NHKのど自慢予選会〜予選会詳細〜
1. 異変は前夜から始まっていた
予選会を前日に控えた夜。やはり、尋常ではない緊張が私を支配していた。
布団に入っても目が冴え渡り、ようやく浅い眠りについたかと思えば、時計の針は午前3時半を指している。
そこからは、どうあがいても眠れなかった。暗闇の中で、ただ心臓の鼓動だけが大きく響く。
そんな時、枕元のスマートフォンがかすかに震えた。
届いていたのは、ブログ(note)からの通知メール。開いて目を見張った。
なんと、見ず知らずの読者から1,000円のサポート(チップ)が届いていたのだ。
メッセージは添えられていなかった。しかし、そのお名前から察することか出来た。
私の書いた闘病記『奇跡〜癌が消えた〜』に、深く共感してくださった読者の方だと思う。
ご自身もいま、人生の一大事と向き合っていらっしゃるはずだ。それなのに、なぜこのタイミングで、私のような人間のために……。
その瞬間、私の胸を締め付け
ていた重苦しい緊張が、嘘のように消えていった。
激しい動悸の代わりに、温かい決意が満ちてくる。
「今日、私はこの方のために、すべてを懸けて歌おう。この方と共に、舞台に立とう」
夜明けの部屋で、私は静かに誓った。
2. 200組の熱気、そして想定外の「10秒」
午前11時2分。
滋賀県近江八幡市、近江八幡文化会館。
初夏の陽気の中、会場にはすでに一般観覧席を待つ長い行列ができていた。
今日は「NHKのど自慢予選会」の当日。私の傍らには、妻と、高校一年生になる長男、そして姉の姿があった。
出場者受付にも、書類選考を通過した200組の猛者たちが、当選ハガキを握りしめて並んでいる。
受付は1〜50、51〜100……と4つのブロックに分かれており、長机に座る女性スタッフに名前を確認されると、左胸に貼る「受付番号シール」が手渡された。
「本日の注意事項です。よくお読みくださいね」
2人目のスタッフから説明を受け、いよいよ場内へ。客席は出場者席と一般観覧席に明確に分けられており、すでに独特の熱気が渦巻いていた。
午前11時45分。
ステージに「前節」を担当する男性スタッフが登場した。
元アナウンサーだろうか、巧みな話術とユーモアあふれる振り付けで、緊張でカチコチになっていた場内の空気を一気に和ませていく。
続いて女性スタッフがステージに上がり、実際にマイクを持って「番号と曲名」を言ってから歌う、という実践的なデモンストレーションが行われた。
そして、ついに予選会が始まった。場内は撮影・録音一切禁止。緊迫のステージだ。
私の番号は「46番」。この予選会では、歌う曲名の「あいうえお順」で番号が決まる。私の曲は、中村雅俊さんの『俺たちの旅』
1番から50番までの出場者が一斉に呼ばれ、ステージ脇の階段通路に並ぶ。そして壇上へ。壇上の席がいっぱいになったため、44番以降の私たちは舞台裏での待機となった。
壁のモニターには、ステージ上の様子がリアルタイムで映し出されている。消えていたはずの緊張が、一気に、津波のように押し寄せてきた。
「……あれ? 少し長くないか?」
事前の説明では、イントロや間奏は短縮され、曲の開始から40秒〜45秒ほどでストップがかかると聞いていた。
だから私は、その時間内だけを完璧に歌えるよう、徹底して練習してきたのだ。
だが、トップバッターからの演奏を聴いていると、「ありがとうございました」とストップがかるまでの時間が妙に長い。
胸騒ぎがして、手元の時計で2、3人のタイムを計ってみた。
――55秒。
