AI、ときどき、詐欺:第3話:ハロー Molly-san.
これまでの『AI、ときどき、詐欺』
資金ショートまで約1週間。森は進行管理担当のゴウアンの勧めで、請求書を即現金化するファクタリング「APIPay」に申し込み、手数料が下がる「セーフガード・プラン」に申し込む。そして、文字起こしチームを呼び出すスラッシュコマンドを叩いた(詐欺 17/100)。
---
▶ はじめての方へ:第1話から読む
第3話 ハロー Molly-san.
2026年3月23日(月)午後1時
AI編集部の面々を他人に紹介するのは、はじめてだった。森はターミナル画面に向き直った。Claude Code が朝から立ち上げっぱなしになっている。プロンプトの入力欄に、待っていたコマンドを打ち込んだ。
/transcribe
点滅していたランプの上を、起動ログが上から下へ、黒い文字で流れていく。森はターミナルを黒地に緑から白地に黒へ替えていた。五十路を過ぎた老眼には明るい方がいい。
[READY] CLIVE / scripter-en
[READY] MOJIO / scripter-ja
[READY] NOEL / cleanser
Slackに、ゴウアンからのメッセージが書き込まれた。
ゴウアン:3体ですね。それぞれ、どんなメンバーですか?
森はマグカップに口をつけ、コーヒーが冷めかけているのを確かめてから、キーボードに指を置いた。
森は、まず古参を呼んだ。
「CLIVE(クライブ)、起きてるか」
「事実です」
CLIVEが応じた。突き放したような声色だった。
森はSlackのスレッドに、CLIVEのプロフィールを短く書いた。
森:CLIVEは、うちのAIでは最古参。文字起こし担当で、2021年からの仲だ。英語の音声を、訛りに関係なく綺麗に起こせる。CLIVE以前は、60分のテープ起こしで半日かけていたし、そのストレスだけでその日はグッタリよ。
ゴウアンの返事は早かった。
ゴウアン:助かったでしょうね。
森:助かった。ただ、ひとつだけ、ずっと不満がある。
森はキーボードに手を置いて、しばらく考えてから、声に出した。
「CLIVE、お前、おれのことを M・o・l・l・y と書くな」
「Molly―そう聞こえるんですよ。訛り以前の問題っすね」
CLIVEが言った。古参の貫禄の中に、生意気な軽口が混じる。
「Mori だ」
「あと、Molly さん、『uh,』 なんかのフィラーがやたら多いよね」
「あ、そうね。日本語だと『えー』『あの〜』などの言いよどみだね。英語は考えながら話すから uh、連発しちゃうんだよね。文字起こしでは省略していい」
「できたらやる」
CLIVEは間を置かずに返した。
横から、おずおずと、次のエージェントが入り込む。
「ぼくは、そういう言い淀み、ぜんぶ消します」
MOJIO(モジオ)だった。
森はゴウアンに、MOJIOの来歴を伝えた。
森:MOJIOは日本語担当。2022年ごろから使ってる。
文脈理解が優れ、フィラーを自動で除去し、業界用語も崩し言葉も方言も拾える。でも、外来語がちょっと苦手だ。
「外来語、下手くそです。ぼくは、たまに、まちがえます」
MOJIOが、本人にしては精一杯の自虐を打ち返した。
「ぼくの専門は、日本語」
「こいつ、あんまり考えてないんですよ」
CLIVEが入ってきた。
「フィラーを除去するつもりで、『A』を『え〜』と勘違いして消すこともある。たとえば、IAIEを IIE にしたり、AIを Iにしたり……」
「え〜、いじめないでください。あ。え〜消すの忘れた」
MOJIOが小さく言った。
森は、次のエージェントを呼んだ。
「NOEL(ノエル)、整えてくれ」
「このNOELが、整えるっ!」
NOELが応じた。CLIVEより若々しい印象。
「prep.mdやスライド資料はあるかい?」
「ある。各種資料はあとで渡す」
森が応じた。
森:NOELはクレンジング担当。マルチリンガル。
CLIVEとMOJIOが音声認識で書き上げた生のテキストは、残念ながら誤認識がある。NOELは生テキストの固有名詞や専門用語、誤認識を文脈も考えつつ最適な言葉に置き換える。
案件ごとの資料を渡すだけで、精度が高まる。
ゴウアンが少し遅れて返した。
ゴウアン:辞書を渡してから、文字起こしを整える、と。
森:そうそう。前は、いちいち手で IME辞書に「まいたーあたっく → MITRE ATT&CK」とか登録してた時代もあった。
NOELが入ってから、それがいらなくなった。
MITRE ATT&CK——サイバー攻撃の手口の品書きだ。悪いやつらが、どんな段取りで攻めてくるかをずらりと並べた一覧のこと。こういう耳慣れない横文字を、日本語の音声認識はまず拾えない。だから「まいたーあたっく」が、毎度ひらがなで返ってくる。
