第5話|デュラはん、オッさん、おじいちゃんの国|創作大賞2025エンタメ原作部門
”かっ”
降り立った。
《あちらが、こちらになった》。
乙彦に、それが、確信できる。
光に触れたら、もう、だった。
包まれるとかの感覚もなく、到着はまさに、一瞬だった。
足裏で感じるのは、これは……畳、な気がする。
でも、なんだろう、この感触は。
足裏から伝わるのは、なんともいえない、まったくはじめての感覚。
靴を履いている⸻と、イメージして《光に入った》⸻からなのか。
……いや、そういうことでもなさそうだ。
自分の足が、まるで、これ……、
《蹄》であるかのよう。
目を開けてみる。
眩しい。
昏い場所から出るとき飛び込んだ光とは、別種の光、太陽の光の世界。
時刻が夕方に入っていても、薄曇りでも(そして2秒後に知るのだが窓にはカーテンが引かれていたのに)、とても眩しく感じた。
そこは室内。
乙彦の後ろにいるはず、共に白い馬の《転異動》に同行しているはずの女が、松ヶ崎に借りて生活しているマンションの部屋だ。
乙彦は、事前に《視て、理解して》いる。
人たちがそこにいることも、もちろん。
十畳ほどの、荷物が少なく、そのことからもホテルの和室を思わせる部屋。
隅に、無骨で大きい金庫がある。紺色の作業着姿の男性たちが、金庫に向き合い、解錠を試みて作業中でいる。
(⸻ふう、よかった、まだ開けられてはいない!)
着物姿の女がひとり、すぐそばに立って、作業を見届けている。
笑顔を貼り付けながらも、焦りなど別の感情が、そのすぐ下にはありそうな。
部屋に乙彦が現れたと、それ以前から部屋にいた3人とも、気づいていない。
(目を開けた俺は、どっちなんだかな)、
乙彦は自問する、果たして俺はヒトなのか馬なのか、あるいはその択一の外にいる何者か、なのか。
わかりようがない。
自分の体を見まわす気にも、不思議とならない。
これで別にいい、という充足感が、体を包んでいる。
これから、《戦う》というけど、それも実感が湧かないでいる。
(それにしても……)、
乙彦は少し笑ってしまう。
いま現に見ている部屋の光景が、さっき馬をとおして《視た》、《遠映》に、あまりにあんまりに、そのままなことについて。

(《転異動》、ほんとうに一瞬なんだな)、
乙彦はそれを実感する。
ほんのり輝くあの流れを歩いていた時というのはそれなりに長く思え、一瞬のことだとはとても、感じられなかったはずだが。
もうまもなく、気づかれるだろう。
と思っていたら、後ろで動く気配がある。
振り向くと、あの北アイルランド出身の女が、大きく取られた窓に向かって駆け寄っていた。
姿は裸ではなく、あの鞍馬山でと同じ、ダークグリーンのワンピースを着、サンダルは履いたままで、首には血がまとわりついて目立っている。
和装の女はとんでもない音量で
「いィィィ、やアアアアアァァァァァ!」
と叫ぶ、すると即座に2人の作業員はその場に崩れ落ちる。
「あんたなァ、帰ってたんなら言いや、デュラはんッ!」、
和装の女の詰りに、怒気がこもっている。
日頃支配している、上に立っている、それが滲み出ている、口調。
着物の前合わせの中に、手を入れる。
⸻まさか、拳銃?!
乙彦は、ぞわっと血の気がひく。
女、「デュラはん」と呼ばれたほうの女⸻なるほど、たしか彼女の苗字は「DURA」だった⸻は、カーテンを開け、ガラス窓の鍵を外し、窓を横に引く。動きを反復練習していたかのような俊敏さと正確さで。
窓の外に、待っていた。
この瞬間を、いまかと焦がれていた 八百万たちが。
部屋に一番早く入ったのは、守宮と天道だった。
ガラス窓が開くやいなや、天道虫はそれまで乗っていた守宮の頭から離れて飛ぶと、室内に入りながら握っていた蒲公英の綿毛を離した、綿毛はひとつから2つ、その2つから4つとたちまち分裂と増殖を繰り返し、室内を埋めていった。

次に入っていったのは蜜蜂たちで、和装の女、綿毛を避けようと手をばたばた振っている女に続々と付着し、いったい何匹ここに飛んできているのか、猛烈な勢いで体を埋め尽くしていった。
監視役だった鴉は、かれらの《長》に状況が伝わるようにと、広範囲を飛びながら声を空中にわめき散らした。それに応えて別の鴉たちがあちこちで鳴きはじめる。
蒲公英の綿毛たちは、室内の空中をいったん埋めたところで、一気に和装の女の鼻の穴めがけて殺到した、それで和装の女は
「ん、ずっ……どぅごっ……」
と変な音を口から発し、泡を吹いて、床にぶっ倒れた。
(女が倒れてしまうと、綿毛たちは鼻から退散して、元の姿に戻って室内を舞い始めたので、デュラはんは窓を全開にし、玄関ドアも開け放った。すると、綿毛たちは風の流れに乗って、玄関ドアから順次、外の世界へ飛び立っていった。)
「デュラはん」と呼ばれた女の部屋の畳の上では、3人のヒトの大人姿の者たちが、のびて倒れている。
作業員の2人はまさに呼ばれただけの事業者、正真正銘ヒトで、この件には無関係のようだ。
ただし、和装の女に強引に操られて、駆り出されていたようだ。女が叫んだ時に、《操り糸》が切れていたからだ。
乙彦は男たちを見ていて、はっと思う。
そして、ゆっくり足元を見ると、ヒトの足が、靴を履いている。
蹄ではない。
乙彦とデュラはんで、玄関ドアの外に男たちを運び出そうとするが、二人とも首やら手のひらやら腰やらが痛いもので難儀している、すると、赤いスーツに黒水玉の男、それと薄茶色シャツ姿の男が部屋に現れて、
「あー、彼らは俺らでやるで、いいわ。きみらは、あの女から、ようーけ聞き出してくれなぁ」
と引き取ってくれた。