それは、翌日の「本番」とほぼ同じ演奏時間だった。私の頭の中が、一瞬で真っ白になった。
「嘘だろ……45秒から先の歌詞なんて、練習していない……!」
不安に耐えかね、前後の20歳くらいの男の子と女の子に「ねえ、ちょっと長くない?」と話しかけると、彼らも「確かに長いですね……」と顔を見合わせた。
「どうしよう、歌詞覚えてないーーっ!」
思わず情けない声を上げると、2人に失笑された。
完全に忘れたわけではない。しかし、想定外の事態に、脳内は大混乱に陥っていた。
「最後まで歌えるのか? 途中で詰まったらどうしよう……」
不安は、加速度的に増幅していく。
3. 真っ白な世界のなかで
順番は容赦なく進み、私たちはステージ上の待機席へと誘導された。
さすがに激戦の書類選考を勝ち抜いた面々だ。誰もがプロ顔負けに上手く、歌詞を間違える者など一人もいない。
「歌詞を忘れて途中で歌えなくなる、唯一の恥晒しに自分がなるのではないか」
そんな最悪のイメージばかりが頭をよぎる。
しかし、のど自慢のステージは、ただ座って待つことを許してくれない。
会場と一体となって、前の人の曲に合わせて手拍子をし、左右に手を振り、全力でステージを盛り上げなければならないのだ。
客席からは本番さながらの応援団の掛け声が飛び交い、手作りのプラカードが揺れている。
そのお祭り騒ぎのど真ん中で、私の心は完全に孤立していた。
必死に頭の中で歌詞をおさらいしようとするのに、どうしても言葉が出てこない。
(なんて場違いな場所にいるんだ。なぜ、歌の上手い妻や姉ではなく、私がここに座っているんだ……)
どうしようもない焦燥感が、身体を締め付ける。バクバクという心臓の激しい鼓動が、全身の骨にまで響くようだった。
自分を信じろ、と言い聞かせる反面、脳裏の歌詞カードは白紙のままだ。
最後は、神頼みしか残されていなかった。
実は今年、息子の高校受験前に近江八幡市に祀られている天之御中主神(あめのみなかぬしのかみ)の神社に息子(当時中3)と一緒に参拝している。
『天之御中主神は日本神話(『古事記』など)の天地開闢(てんちかいびゃく)において最初に登場する、宇宙の根源を司る至高の神。八百万の神々の頂点に立つ最高神とされています。』
予想だにしなかった予選会出場で再びこの地を訪れる事になるとは、なんともスピリチュアルなご縁である。
天之御中主神(あめのみなかぬしのかみ)様の名を、心の中で必死に唱えた。
(神様、どうか最後まで間違えずに歌えますよう、お守りください。上手い下手なんてどうでもいい、予選通過なんて望みません。ただ、この最高潮に盛り上がっている会場を、私の歌でしらけさせることだけは、絶対に避けさせてください……!)
「続いて、46番の方、スタンバイお願いします」
いよいよ、あと4人。
椅子から立ち上がり、マイクを持つスタッフの後ろに並んだ瞬間、自分の足がガクガクと激しく震えていることに気づき、戦慄した。
曲の手拍子に合わせるフリをしながら、屈伸をし、ステップを踏み、必死で震えをゴマカす。
もう、後戻りはできない。
この2週間、月・水・金とカラオケボックスにこもり、1回4時間を費やしてきた。それ以外の時間も、移動中も、常にイヤホンを耳に差し込み、何度も、何度も繰り返し聴いてきた。
ただ「45秒」という時間に絞り込んでしまった、あの猛練習。
(あと3倍、いや、せめてフルコーラスで練習しておけばよかった……!)
後悔が押し寄せるが、それすら打ち消す。
(ダメだ、最初の一節だけを繰り返せ。……夢の坂道、夢の坂道、夢の坂道……!)
