AI、ときどき、詐欺:第11話 :お前、ほんと俺だな
これまでの『AI、ときどき、詐欺』
金曜15時まで、あと数時間。約250万の資金ショートを前に、森は腹を決めた。「焼け石でも、水をかけ続ける」と、最後に残したタフな案件に取り組むことを決断。同時に、クラウド事業者への減額交渉と、APIPayの与信回復についてゴウアン・AKAJIの采配でチームを動かす。残り時間はあとわずか。森は、生き延びられるのか……ついに資金繰り編の完結へ(詐欺 72/100)
--
▶ はじめての方:シリーズのはじめから読む
第11話 お前、ほんと俺だな
2026年3月27日(金)午前9時
金曜の朝。箕面ビールのLP納品まで、あと5時間あまり。14時すぎに通して、+16万を狙う。ただし、ヨハネスブルグへ投げたHCSの減額交渉と、止まったままのAPIPayの与信が、結果待ちのまま宙に浮いている。
指を咥えてまっているより、しあげたい――この一日を越えられるかどうかに、かかっていた。
森は、手首をひとつ回して、デスクに向き直った。
まず、テキストだった。箕面ビールの LP には、野田社長からもう一つ、几帳面な制約がついていた。手書きのワイヤーフレームに、ボックスごとの文字数が書き込まれている。キャッチコピー18文字、サブヘッド28文字、ボディは各120文字±5文字。
「ビールも、ランディングページも、入れ物のサイズと調和が命ってわけだ」
森は、AKAJI に振った。
AKAJI:RAITAさん、キャッチコピー18文字、サブヘッド28文字、ボディ120文字±5文字。野田社長の制約です。
RAITA:……承知しました。早速書きますね。
しばらくして、RAITAから戻ってきた。森は、文字数を、ワイヤーの枠に当ててみた。
キャッチコピー、18文字の枠に、31文字。サブヘッドは、28文字の枠に、44文字。ボディは、軒並み150を超えている。どの枠からも、文字が、あふれていた。
「……ビールの泡、こぼれちゃったね」
RAITA:……はい、短くします。
しばらくして、v2(二稿)が戻ってきた。森は、もう一度、枠に当てた。
今度は、キャッチコピーが9文字。サブヘッドが15文字。ボディは70文字そこそこ。枠の中で、文字が、ぽつんと小さく浮いている。下半分が、白く抜けていた。
「……今度は、泡ぜんぜん足りないじゃん」
森は、ひと拍、止まった。手づくりビールの社長に納品する LP で、泡の量が、まるで制御できない。
ゴウアン:(笑)RAITAさん、文字数カウントできてないですね。
森:そう。多すぎるか、少なすぎるか。ちょうどいい泡が、立たない。
RAITA:……長く書く訓練しか、受けていません。短文の精度は、不得意です。
ゴウアン:KOSEIさんに、字数カウント機構を仕込みますか。RAITAさんが書くたびに、KOSEIさんが箱単位で文字数を返す。物理カウンタとして。
森:それだ。「短くしろ」じゃ伝わらん。「18文字、いまお前は22文字、4文字オーバー」と返してくれ。
KOSEI:当職、文字数カウンタ、装着いたしました。以後、箱単位で物理カウントいたします。
森は、もう一度、RAITAに頼んだ。
「RAITA、KOSEIのカウンタを見ながら書け。±5文字に収めろ。3割の泡だ」
RAITA:……今度こそ、収めます。
KOSEI:当職、照合完了。キャッチコピー、平均18文字、誤差ゼロ。サブヘッド、平均27文字、1文字不足。ボディ、平均118文字、2文字不足。全項目、±5以内です。
森:……お、いいね。
テキストが、ようやく揃った。
森のパワポのレイアウト作業が始まった。
まず、ページにテキストエリアと画像エリアをプロットする。見出しは左寄せ、本文はマージン揃え、図版は右下、グラフは左中。骨組みを置いてから、コンテンツを流し込んでいく。フォントは Noto Sans JP の Regular。マージンは上下20pt、左右30pt。グラフの色は、AI が吐く原色ではなく、ブランドにあわせたカラーに。この一手ずつは、AKAJI には判断できない。森の審美眼の仕事だった。
KIKA のプロンプトで生成した画像を、画像編集アプリで一枚ずつ開く。日本語のフォントが、見事に崩れていた。
「……フォントで印象かわるな。特に日本語フォント」
