選べない大人と、迷わない子ども。ーー私たちが持っている余白の話
日曜日の午後、
娘と四歳の孫と一緒に、着物屋さんのイベントへ出かけました。
若いころから、
着物や帯の凛とした佇まいを見るも着るのも大好きです。
そこで出会ったのは、つづら折りの手織りの帯。
「五百万円を超えます」
その数字を聞いて、思わず声がでませんでした。
その帯は、「欲しい」という言葉が追いつかないほど、
ただ圧倒的に美しくて。
見ているだけで、胸の奥がじんわりと満たされていくような感覚でした。
お店の方が少しお話をして、
「五十万円くらいなら……」と提案してくださいました。
もし、今とは違う時期の自分だったら。
もしかしたら、その場で決断していたかもしれません。
けれど今の私には、
物価のこと、日々の出費のこと、これからの暮らしのこと。
いくつもの現実が、静かに頭をよぎりました。
美しさは、ちゃんと感じていました。
ただ、それを選び、引き受ける力――
現実と向き合いながら決断する力が、今の私には足りなかった。
だから今回は、
お願いして写真に収めて、帰ることにしました。
*
一方で、隣にいた四歳の孫は、私とはまったく違う世界にいました。
ママが着物を試着しているのを見て、
「ずるい!」と一言。
そのまま当然のように、自分も着付けをしてもらっています。
この二日間、
孫の口から「ママはずるい」という言葉を何度か聞きました。
でもそれは、誰かを責める言葉ではなく、
「わたしもそれがやりたい」という、混じり気のない意思表示。
できることは、迷わず、やってしまう。
安心できる環境の中では、
子どもは、自分の欲求を疑わずに外へ出せる。
守られているという感覚があるからこそ、
欲しい気持ちを、そのまま言葉にできるのだと感じました。

*
同じ場所に立っていても、
大人と子どもでは、心にある余白の使い方が違うようです。
大人は、余白が足りなくなると、
欲しいものを「欲しい」と言う前に、
自分から手を引いてしまうことがあります。
けれどそれは、決して弱さではありません。
限られた現実の中で、自分と生活を守ろうとする、
とても誠実な反応なのだと思います。
選べなかった自分を、
責めたり、寂しく思ったりしなくていい。
もし今、
「本当は欲しいのに、選べない」
そんな感覚を抱えているとしたら、
それは、あなたのこころが怠けているのではなく、
余白が足りないだけかもしれません。
この日は、
そんな対比を静かに持ち帰った一日でした。

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