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右も左も分からない中、名刺200枚だけ持って島へ~50代商売経験ゼロの私が1人で旅行会社を起業した話③

社会的に一人ぼっちになり、私は「この先どうすればいいの?」という壁にぶち当たった。
以前、大手旅行会社に関わっていたとはいえ、私のはインターハイなどの大会運営担当で、チケット手配やツアー企画、営業といった「旅行を売る」実務は経験したことがなかった。
しかも以前派遣社員だった私は、知識も人脈もない状態で、最初の一歩を踏み出すことになったのだ。

まず必要だったのは、チケットの仕入れ先や宿泊業者との繋がりで、親会社のつてはあったものの、予約の流れも、料金のやりとりも教えてくれるわけではなく、私は自分の足であちこちに出向いて、半べそをかきながら教えてもらうしかなかった。
「こんなことも知らないの?」という空気を感じながらも、必死で聞いて回った。

さらに追い打ちをかけるように、2020年4月、JALやANAが旅行業者向けの卸価格制度を縮小・廃止し、航空券の価格はすべてダイナミックプライシング(価格変動制)へ移行した。
旅行業者が「仕入れて売る」だけでは差がつかない時代が訪れていたのだ。

コロナの影響も予想以上に長く続き、タイミングは最悪に思えた。
けれど、50歳OVERの私には、「タイミング」なんて計ってる時間は無かった。とりあえず、やってみよう!

助けは思いがけないところから きっかけは、Instagram??

ヨロン島を専門とした旅行業にすることは決めていたのだが、なんせ直径6kmの小さなヨロン島だけでは受け入れのキャパが小さすぎた。宿も少なく、プロペラ機はすぐ満席。
「ヨロン専門だけでは厳しいかも…」と考え始めた頃のこと。きっかけは、意外にもInstagramだった。

ある日、奄美大島在住の男性からメッセージが届いた。
最初は返信せずにいたが、数週間たってふとその人の写真が頭に浮かんだ。真っ青な海の写真。
島の情報が聞けたらありがたい!と思い、返信をしてみることにした。

彼は土建業をしているKさんという人だった。
やり取りの中で私はひたすら島のことを質問した。
私の話と言ったら、観光の現状やアクティビティの事ばかりで、きっと「この人、何者?」と思われていたはず(笑)。
そんなある日、私は正直に言った。
「実は、島専門の旅行会社を立ち上げようと思っていて、奄美のことを知りたくて聞いてたの。」

するとKさんは、驚くほど素直に喜び、
「そうだったんだ!じゃあ、実際に来てみたら?できることは協力するよ。」と言ってくれたのだった。

はじめての現地訪問 「名刺一枚」から始まったわらしべ長者の旅

2021年6月、私はヨロン島の宿泊業者へ挨拶に行く予定を立てていたが、その帰りに奄美大島にも足を伸ばすことにした。
事前にアクティビティ業者や施設に連絡を取り、自分の自己紹介資料と、名刺を200枚、それに気合いを鞄に入れて旅立った。

ヨロンでは、昔のお客様や友人たちが伝手をつないでくれて、比較的スムーズに訪問を進めることができた。
観光協会にも挨拶を済ませ、船で奄美大島へ移動。
与論港を昼に出て、奄美着は21時だった。港にはKさんが車で迎えに来てくれていた。

一仕事後の緊張がほぐれた私は、船で他の乗客と酒盛りをして(笑)べろべろになってしまった。
かなり酔っ払った状態でKさんと初対面したわけだが(Kさん、今更だけどごめん💦)
翌日から必要になるレンタカーも、Kさんが知り合いに手配してくれた。夜遅く、港からホテルまで送ってくれた。

そして奄美に着いた翌朝、ホテルに現れたのは、レンタカー会社経営者の女性だった。
免許証を出すと、「あ!同い年だ!」と、
それが、この後親友になるM子ちゃんとの出会いだった。
「Kから島専門の旅行会社を始めるって聞いたけど…」というところから始まり、改めて夜、Kさんも含め、飲みに行くことになった。

実際に話をすると、M子ちゃんと私はすぐに打ち解けた。なぜか、初対面でお互いが、「これからは親友だね!」となった。
こういうのって不思議だ…お互いをそんなに知り得ないのに、「今後もこの人とは繋がっていく!」って、直感が働くことがあるんだ。