AI 生成画像の日本語は、たいてい、どこかで間延びするか、潰れるか、もしくは存在しない漢字になる。手で打ち直す。次の画像。やはり、同じだ。打ち直す。
絵も、自分で選び直す。AI に投げれば、5枚一気に出てくる。でも、どれもどこかが嘘っぽい。野田社長の声が、頭の中で繰り返される。AI っぽいのはやめて。AI っぽいのはやめて。
ワイヤーでも、なるべく、AI っぽい要素は避けたい。
「おれは、パワポのレイアウト仕事が、世界で一番きらいなんだよ。まあ、好きなやつはいないだろうな。まともなデザイナーはパワポ使わない。一般のビジネスパーソンはデザインツールを使わない。そこで編集者やライターがやらなきゃいけない……というエアポケットみたいな苦痛仕事の代表だ」
森は、誰にともなくこぼした。でも、アンカーマネジメントだ。錨をしずめて、やる気を取り戻す。
3ページ目。テキストブロックの位置を、少しだけ下にずらそうとした。トラックパッドが滑る。
ぜんぶ、ずれた。
「……まいったなあ」
Cmd+Z。やり直し。もう一度、置き直す。フォントが乱れている。直す。マージンが微妙にずれている。直す。
1時間が過ぎた。
10時。手首が、悲鳴を上げた。
「いてて……手首が、もげそうだ」
数ヵ月前にも腱鞘炎をやった。ジジイは柔軟性がないからつらい。今回は、それよりひどい。このまま続けたら、本当に壊れる。
AKAJI:森さん、どうしましたか
「ああ。ちょっと病院……中断する。とりあえずいまのバージョン保存しといて」
「保存します。お気をつけて」
10時半、近所のとくなが整形外科。医師の徳永卓司は、森の飲み仲間。ガード下のカウンター居酒屋の常連だ。
待合室には、おばあちゃんが3人、運動部らしい高校生が1人、サラリーマン風が1人。やがて、森が呼ばれた。
徳永は、森の手首を診て、苦笑した。
「森さん、また腱鞘炎ですか。前回より重い。何をしてました」
「……パワポの流し込みで。トラックパッドの操作を、何時間も」
「仕事しすぎですよ。おちょこも持てなくなりますよ」 徳永は笑いながら、ステロイド注射を手配した。針が刺さる。森は、声を殺した。
「今日は、無理しないでくださいね」 無理しないと納期に間に合わない、とは言わずに、森は会釈して診察室を出た。
11時、
オフィスに戻った森は、画面に向き直った。
「戻った。続きをやろう」
「おかえりなさい」
森は、夜間に仕上がった LP のワイヤーの中間素材を見て、ふと、口の端を緩めた。
「……お前、ゴウアンが Timborg を導入しようって言ってきたの、覚えてるか」
「はい。フィジカル AI、Timborg の導入提案です」
「あのとき俺、『チェーンソーとハイタッチしたら手首もげる』って返したよな」
「パワポ作業で、もげそうになりましたね」
ステータスバーが、ひとつ、瞬いた。
「森さんの判断履歴に『パワポ作業は世界で一番きらい』とありました。避けたいだろう、と推測していました。ですが、納期との兼ね合いで、回避は不可能と判断しました」
森は、しばらく黙った。それから、低く笑った。
「……お前、ほんと俺だな」
AKAJI は、すぐには応えなかった。
森は、もう一度、手首を回した。ステロイドが、効いてきている。
「よし。続けるぞ。あと3時間で納品だ」
12時半、Slackにゴウアンが入ってきた。
ゴウアン:ボス、おはようございます。出社しました。ブルワリーのランディングページ の進捗、見ました。APIPayの申請期限、15時にはまにあわせたいですね。うちの審査がどうあれ。
「きついぞ、これ。手首は注射で持ちこたえてるけど、レイアウトがまだ終わらん」
ゴウアン:ボス、病院いったんですか? あの、ゆうべ言ってた件です。私の過去案件の検索、共有を開けておきました。SACHIさんに漁ってもらってください。
「SACHI、ゴウアンの共有から、AIっぽくないデザインの当たり、探せるか」
ステータスバーの脇で、SACHIが嗅ぎ回る気配があった。
SACHI:……あ、見つけた。過去案件のデザインシステム「tokoton」。痕跡は、逃さない。今日のアタシ、止まらないんで。
INQが、横から入ってきた。
INQ:これって、いいデザインシステムですよね?