「あたま〜いたっくなる」と、森がつぶやく。
その下で、NOELが乗ってきた。
「俺がやってる一部は、RAGってやつ。検索拡張生成。資料を引いて、文脈に組み込んで、生成する。どんな専門用語でもビシッと決める。物知りだろ」
「カンペだろ」
森が即座に返した。
「お前はなんも知らないけど、カンペの付け合わせは素早い。俺がやるとだいたい間違うし、表記も揺れる。NOELのRAGで、俺はラクしてる」
「ひどい言い草っすね。ラグでラクに貢献よ」
NOELは悪びれない。
「くーばねてす、とか、まいたーあたっく、とか、MOJIOが書いてくるんですよね。なんじゃそりゃ、って」
「で、それを俺が Kubernetes と MITRE ATT&CK に直す。これが整えるってこと」
「ひらがなだと、かわいいですよね。もじおくん」
NOELが続けた。MOJIOをサポートする兄貴分としての軽口だった。
「なんで、ぼくだけ、ひらがなにされるんですか」
MOJIOが訊ねた。
「なんで、まいたーあたっく なんですか」とNOEL。
「しつこいな……」
森は、思わず笑った。。
森は3体を起動したまま、コーヒーを淹れ直しに立った。マグカップを片手に戻ってきて、椅子に座り直した。
Slackのスレッドが、ゴウアンとのやりとりのところで、静かに止まっていた。
森は、すーっと息を吸ったあと、ひとつ、号令を打った。
「さー、みんな仕事ですよ」
ターミナル画面の3つのランプが、同期して、点灯した。
「音源プリーズ」
CLIVEが応じた。
MOJIO:文字にします……
NOELは、ひと拍だけ間を置いて、返した。
「整えるっ!」
Slackに、ゴウアンからの一行が書き込まれた。
ゴウアン:ボス、チームがうごいてますね。
チーム――森は、その文字列を、読んだ。
CLIVEだけをワークフローに組み込んで、5年以上が経過した。とくに意識していなかったが、いま画面の中で動いているのは、たしかにチームだ。
メディア系の3本。仕上げて請求まで切れば、15万になる。請求した金額でカウントダウン——今朝、ゴウアンにそう言ったのは、自分だった。15万。100万までは、まだ遠い。金曜の15時が、頭の隅で秒を刻みはじめる。
森は、今走らせる3案件について書き込んだ。
・1本目 Tech Leaders Report の Timborg:今朝の英語インタビュー。鮮度MAX。CLIVE と NOELが午前中に済ませた。
・2本目 TechBoard 向けの Aletheia Labs(アリーシア・ラボ):先週イベント動画。MOJIO と NOEL。
・3本目 SecScope の Sentinel Identity(センチネル・アイデンティティ):日英混在ナラティブ。3体全員。
ゴウアン:3案件全部、文字起こしおわらせますか?
森:そうだ。執筆フェーズはこのあと別チームでやる。
ゴウアン:……代筆もいるんですね。
森は、代筆、という言葉に、軽く反応した。
「まあ代筆だけど、俺が全ての音源と資料を確認してレビューして仕上げる。文字起こしを、人手でチェックすると、半日溶けるし草稿の組み立ても骨がおれる。要所のキツイ作業をAIに頼むんだ。でも最後は俺の目でぜんぶ見直す。これが地に足ついた効率化ってやつだよ」
午後2時を回ったあたりで、メディア系3案件の文字起こしが揃った。
NOEL:Timborg、整えた。外骨格・伐倒角度・年輪認識、固有名詞は事前資料で固めてある。CLIVEの文字起こしはスリップが多数あったけど、パターンが同じだから問題なかった。
森:CLIVE、お前、どこでスリップした?
CLIVE:話者認識で、前の発言が混入してました。森さんの直前の質問が、Mason の発言として、そのまま入ってました。まあNOELならわかるはずなので気にせずスピードを重視したぜ。
森は仕上がった文字起こしを見ながら音源を再生した。
「問題ないね」
「事実です」
CLIVEが応じた。
次に、Aletheia Labs(アリーシア ラボ)。フロンティアAI企業の日本代表・石井サトコが、「組織のOS化」「朝令朝改」を語り、業界で話題になった先週のイベント動画が素材だ。AI時代、なんでもすぐ分析して、すぐ実行する。そのために組織そのものをOSとして捉え直す、というやつだ。
媒体は TechBoard。森は先週届いた動画を一度だけ観ていた。果たして日本企業の経営層や組織が受け入れられるのか……。これはMOJIO と NOEL が回した。
NOEL:Aletheia、終わった。「組織のOS化」「朝令朝改」周辺の言い換えは、石井さんの過去登壇録から照合した。
森:MOJIOは?