「次の方、どうぞ」
背中を押され、ステージ中央へ歩を進める。その時、先ほど場内を沸かせていた元アナウンサーのスタッフが、通り過ぎざまに「緊張を楽しんで!」と、ぽつりと優しい声をかけてくれた。
「はいっ」とうわずった返事を返すと同時に、重みのあるマイクが手渡された。
ステージ中央の足元にある、四角いテープの目印の前に立つ。
まばゆい照明の向こうに、何百人もの視線が見えた。
「46番、『俺たちの旅』!」
客席のどこかにいるはずの、妻たちの方向へ、無理やり笑顔を作って右手を振った。
その瞬間、イントロのメロディが会場に響き渡る。
私は右耳の聴力を失っている。そのせいか、あるいは生まれつきの音痴のせいか、私はいつも歌い出しの音程を外してしまう。
妻や姉にも「最初がズレると、最後までズレる。メロディをちゃんと聴いて」と何度も指摘されてきた。
何度も練習を重ねたが、最初の音が綺麗にはまる確率は、良くて5割。
その、運命の最初の音が迫ってくる。
口をすぼめ、心の中で「夢の坂道」と呟いた。
そして、メロディが歌い出しの瞬間に達したとき、私の喉から言葉が飛び出した。
そこからの記憶は――不思議なほど、一瞬も残っていない。
私がステージのセンターへ移動する時、会場の3人は「がんばれ〜!」と
大声で声援を送ってくれたと言うが、
緊張の塊の私には聞こえてない。
気がついたときには、「ありがとうございました」というスタッフの声と、客席からの温かい拍手が鳴り響いていた。
私の歌に、客席から手拍子があったのか左右に手を揺らされていたのか
全くわからない。
どうやら、曲は予定通りのところでストップしたようだった。
音程が合っていたのか、歌詞が合っていたのか、それとも大失敗したのか、本当に何も分からない。
よくオリンピック選手やプロ野球選手が「興奮して試合中の記憶がないんです」と語るのを聞いて「大袈裟な」と思っていたが、あれは本当だったのだ。
極限の集中と緊張のなかで、私の意識は飛んでいた。
深く一礼し、夢遊病者のようにステージ袖へ向かう。そこには、2人の面接官が待つ長机があった。
席に着いた瞬間、私は「海堂紡」という、いつもの自分に引き戻された。
最初に、若い女性アシスタントから意外な質問を投げかけられた。
「素晴らしいステージでしたね! 何回か出場されているのですか?」
「いえ、全くの初めてです。何より、人前で歌うこと自体、人生で初めてなんです。心臓が口から飛び出すかと思いました」
私が正直に白状すると、彼女は「そんな風に見えませんでしたよ!」とケラケラと楽しそうに笑ってくれた。
続いて、お隣にいらした司会者の塚原愛アナウンサーと向き合う。
テレビで見るよりもずっと細く、お人形のように綺麗な人だった。いつもの営業マンの顔に戻った私は、思ったままを口にした。
「テレビで拝見するより、お綺麗で驚きました」
すると彼女は、両手を小さく振りながら「いやいや!」と、顔を赤くして苦笑いされていた。
現在の職業や、なぜこの曲を選んだのかといった簡単なインタビューを受け、私の短い夏は幕を閉じた。
4. 行動が、息子の心に届いた瞬間
ロビーへ出ると、姉たちが私の姿を見つけて駆け寄ってきた。
「どうやった!? 俺、歌えてた? 記憶が全くないねん!」
詰め寄る私に、姉は満面の笑みで答えてくれた。
「しっかり歌えてたよ! 他の人と比べても全然遜色なかった。心配してた歌い始めも、バッチリ合ってた! ……ただ、途中からちょっと気持ちが焦ったんか、リズムが走り出しちゃったトコだけが惜しかったなぁ」
「そうか……! 走ってたか。でも、ちゃんと歌えてたんやな……」
安堵でへなへなが崩れ落ちそうになる私を見て、姉は私の肩を叩き、傍らに立つ私の息子を振り返った。
「それにしても、あんな大舞台で堂々と歌いきるなんて、お父さん本当に凄いわ。なぁ、〇〇くん、お父さん凄かったよなぁ!」
いつもは思春期特有のぶっきらぼうな態度を崩さない高校生の長男が、その時、真っ直ぐに私を見て言った。
「……うん。凄いよ。尊敬する。あとの組の出来栄えによっては、マジで本番進出もあるんじゃない?」
言葉が出なかった。
これまでの人生で、子どもに褒められたことも、「尊敬する」なんて言われたことも、ただの一度もなかった。
父親として、背中を見せようと、これまでたくさんの言葉を尽くし、色んなプロジェクトと称して語りかけてきた。
けれど、そのどれもが息子の心の奥底までは届いていないような、もどかしさをずっと抱えていたのだ。