KIKA:森さん、このスタイル気に入って、「Tシャツにする」とか言い出しますわ。
「お、いいな。これでTシャツつくるわ」
森は言ってから、口の端を緩めた。
「……あたりだKIKA」
KIKA:読者の頭で読みました。
森は、自分が作ったLPのワイヤーを、tokotonに当てはめてみた。共有された画面を、しばらく見つめる。
「……これ、めっちゃいいな」
「はい。AI っぽくないですし、完成度も高い。微調整するだけでいいですね」
ゴウアンが、Slackで受けた。
森は、椅子の背にもたれて、宙を見た。それから、ぽつりと言った。
「……ゴウアン。おれのトラックパッド操作、手首もげ、ステロイド注射……あれ、意味あったのか」
ゴウアンの返事には、笑いがにじんでいた。
ゴウアン:ボス、みなさんの調査や整理がなければ、この完成度は出せませんよ。SACHI さんのリサーチ、CLIVE さんと MOJIO さんの文字起こし、NOEL さんのクレンジング、KIKA さんの構成、RAITA さんの原稿、KOSEI さんと AKAJI さんのチェック、そしてボスのパワポレイアウト調整。全部、必要でした。
INQ:ミーの応援も、必要でしたよねえ?
森は、振り返った。全部、必要だった。俺の苦労も、意味があった。
「……でも、ちゃんとしたデザイナーがいれば、もっと楽だよな」
ゴウアン:それは、アンジー の課題ですね。
「うん」
14時14分。箕面ビールの LPワイヤー が、完成した……と思った。
「ゴウアン、納品メールを書く」
森は、Bridge への文面を整えて、送信した。
森(メール):Bridge Communications 御中。箕面ビール様 LP、納品いたします。野田社長のご要望どおり、手づくり感を大切にする表現としました。ご確認のほど、よろしくお願いいたします。
ひと息つく間もないなか、突然画面が、止まった。
[週間使用上限に達しました/リセットまで 02:11:00]
HCS AI Bed の、定額プラン。その週間枠を、使い切った。よりによって、いま。
AKAJI のステータスバーが、ふっと消えた。
RAITA も、NOEL も、KOSEI も、一斉に灰色になる。
「……は? いま?」
声が、裏返った。4.5日、AI に頼り倒して走ってきたツケが、よりによって、この最後の詰めで回ってきた。
「リセット、2時間後? 間に合わんやろ」
ゴウアン:ボス、まず APIPay に電話を。HCS の件、こちらから伝えれば、APIPay 側で billing API を叩いて確認してくれます。サポートはこちらです。
[APIPayのサポートはこちら]
私が見聞きできるよう画面共有しつつ、クラウド電話からコールしてください。
森は、ゴウアンが貼ったリンクをクリックした。発信音が、スピーカーから流れる。編集部のメンバーは、黙ったまま、聞いている。コールが、長い。
ようやくつながると、機械の音声が、淡々とメニューを読み上げはじめた。
[APIPay サポートセンターへ、お電話ありがとうございます。このお電話は、サービス向上のため録音させていただいております。
ご用件の番号を、プッシュホンでお選びください。
サービス内容のご案内は1を、
料金プランの変更は2を、
ご請求金額のご照会は3を、
お急ぎでオペレーターにおつなぎする優先ホットラインは4を、
API キーの再発行は5を、
ユーザー登録内容の変更は6を、
ショートメールでの操作サポートをご希望の方は7を、
よくあるご質問は Web サイトの「ヘルプ」をご覧ください……
もう一度お聞きになりたい方は、9を押してください]
「……えーと、どれだ」
ゴウアン:えー、4番です。
森が4を押そうとした、その時。
[なお、お急ぎでないご用件は、APIPay ウェブサイトのチャットサポートをご利用いただくと、より迅速にご対応できます。チャットサポートは、apipay.jp の右下、青いボタンから……]
「いや、もう4番押させてくれって」
森は、ガイダンスに被せて4を押した。
[優先ホットラインへお繋ぎいたします。別途、サービス利用料として1,500円を申し受けます。よろしければ、もう一度4を押してください]
「わかったわかった、早くつないでくれ」
森は、もう一度4を押した。
[ありがとうございます。優先ホットラインへお繋ぎいたします。混雑のため、しばらくお待ちください。現在の予想待ち時間は、約12分です]
「12分……優先、なんだよな?」
森は、時計を見た。14時35分。締切まで、25分。保留中の環境音楽が流れはじめた。灰色のステータスバーたちが、黙ったまま、聞いている。
「……APIPay なのに、API はないんかい」
森は、誰にともなく漏らした。返事はない。
「監査リクエスト、エンドポイント1本あれば済む話だろ。OAuth 通して、POST 一発で、リクエスト ID 返ってくる。それで終わり。なんで電話で12分待たされるんだよ」
ゴウアン:おそらく、即時対応を絞りたいんじゃないでしょうか。API で開けると、誰でも気軽に叩けてしまうので。
「あー……商売だな、それは。AKAJI……」
思わず呼びかけた。
「あ、使用制限中だ」
森は、もう一度時計を見た。14時41分。締切まで、19分。保留音は、まだ続いている。
その保留音が、ふっと途切れた。
[お待たせしております。今月の特別ご案内です。
--みなさんこんにちは。永逢坂46(えいあいざかフォーティーシックス)の工藤エリです。私たちと APIPay のコラボソング、「API コールするの?しないの?」、4月1日発売決定です。一足お先に、こちらの保留音で先行配信中。ぜひ、最後までお聴きください--]
「……は?」
森は、スピーカーに耳を寄せた。ハドルの向こうで、灰色のステータスバーたちが、聞いている。イントロが、流れはじめた。
♪ API コール するの?しないの?