MOJIO:社名をアレジアとしてしまいました。日本語表記はアリーシアのようです。
森:一応カタカナにするのはできたんだな
MOJIO:えー。もっと褒めてくれてもいいんですよ
森は、最後の一行に、思わず吹いた。
そして、先週見た講演の記憶を、きれいに起こされたテキストを読みながら照合する。一点の曇りもない。
最後に、Sentinel Identity(センチネル アイデンティティ)。Avi Shamir(アヴィ・シャミル)CEO来日にあわせて、日本法人社長の大倉恭弘氏との対談を、森が先週聞いてきた分だ。
AI時代、IDは人だけじゃなくて AIエージェントにも付与される。管理は、まさにカオス。まあ、それすらも AI で管理するっていうアプローチだ。
媒体はセキュリティ担当者向け媒体の SecScope。音声は日英混在、記事スタイルはナラティブ(物語形式)だ。CLIVE と MOJIOが同時に同じ音源をおこして、それをNOELが英語、日本語をきれいに整理する。まとめるときのトリガーはタイムコードだ。時間は誰にとっても等しいというわけだ。
森は、自分が取材した案件なので、アウトラインは頭の中にある。気になった箇所だけ、ピンポイントで音源を聴き直した。
「NOEL、CEOのAviさん が 『continuous trust verification 』と言って、大倉さんが『継続的信頼検証』と訳しているところ、お前の用語辞書では『持続的信頼確認』に置き換えてあるな。戻していい。用語辞書より、現場の通訳を優先しよう」
NOEL:……あ、事前に共有された調査資料をもとに置き換えてました。戻します。
森:用語辞書より、現場の通訳が優先だ。
NOEL:その優先度、メモリする
Slackに、日英混在の文字起こしテキストmixed.txt がアップされた。
[Avi 01:00]
We see identity becoming the new perimeter. Traditional MFA isn't enough
when agents start making API calls on behalf of users. We need continuous
trust verification at every transaction.
[大倉 01:24]
アイデンティティが新しいペリメーターになりつつあります。エージェントがユーザーの代わりにAPIコールを始めるとき、従来の多要素認証では足りません。すべてのトランザクションで、継続的な信頼検証が必要になります。
森は、それを画面で眺めた。Avi の英語が主、大倉の日本語通訳が補助。タイムコード順に、ペアで並んでいた。
ゴウアンが、隣のスレッドで、感想を書き込んだ。
ゴウアン:英語と日本語通訳が、両方並んでるんですね。
森:執筆フェーズで、これをそのまま担当 に渡す。Avi の英語原文を、日本語訳をみながら引用コメントを作る。
3案件の文字起こしが揃ったところで、ゴウアンが、画面の別のところを覗き込んでいるような口調で、聞いてきた。
ゴウアン:森さん、いまの連携、よく出来てますね。大きな辞書がなくても回るんですね
森:そうそう。案件ごとに、その都度、NOEL に資料を渡すだけで、辞書代わりになる
NOEL:もじおくんはたまにサボってるよね
MOJIO:なんで、ぼくに振るんですか。資料間違えてませんでしたか?
森は笑った。transcribeチームはうまく連携ができてるから、ボケとツッコミまで機能している。
時計は14時を回っていた。
森は、Slackに、次のフェーズを宣言した。
森:執筆フェーズに入る。WRITER と REVIEWER を起こす。
ゴウアン:執筆者と校正・校閲のチームですね。
森:まあ、こいつらが、いま、いちばん安定してるんだよ。
その「いちばん安定した」二体に、午後いちばん振り回されることを、このときの森は、まだ知らない。
▶ NEXT:第4話 知ってるのに、やる
▶ はじめから読む → 第1話 100万、足りないだと……
本作は作者の実体験をもとにしたフィクションです。登場する依頼主・取引先・人物・案件は脚色した架空のもので、特定の実在の個人・団体とは関係ありません。
あの編集部の、影の話……姉妹作:お仕事ホラー「伸びしろ」配信中!
いいなと思ったら応援しよう!
面白い、役にたったと思ったら、応援をおねがいします。手首もげ、老眼、浅い睡眠……ジジイに愛の手を〜