発電所は語る(第25回)「ディス・イズ・伊豆。小水力発電所は川端康成の悲しみと共に踊る ②」〜静岡県河津町編〜
川端が初めて湯ケ野温泉の福田屋を訪れたのは
19歳(1918年)の時だ。
梨本水力発電所が役割を終えた1972年、
偶然にも同じ年に
川端康成は自ら命を絶ち、
この世を去った。
河津川の由縁である。
(前編からのつづき)
この発電所が約半世紀ぶりに再稼働するという。
日本人初のノーベル文学賞を受賞した
世界的文豪(川端康成)と、
くすぶり続ける自称(兼詐称)文豪のわたし。
この大きな隔たりを少しでも埋めようと
発電所に導かれた私は
福田屋の「踊り子1」の 部屋の窓越しから
水量が増し続ける河津川を眺めている。
川は茶色く濁り、水しぶきを上げ、
橋をも流そうとする勢いだ。

水しぶぎが生み出す白色のカタチは、
ビールの泡のようでもあり、
生ハムの端っこのようでもある。
この拙い喩えの一語が証明するように、
川端康成や太宰治、井伏鱒二らの
真の文豪が愛した宿(福田屋)にとって、
私は招かざる客であろう。
梅雨明け前の横殴りの風は、
青春のモミジと、
木目調の窓を揺らすことはできても、
自称(兼詐称)文豪を消し去ることはできないままだ。
宿のチェックアウトまでは、
たっぷりと二時間を残していた。
自称(兼詐称)文豪のわたしは
小刻みに震える窓に向かって
横柄に諭すのである。
「ガタガタ言うでない」
実に愚かで、浅はかである。
エアコンに慣れ親しんだ自称(兼詐称)文豪は、
風を、気温を、川の水量を、天気ですらも
制御できれば都合がよいと考える。
このように人間中心で自然現象を捉え、
自然災害をも想定内、想定外という
空虚な言葉で枠にはめようとする思想を、
川端は苦々しく思ったであろう。
さて、話を発電所に戻そう。
構想から八年の歳月を費やし
水力発電所がよみがえる。
明治から稼働していた旧発電所の構造を引き継ぐため、
取水地点や発電所の場所は当時のままで、
導水路(トンネル)や放水路は、
既存施設を一部補修して活用される。

再稼働に取り組むIZU・パワーの担当者は、
調査の為に延長1,250mの導水路(トン ネル)の中に入り、
腰をかがめながら取水地点を目指した。

暗闇では懐中電灯だけが頼りだ。
懐中電灯は導水路内に生息するコウモリを照らすと同時に、
かつて導水路を建設した明治人の精神と誇りをも照らし、
一歩一歩と足を前に運ばせた。
「国境の長いトンネルを抜けるとそこは雪国であつた」
〜『雪国』 川端康成著 〜
とは呟かない。
(後編(③)につづく)
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