1万言の説教よりも、たった1回の、不器用で必死な父親の「行動」。
それが、息子の心を動かした。
(2週間、恥をかきながら頑張って本当によかった。この泥臭い姿を見せられて、本当によかった……)
胸の奥から熱いものが込み上げ、感無量になった。
ロビーの大型モニターには、ちょうど私がステージで必死に歌う姿が録画で流れていた。
動画に収めようかとも思ったが、押し寄せた凄まじい脱力感と気恥ずかしさで、ただ呆然とそれを見送った。
姉が少し申し訳なさそうな顔で言った。
「そういえば、あんたの次の順番の若いお姉さん、ステージで歌詞をど忘れして詰まっちゃてん……」
胸が痛んだ。舞台裏の待合席で、私が「歌詞を覚えてない!」などと大騒ぎしたから、彼女に恐怖が伝染してしまったのかもしれない。
申し訳ないことをしてしまった、と心の中で手を合わせた。
時計はまだ午後1時を回ったところ。予選会はまだ続いている。
「もう疲れ果てたわ。明日も仕事やし、もう帰ろうか」
私が言うと、姉も「そうやね、十分楽しんだわ」と同意してくれた。
もし奇跡的に合格していれば、夕方5時半の発表時に会場にいなければならず、その後7時半まで打ち合わせで拘束される。さらに翌朝は7時半集合でリハーサルだ。
受かっているはずもないし、何より、私はすでに最高のギフトをもらっていた。
しかし、昼食に入った店で、息子がどうにも帰りたくなさそうな顔をしている。
「……やっぱり、最後まで見届けるか」
息子の熱意に押され、私たちは再び会場へと戻ることにした。
5. のど自慢の「真意」、そして本当の奇跡
会場では、後半の151番から200番の出場者たちが熱戦を繰り広げていた。
客席で少し仮眠をとろうと思ったが、会場の熱気と、スタッフからの「手拍子!」「手を振って!」という容赦ない指示に巻き込まれ、眠るどころではなかった。
予定より30分遅れで、全200組の演奏が終了した。
結果発表は15分遅れの午後5時45分から。その審査の合間を縫って、ステージでは「大カラオケ大会」が始まった。出場者も一般観覧者も、誰でも参加できるお祭りだ。
曲名が紹介されると、客席から一斉に手が挙がる。
選ばれた2人がステージに上がり、即興でデュエットするのだ。歌詞カードはないため、自分のスマホで検索しながら歌っても良いという優しさだった。
歌下手な私は、ただ客席からその様子を眺めていた。妻や姉が歌えばいいのに、とも思ったが、あの熱狂の中でステージに立つのがどれほど恐ろしいことか、身を以て知ったばかりだ。
曲が進むにつれ、私はある法則に気づいた。
ステージに上がるため挙手しているのは、いつも同じメンバーなのだ。
よほど歌唱力に自信があるのか、それとも目立ちたがり屋か。いわゆる「場慣れした上手い人たち」だった。
ふと、もし自分がこの番組のプロデューサーなら、どんな人を選ぶだろうかと考えた。
同じような「歌が抜群に上手い人」や「ただ目立ちたい人」ばかりを20組並べても、番組としては少しも面白くない。
自分から手は挙げられないけれど、ひとたびステージに立つと、言葉にできない独特の光を放つ人。
歌は決して上手くないけれど、なぜか奇妙なほどに聞き入ってしまう人。
泥臭くても、背景に誰もが涙するような物語(エピソード)を背負っている人――。
そんな光り輝くいろんな原石を見てみたいし、全国の人に見てもらいたい!
(そうか。歌の上手さだけでは、この本選の切符は掴めないんだ)
バラエティ番組としての『NHKのど自慢』が、長年日本中で愛され続けている真意が、その時ストンと腑に落ちた気がした。
「大変お待たせいたしました。これより結果発表を行います」
実行委員長がステージに登壇し、前節のアナウンサーが厳しい合格条件を再度アナウンスする。
「今この会場にいらっしゃること。グループの方は全員揃っていること。名前を呼ばれたらすぐに壇上へ上がること。この後19時半までの打ち合わせ、そして明日朝7時半からのリハーサルに必ず出席できること。これが絶対条件です。……同意できない方、いらっしゃいますか?」
客席を見渡すアナウンサー。
「いらっしゃったら、今すぐお引き取りいただきます!(笑)」
会場にどっと失笑が漏れる。
「11番!」「17番!」
静まり返った場内に、合格者の番号が響き渡る。
私の心臓が、ほんの少しだけ跳ねた。
「39番!」
……次は、40番代だ。かすかな奇跡を願う。
「――56番!」
私の番号は、呼ばれなかった。
のど自慢本番出場という私の挑戦は、ここで静かに幕を閉じた。