彼女は、「心配しないで。島の知り合いがたくさんいるから、色んな人を紹介するよ。」と言ってくれ、
翌朝には紹介先の名前と連絡先が書かれたメモを手渡してくれた。「もう連絡してあるから、訪ねてごらん」と。


その紹介で訪ねたあるホテルの支配人、Hさん(またも偶然、同い年)は、私の話を聞きながら涙を浮かべ、
「よし、この先は任せろ。できることは何でも協力するよ。」
と言ってくれた。
Hさんは観光協会に近く、島の人脈に精通した存在で、私の挨拶回りに何日も付き合いながら、良質なアクティビティ業者も次々紹介してくれた。

島の神様も応援?~夜の森で

Kさんが紹介してくれたS社のアクティビティで、
「アマミノクロウサギナイトツアー」に参加した。
旅行会社の視察ということで、参加者は私1人、スタッフは2名付いてくれた。
夜20時頃出発をし、三太郎峠のクロウサギ出没ポイントに到着する。
ゆっくり車で進みながら、ウサギが出てきたら車を停め、観察するツアーなのだが、通常、ツアー中に見られるのは3~5匹だという。(稀に遭遇できない日もある)

その日は奇跡が起きた。
出て来る出て来る🐇🐇🐇🐇🐇🐇🐇🐇🐇🐇🐇🐇🐇🐇🐇🐇🐇🐇🐇
アマミノクロウサギが、あっちからもこっちからも。🐇🐇🐇🐇🐇🐇🐇
カウントできただけで26羽。
フィナーレに、年に一度も見られないような絶滅危惧種の鳥、オオトラツグミまで出てきて、夜の森は賑やかになった。
ガイドのIさんとYさんは「えええ??こんなこと…!!」
しまいには、私に「クロ様!」と言い出し、「写真をいただけませんか?」まで(ウサギが出てこない日が無いように、車に貼りたいのだとか笑)

「きっと、島の神様は歓迎してくれているんだね。」
私は勝手にそう解釈し、私は「ヨロンと奄美大島専門の旅行代理業」
にすることを決意した。

旅するように、仕事をつくる 島で築いた私の居場所

その後も私は奄美に滞在を重ね、各所を泊まり歩き、食を味わい、アクティビティを体験しながら、島の人たちと繋がっていった。
名刺一枚一枚が人を繋ぎ、紹介と信頼の連鎖が広がっていく。
優良業者や、旅程の回し方、おすすめの宿など、実践的な知識が身についていった。

今では、島の友人たちの助けを借りながらも、自信を持って「島専門」と名乗れるほど、現地を理解できたと思っている。

正直に言うと、いまだ旅行業だけで安定して生活するのは簡単ではない。
けれど、私のツアーを利用してくれたお客さまから届く手紙やメール、島での体験を語ってくれる声は、お金以上の充実感をくれる。

元々の始まりは20代の頃、ヨロン島のスナック「順」で過ごした時間だった。これは私にとって、今だに島での「名刺代わり」になっていて、「元・順ギャルだ!」と会話のきっかけになったりする。
「順」が閉店してから10年以上経つというのに、今だに島民から強い興味を示されるという事は、当時、内地の女の子たちが集まる、本当に楽しい場所だったんだろうな。
島民5.000人の小さな島で、そんな小さな歴史もあったのだ。

今年で起業して5年目。
東京与論会(県人会のようなもの)の役員も務めさせてもらっている。
東京出身の私が、島の応援団になったつもりでいたが、何だかんだと、島人に応援してもらっている。

■私が起業をして気付いたこと■

①「会社」って、実は私たちにお金を払いながら学ばせてくれる学校のようなもの。
人間関係でつらいことがあっても、そこで得た技能や知識は、いざという時に自分の力で生きていくための武器になる。
独立したら、欲しい知識は、自分から頭を下げて、頼み込んで、教えを乞うしかないんだー。
会社、色々教えてくれたこと、ありがとうね!

②思いきって手放す勇気がなければ、新しいものは得られない。
お金を必死に貯めて安心を抱えていても、それはせいぜい「一生食べていける保証」に過ぎない。
最悪の事態になったって、ご飯くらいは国が食べさせてくれる。

せっかくこんなに恵まれた時代、自由な国に生まれてきたんだもの。
これからも、新しいドアを開けて、知るはずもなかった世界を見に行きたいな。
大きなリスク(死なない程度ね)の先には、大きなリターンが待っている、と信じてる。


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