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50代商売経験ゼロの私が1人で旅行会社を起業した話②

沖縄、与論島の旅から戻り、私は一つの決意をした。
「旅を仕事にしよう。誰かに喜ばれる仕事をしよう」

20代の頃、放浪中に感動をくれた「あの島」と繋がる仕事。
私は、「与論島と奄美大島に特化した、旅行代理業」を興すことを決めた。
そして、国内旅行と海外旅行、両方を扱うことができる国家資格、「総合旅行業務取扱管理者」の資格を取ろうと決めた。

その決意をしたのが、2020年2月、コロナ直前だった。

世の中が止まり始め、学校は対面授業から「オンライン授業・録画視聴可能」に切り替わった。
でも、今思えばかえってそれが好都合だった。
何度も繰り返し視聴できたから理解も深まったし、派遣先の会社もコロナで暇になり、勉強時間もたっぷり確保できた。

10月に実施される「総合旅行業務取扱管理者」試験は、
50代で一般合格する人はわずか2%ほど。
私が通っていた学校では合格率40%だったが、それでも高い壁だった。
試験科目は4つ:
①旅行業法令
②約款
③国内旅行実務
④海外旅行実務

1教科でも60点を下回れば不合格。
落とした科目だけ来年再受験できる仕組みだったけれど、私は、2年間ダラダラ勉強なんて絶対にしたくなかった。
だから、初年度で全部合格する!

何の宣伝費ももらっていないけど、心から「この学校のお陰で合格した」って思っているのがこちら。本当に授業がおもしろかった!

50代の記憶力の衰えを感じながらも、朝1時間、昼2時間、夜2時間、土日は丸1日、勉強にあてた。
暗記ものは繰り返し、理解が必要な内容は何度も動画を見返した。

そしていよいよ、9月の「国内」試験日当日。
「これはまずいぞ」と言う出来事が起こった。

試験30分前、会場の席に着いた時
睡眠不足が続いていたのと、私が閉所が苦手なのも有り、数年前のパニック障害が、突然再発してしまった。
「こ、これはヤバい。」
心臓がバクバク、喉が渇き始めて、どうしようもなくなった。
係の人に伝えたが、コロナ真っ最中の時期だったのもあり、
「では保健室へ行きましょう。ただ、戻って来て試験は受けられません。」

どうしよう…と迷ったが、ここで諦めてもう1年受験の苦しみを味わうなんて、とんでもない!
頑張れるか?私、頼む!今日は何とか乗り越えて!!と願った。

「そうだ、今日は国内だから、何とかなる。倒れたらその時考えればいい!」
「では、このままやります。」と言い、呼吸を整えながら、何とか問題を解いていき、何とか4教科、終えることができた。

10月の本命、「総合」試験時は、更に緊張することを予想した。
試験前は有休をとり、5日間ホテルに籠って勉強するくらい、前回とは気合の入り方も違った。
しかし、これが却って緊張にも繋がってしまうので、試験会場に抗不安薬を持ち込んだ。
前回の様な症状が起きたら飲むしかない。(試験前にも飲んでいたが、飲みすぎると頭が働かなくなるので1錠だけにし、予備で持って行った)

幸い、「薬がある」という安心感もあり、バクバクしながらも何とか無事終えることができた。
ハプニングはあったが、「国内」「総合」ともに、力を出し切ることができた。

そして試験結果は、
「国内」の「約款」で、まさかの100点。他教科も90点以上で合格。
(よっしゃー!50代、なめんじゃねーぞ!)
そして「総合」も、全ての科目で80点以上を取り、こちらも合格した。

やる気と想いがあれば、50代だって挑戦できる。
ちなみに、私の大学卒業時の成績はビリから2番目で、決して頭が良いわけではない。
全ては、「熱」と「想い」なんだ。

翌年3月に会社を辞めた。
開業までの間、私は事業計画書を作成し、法人登記を行い、
「儲かる商売」ではなく、「誰かが喜んでくれる商売」を始める準備をした。

ここから先は、実際の「旅行業を開業する」1人旅の始まりとなる。
与論島と奄美大島のアクティビティをほぼすべて体験し、ホテルも1泊ずつ泊まり歩き、「私が良い」と思った業者さんとだけ繋がることにした。
そして、島人と接することができるツアーを作りたいと思った。
私がご紹介した島が、誰かの「帰ってきたくなる場所」になるように。

法人設立後、営業経験ゼロの私が、島へ挨拶回りへ
(③につづく)


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