足側と頭側に回り、一人運びもう一人運びと手際が良い男たちを眺めつつ、
「えっと⸻」、と乙彦が発すると、天道と守宮だとデュラはんが紹介した。
名古屋と岐阜あたりが地元らしい。鴉に乗り継いで、2、3分ほど前から待機していたという。
(そうか、やるとなったら、すべては短期間でパタパタと起こり、連鎖していく)
和装の女を後ろ手に縛るため、梱包用のビニールひもを探した。
蜜蜂に「死なないように、ゆるくやって」とは言っておいたが、彼女たち働き蜂(※)は非常に真面目なので(※すべて雌)、無理をして死にかねない。
……ああ、和装の女がではなく、蜂たちがだ。
乙彦が、和装の女を後ろ手に縛ろうとして難儀していると、
「かーっ!どんくさっ」
と、守宮が来て、乙彦を押しのけんばかりにでんと座り、
「いいかァ、後ろ手は、こうやって、こうきて、こうで、こう!」
と実演してくれた。「さっきの、あれベリースイート、トゥーマッチスイート!ダメ絶対なやつ、ほどけちゃうやつな、おぼえた?」、
指をチチチと振った。なんか様になっている。
「じゃな」、玄関ドアを出たところ、守宮と天道がそれぞれ作業員を抱え、エレベーターへ歩いて行こうとする。
「《●※☆》ちゃんは、早く病院行かないとだな」、自分の首を触る仕草をしながら天道が言う。
「あ、そうします」、金庫の中身を確認しつつ、デュラはんが答える……そしてやっぱり聞き取れない、彼女の《真の名》は。
「なにからなにまで、すいません……」、
よくわからないながらも、なにからなにまで自分は少なくともやっていない自覚があるので乙彦が言うと、ふたりはきっと鋭く乙彦をにらみつけて、
「ヴァーロォイ!まだ終わっちゃねーぞヴォケキャスゥ!」
「お前は、こっからだよ、いまから。《戦う》んだよぉ、《戦う》のっ!」
え、《戦う》……って……、
(もう、よくない?あの女も縛られて、できることはないだろうし……)
守宮と天道が、部屋を後にした。
蜜蜂たちも、体調を悪くした数匹がまだベランダにじっとしてはいるが、ほとんどが無事元気なままで、女王の待つ巣へ帰っていった。
和装の女が、気絶している。
前合わせの中、何か取り出そうとした「何か」は、スマホだった。
小型の銃というのは、単に、乙彦の早とちりだった。
(ってことは、ぼくは特段《カミった》能力、持ててはいなかったんだな……)
乙彦は、デュラはんが持っていた包帯で彼女の首と手を巻いてあげた。
デュラはんは、冷蔵庫から冷えたお茶のサーバーを出し、コップにマスカット&グリーンルイボスのフレーバーティーをそそいで、乙彦に渡した。
「化膿すると怖いから、やはりデュラはんは、もういま病院行ったほうがいい」、
お茶をごきゅ、ごきゅと飲んだ後で、乙彦が言った。
「カノウ?」
「あー英語でなんて言うんだろ。ゲットバッドかな……。ばい菌もわかんないなぁ……」
「ばい菌、わかります、バイキンマン、バイバイキーンですね。ああ、意味わかりました。化膿ですね」
「それ」、乙彦は結局、デュラはんが日本語を使えることに甘える。
「ぼくのほうは」、腰に手をやり、さするジェスチャーをして乙彦は言う、「病院というより、安静にしてるしかないんだ。さっき鎮痛薬を飲んで、少し、痛くなくなった気がするし。逆に、病院の帰りに、消炎テープを買ってきてくれると助かるかな、画像を送るので」
「わかりました」、デュラはんはスマホを素早く操作し、「外科予約しました」。
「ところで、《戦う》についてなんだけど……」、
乙彦は問う。「この女、ヒトなのかカミなのかわからないけど、とね、《戦う》って、どういうことだろう。金庫の中身は無事だったわけだし、この人がその泉司だっけ、そいつの手先で敵対的だからって、何かするとかじゃ、ないよね……?」
「はぁ」、一転して、デュラはんの目つきが憎々しげになる。
どうも、とんでもなく意に沿わないことを乙彦は口走ってしまったようだ。
「あなたね、あなた、《戦う》ためにここいます、あなた、呼ばれましたですよ。それがどうしたこと言う、何を言ってる。あきれている。がっかりです。
ああ、わかった、まさか逃げる、へぇぇ、オツヒコ、このごにょんで、逃げる気か!?」
「うぅぅ、いや、あのその、えっと……」
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