長く、そしてあまりにも短い2週間だった。
けれど振り返れば、これほどまでに命の洗濯ができ、生き甲斐を感じられた日々はなかった。
会館を出ると、空は美しい夕焼けに染まっていた。
駅へと歩く帰り道、息子がポツリと私に話しかけてきた。
「お父さんも、おばちゃんも……チャレンジ精神が半端ないな。僕には、絶対真似できひんわ。凄いよ」
姉は今年で69歳になるというのに、最近、英会話教室に通い始めた。そして私は、この歳で右耳のハンデを抱えながら、のど自慢のステージで震えながら歌いきった。
息子の口から出た予想もしない言葉に、胸の奥がツンと熱くなった。
これまで、言葉でいくら伝えても届かなかったメッセージが、私の震える背中を通じて、しっかりと息子の心に深く刻まれていたのだ。
(2週間、必死でもがいて良かった……。お前のその言葉で、お父さんのこれまでの苦労も、不安も、すべてが救われたよ。〇〇、最高の言葉をありがとう)
心の中で熱い涙を流しながら、私は大人の余裕を装って、息子にこう返した。
「そんなことないよ。お父さんもおばちゃんもな、〇〇の歳の時には、こんなこと絶対にできんかったし、やろうとも思わんかった。人生のゴールが少しずつ見えてきた今やからこそ、自分に残された時間の中で、目の前にあるできる限りのことをやり残したくなくってさ。経験したことがない世界を、見てみたかっただけやねん」
私は息子の肩をぽんと叩いた。
「〇〇にはな、今できることが、無限に近いくらいある。お父さんやおばちゃんよりも、遥かに広くて大きな宇宙の中に、お前は今立ってるんやで。その中から、自分の好きなこと、やってみたいことを、じっくり選んでやっていけばいい。時間はまだまだたくさんある。やりたいと思った時が、いつだってスタートラインや」
残念ながら、私の人生に「第3の奇跡」は起こらなかった。
けれど、本選への合格通知なんかよりも、遥かに光り輝く、かけがえのない宝物を私はこの日、受け取ったのだ。
「さあ、帰ろうか」
私たちは、大きな夕日を背に浴びながら、温かい我が家へとホームへ入って来る電車へと乗り込んだ。
私の右耳には聞こえなくても、心の中には、あの『俺たちの旅』のメロディが、いつまでも、いつまでも心地よく鳴り響いていた。
6. 翌日の特等席、4000分の20のスターたち
激闘から一夜明けた日曜日。午後0時15分。
私は自宅のテレビの前にいた。画面に映し出されているのは、昨日あれほど熱い空気を肌で感じた、あのステージだ。
『NHKのど自慢』の軽快なテーマソングと共に、全国生放送の幕が上がる。
画面の向こうには、あの厳しい書類選考と、200組が火花を散らした予選会の網を潜り抜けた、精鋭20組の姿があった。
昨日、同じ空間で、同じように足の震えと戦っていた仲間たちだ。
イントロが流れ、一人ひとりがマイクを握る。
その姿を食い入るように見つめながら、私の胸には深い感動と、昨日腑に落ちた「確信」が込み上げていた。
ステージに立つ誰もが、眩しいほどの光を放っている。
圧倒的な歌唱力で圧倒する人、お茶の間を一瞬で笑顔にするパフォーマンスを披露する人、その歌声の背景にある人生のドラマが透けて見えるような人……。
まさに、私が昨日あの場所で見抜いた「のど自慢の真意」そのものが、画面いっぱいに躍動していた。
演奏が終わり、カーンと鐘が鳴る。
合格の鐘が鳴り響いた人も、無念の2つに終わった人もいた。
しかし、テレビの前の私にとっては、そんな結果はもう、全く関係のないことだった。
あの底知れない緊張の舞台に立ち、全国の茶の間へ向けて自分の歌声を、自分の生き様を届けたということ。それ自体が、この上なく尊く、素晴らしい。
画面の向こうでスポットライトを浴びる20組すべての人が、紛れもなく、
その瞬間の日本で一番の「スター」だった。
敗者としての悔しさなどは、微塵もなかった。あるのは、同じ夢の坂道を走った同志たちへの、心からの敬意と拍手だけだ。
私はテレビに向かって、昨日息子がくれた言葉を、そのまま彼らに送りたい衝動に駆られていた。
(皆さん、本当に半端ないチャレンジ精神でした。)
最高のステージを見せてくれた20組のスターたちに、私は惜しみない拍手を送り続けた。
私の挑戦は終わったけれど、彼らの歌声が、私の乾いた心に最後のみずみずしい潤いを与えてくれたような気がした。
最高のステージを見せてくれた20組のスターたちに、私は心からの親愛を込めて、この言葉を贈りたい。
最後に。
みんな、本当に格好良かったよ!
みんな格好良かったよ!
