壁です。この中で酸素濃度が安定している区域は青、酸素濃度が生存に充分であるものの対流が確保できずに偏っているものが緑、生命維持に危険な低レベルの場所が黄色、生存が不可能な区域が赤で表示されています。それぞれの区画の中での細かいデータも取り出せますが、このID許可レベルでは検索結果を提示できません」

 全体は見せてもらえないが、自分がいる区画の詳しいデータはもらえるのが普通だと思う。ここの危機管理を設計した奴はタコに違いない。

「大丈夫、これだけ見られれば今のところ十分。照会は何度もすることになると思うから、俺の携帯端末に送っておいて。あと、ダクトとか排水管とかもこのシャッターで切ってあるの? あと、この一つだけ赤い区画はどこ?」

 全体として黄色は無いのに、赤は一区画ある。もう少し壊滅的な状況を想定していたので、少しは安心できるのだが、この赤区画にいた人間のことがどうしても気になる。

「ダクトは遮断です。排水系統は通じてます。赤い区域は倉庫です」

「ここの物資保管倉庫って、ここじゃなかったっけ?」

 俺は回転軸から、居住区であるドーナツまでスポーク状にのびている構造部の中間にある、二周りほど外側のドーナツから小さい輪っかを指さした。

「そこは未使用の物資用の区画です。長期保管用と一時管理用の区画に分かれています。主な、一時管理物資は、生鮮食品であるのと、ヒト作業員が入るため、ここだけエア循環管理もされています。外側の輪の方の、ご指摘の赤い箇所の方は、有機廃棄物などの一時保管用で、ここに空気が有りますとバクテリアなどが発生し、腐敗しますので、もともと完全脱気されています」

「了解。構造物に致命的なダメージは今のところないという了解でいいね」

 有機廃棄物というの人間の糞尿とか食べ残しの残飯なんかのことだろう。俺のスカベンジャーフィールドではそんなものを棄てるなんて、信じられない無駄だが、パンピー(しつこいようだが、お気に入り)にキレイにしたから誰かのションベン飲めと言っても、『わかりました』って答える奴は少ないに違いない。

 赤いところに人がいなけりゃ、俺には関係ない。今、ドミノ倒し的にクラッシュが広がっている可能性は潰せた。俺はこの件を頭から追い出した。

 どっちにしろ、何の権限も責任もない通りすがりの俺が、こんなところで何に対して頑張るのかも定かでないが、祭りに弱いというか、なんていうか。非常事態ってのになると、どうにも興奮しちまう質(タチ)なのだから仕方ない。できるところまで何とかしたくなっちゃうんだから仕方ない。

 怪我をしないうちに、危険を感知したら逃げるってほうに、シフトしといたほうが賢いのは知っている。

 でも、最近ずっと人間がいない平和なところで、楽しく惰眠を貪っていたからだろうか……。不謹慎だが露骨に脳が楽しんでいる。5年ぶりくらいで、目がはっきり覚めた気がする。

「排水系統が分断してないってことは、上水道も?」

「水漏れは機械部分に与えるダメージが大きいので、こちらも完全に構造部の外を通っています。取排水口はもともと区画毎に外ルートを取っていて、使用時のみ一瞬開く構造なので、遮断する必要はありません」

「了解。とても有意義な情報だ」

 無重力では凶悪な水の危険を、考えなくていいのはありがたい。

「残りの質問について続けます。復旧に取り掛かっているか? これは、現時点で私にLANモードでアクセスしているのが、ジョー、貴方一人です」

 警察、管理者、どっかの役人、何してる。俺はずっこけたくなるのを我慢した。

「WWWモードでは通信が途切れると、自動でネット回線に繋がろうとリトライを続けますので、私にアクセスする方法がわからかないのだと思います。有線モードを知らない人が多いので、皆さん、モニターや操作盤を叩いてらっしゃいます」

 テクノロジーが進化しても、機械が突然動かなくなると、なぜ人間は叩きたくなるのだろう。俺は、少々遠い目になった。

「通信は、現在、携帯端末による通話に限定されています。プール内部で、組織的な復旧活動を開始しているチームは存在しないと考えられます。先ほども申し上げましたが、外部の情報は皆無ですので、私にも判断ができません。教えてほしいくらいです。ニュースヘッドラインについても同じです。無線通信に関しても、メインのアンテナが回転軸にありますので、爆発時に致命的なダメージを受けた可能性が高いです」

 歯に絹を着せないというか、正直というか。全く、機械というのはこちらの心情を配慮して、情報を出し惜しみしてくれないのは困ることだ。聞いたのが俺だから、まぁ主義として細かいことを気にしないでおいてやる。それにしたって、内部で状況把握を始めている奴が皆無で、外の状況も読めないなんてのは、考える気力がそがれちまう。

 このホストの無神経ぶりと、加悦さんやジョーを比べるのは愚かすぎる。やはり、『新人(ニューマン)に人権を』、という先だての戦争は無理も無かったのだと思う。

 加悦さんなら、ライダー・プールにトラブルというニュースをゲットしたなら、指示待ちにはならない。命令に違反して、俺の所在地を軍にバラしてくれるかもしれない。

 ジョーはまだチーム・リーダーである俺の命令と違うことを実行するそんな度胸は無いけど、加悦さんは細かい状況の変化に対応できる。

 別に加悦さんが上等でジョーが役立たずというわけではない。単なる年季の差だ。あの二人には知識レベルの差ははぼ無いはずなのだが、とれる行動が全く違う。

 俺は加悦さんとジョーと母船のメインコンピュータのマム・スカベンジャーに3週間、軍に居場所を隠匿するよう依頼して逃げてきた。まだ軍からジョーのID端末に叱責が飛んでこないところをみると、上手く誤魔化してくれているということだ。

 けれど、このライダー・プールがテロ(可能性は0ではない)か事故で、中にいる俺の生存が疑わしければ、少なくとも加悦さんは、仮に死体になってたとしても、俺を発見するまでは、ちゃんと探してくれるはずだ。

 女性型をとるとホルモンに晒されなくても思考回路が女性化するのか、加悦さんの情は濃い。ただ問題は、スカベンジャーフィールドで俺抜きで仕事をしている加悦さんが、ニュースなんかを見るかどうかってことだ。ジョーならオフタイムにテレビを見るに違いないが、彼の趣味はニュースとは程遠い。

「中だけでの通話は可能?」

 俺は加悦さんを思い出してから、まだ帰っていない飛竜と、今日は大気圏突入(プランジ)だとほざいて、アルコールゼロだったパンピー柏木を思い出した。二人は当然、ここにはいないはずだけれど、もう一人知り合いがいることを忘れていた。

 もちろん、キュートでマッチョなザキさんだ。彼女の携帯端末番号はたしか聞いていた。

「もちろんです。中での通話数は、平日のおよそ45倍です。回線ビジーで繋がらない通話がその内の八割です」

 ここで暮らしている人間で、ここに知り合いが多い連中は、全体を救うより身内や顔見知りの安全確認にまだ忙しい……って訳か。

 人間だもん、しょうがない。ここに俺の未来の嫁さんがいたら、俺だってそっちの安否確認を優先する。ここの管理の連中が能無しであっても人でなしではなかったことを、人類の平和のために喜ぼう。

「一応繋いでみてくれる?」

 俺は端末を操作して『ザキさん』を選んで、マザ・コンに聞いた。ザキさんが万が一、パンピー柏木の彼女だったり、飛竜の毒牙にかかったかわいそうな女の子だったりして、家族がサンガに住んでいたりしたら、とりあえず内部に通話する相手がいない場合だってある。

 通常、呼び出し音。ワンコール。

「タカさんっ。無事だった?」

 噛みつくようなザキさんの声。

「私、キリーさんに頼まれてたから、心配してたのに、携帯いくら呼んでも取ってくれなくて。凄い心配したんだからっ」

 半分泣きそうな声になっている。俺は嬉しくなった。女の子に心配してもらうのは嫌いじゃない。ただ、大丈夫かという確認は心外だ。テラGならともかく、この異常事態のゼロGは、間違いなく俺のフィールドだ。

「ザキさん。今日はプールが宇宙人仕様になってるってこと、忘れてもらっちゃ困るな。そっちこそ、怪我してない? バカヂカラで、デカいもんを突き飛ばすなよ。浮いてるからって質量が無くなった訳じゃないから。質量がデカイもんは動かしにくいけど、一度動いちまったら止めにくいからな。慣性の法則はオープンスペースなら問題ないけど、壁があるとけっこうやっかいだ。重いものはむやみやたらと触るなよ」

「……うん。それは学習した」

 しょんぼりした声。ベットでも投げつけて、壁でも壊したのかもしれない。

「一人? それとも彼とか家族とかプールの中に頼れる人いる?」

「家族はサンガの一般居住区パンクよ。ついでに仕事仲間とか友だちも呼んでみたけど、回線ビジーばっかり……。何があったかなんて、タカさんに聞いても無駄よね……」

 ちょっとむかつく。この非常事態の原因把握にですね、プール内で行動開始しているのは、まだ俺だけなんですけどぉ。

 そう思いつつ、俺は中年の意地で重々しい声を出した。

「重力がゼロになっているのは、プールの回転が止まっているからだ」

「そんなの、小学生にだって分かるわよ。ふざけないでっ」

 ……冷たい声。ザキさん、俺は同じセリフで笑ったんですけど……。

 俺は理不尽なザキさんの怒声を、怖がっている女の子の不安定な精神状態がもたらした一時的な発作と解釈した。ボケ、カス発言にはこだわるまい。(そこまでは言われてないか)

「遮断壁で細かく分断されてるから、ちょっと特殊な方法とらないと他の区画と行き来はできないけど、プールの壁そのものが破壊されている箇所は今のところ無し。
 電気系統もメインルートは壊れちゃってるけどバイパスが5本生きてるから、空気対流と酸素供給は暫くは大丈夫なはず。
 総合端末を始めとしたネットワーク関連のインフラがダウンしているのは、RA(Rotation axis)、つまりプールの回転軸で爆発があった為。
 爆発によってネットワークケーブルの大元が断線してるのと、無線のメインアンテナが破壊されたために、外との通話ができないけれど、プール内の通信網は落ちてはいない。
 繋がりにくいのは単に混んでるからね。あと、プール自体に地方放送局があれば良かったんだけど、テレビ・ラジオは基地がないから、オフィシャルな情報は流れる手段が無い。えっと、状況はこんなもん。
 というわけで、プール内なら無線も有線もビジーだけど問題なく使えるよ、ってなことを、ビジーな通話じゃなくて、比較的通常レベルで使えるはずのメッセージとかで『正確な情報』として流してくれる? 情報がないのが一番不安を│煽《あお》るから」

 電話の向うでザキさんが黙りこんでしまった。あれ?、俺何か悪いこと言った?

「それ……どうやって証明できる? 正確な情報なら喜んでそうするけど、デマを流すモトにはなりたくない」

 ザキさん、顔だけじゃなくて、中身もキュートじゃん。俺は少なからず見直した。

「総合端末を、ローカルエリアモードで再起動できる?」

「……タカさん。日本語で喋って」

「だから、総合端末をネット端末じゃなくて、コンピュータモードで再起できる? そしたら、自分のID端末レベルに相応しいだけの検索が、プールのホストに対してかけられるから。

 ここのホストに対する、俺のセキュリティレベルで検索可能なデータが今言ったやつ。それから、パンツはビジーだから、有線LAN起動がお勧め。ホストを噛ませる通信方式にシフトしていって。回線の負荷を減少できるはず」

 ザキさんが口を挟んできた。

「パンツって何?」

「一般通信」

「……そんな言い方しないわよ」

 一般はなんでもパンにするんじゃないのか。おし。少し賢くなった。俺は続けた。

「情報の正確さを確認したければ個人でしてほしい。ここのマムは少々のことじゃパンクしないと思うから。ああそう、セキュリティレベル高い人がいて、もっと詳しい情報引っ張りだせたら、全体にフィード・バックして欲しいんだけど。マムにオープンチャットスペース作ってもらうから、発言よろしくって添えてくれればいい。以上をお友だちに拡散頼める?」

「だから、日本語で喋ってって言ってるでしょ。同じ文さっさとよこして。まんま転送するから」

 ザキさんの頭の中身は、どうやらコンピュータの用語になるとフリーズするウィルスで汚染されているらしい。俺は苦笑した。とにかく、パニックを起こさせないには、正確な情報にアクセスできるという安心感が一番だ。

 俺はここのマザ・コンに今の内容を文章化してザキさんの端末に送るように命令してから、少し落ち着くために水分をとることにした。

 危険な台所に突撃して、冷蔵庫から水のボトルを取ってくると、端末前にもどって、フィードバックを待つことにした。俺はマッチョ・マンじゃない。走り回っても、できることはたかが知れている。さてと、一番最初の行動はとった。次は……、本当の現状把握だな。

 一口、水を飲み……たかったが、フタが開かねぇっ。という訳で自分の非力が情け無かった俺は、ちょっとだけ涙が出そうになった。

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