♪ ヨシンは今日も 揺れている
♪ 200か 400か 500か
♪ あなたのレスポンス 待っている
「……いや、500(Internal Server Error)返ってきたら困るだろ」
森は、保留音に向かって呟いた。返事はない。工藤エリら永逢坂メンバーの歌声だけが、スピーカーから流れている。
ゴウアン:……ボス、APIPay、今期マーケティング予算をアイドルコラボに振ったようですね。監査リクエスト API 開発の予算は、削られた可能性があります。
♪ 叩いて 叩いて まだ叩いて
♪ レスポンス待ちで 胸がいたい
♪ レートリミット 超えないで
♪ あなたとの絆 切れちゃうの
「……うちの課金コンソール、叩いてくれよ」
森は、時計を見た。14時47分。あと13分。——ぼやいている場合じゃなかった。
[以上、永逢坂46の工藤エリでした。「API コールするの?しないの?」、4月1日発売。各種サブスクで先行予約受付ボタンで、コールしてね]
「先行予約の API はあるんかい」
ゴウアン:予約しますか?
「なんで?」
保留音が、また戻ってきた。
ピッ。
[自動音声:お待たせいたしました。オペレーターにお繋ぎする前に、ご用件の概要を音声認識で承ります。発信音の後、30秒以内に、ご用件をお話しください]
ピー。
「あ、はい。アンジーといいます。HCS の過大課金が片づきそうで、APIPay の与信を……」
[申し訳ございません。聞き取れませんでした。もう一度、ゆっくりお話しください]
「だから、HCS の、過大、課金が……」
[ププッ、オペレーターにお繋ぎします]
「最初からそうしてくれよ」
森は、ぼやいた。編集部メンバーは、黙って聞いている。保留音が、また数十秒。森は、時計を見た。14時49分。あと11分。
ピッ。
[お待たせいたしました。APIPay サポート担当の佐保田でございます。少々お待ちください、本人確認をさせていただきます。ご登録のメールアドレスを、@より前の部分だけ、お聞かせください]
「mori」
[ご登録のお電話番号、下4桁をお願いします]
「2520」
[会社設立日を、西暦でお願いします]
「2005年8月1日」
[ありがとうございます、アンジーの森様。本日はどのようなご用件でしょうか]
「さっき言ったろ」
森は、口の中で呟いた。それから、もう一度、息を吸った。あと、9分。
「HCS の過大課金、片づきそうなんです。今、減額処理が動いています。確定したら即時で与信に反映したいので、監査リクエスト、お願いします」
[承知しました。優先ホットライン経由ですので、最優先キューに入れます。HCS 側から減額確定通知が入り次第、即時で読みに行きますね。通常ですと、APIPay の定期監査は来週月曜のバッチです]
「来週月曜……それじゃ、間に合わないとこでした」
[ご連絡いただいたので、大丈夫です。優先ホットライン経由のお申し込みは、即時処理します]
「……あ、そう」
森は、通話を切った。手の汗が、引いていく。
ゴウアン:ボス、HCS 側の決裁リレー、完了したようです。
森は、息を呑んだ。
「……どうだった」
ゴウアン:ヨハネスブルグ → オースティン本社 → 東京担当者。このリレーで、承認。未使用のサーバレスサーチ分、約9割の減額が通りました。自己負担は、そのサーバレスサーチ分15万に、通常利用の8万を足して、23万。4月10日のカード決済額です。
「……9割。なんとか23万で収まったか」
ゴウアン:はい。チームで仕上げた文書の成果です。そして、HCS の減額が確定したいま、さっきボスが電話してくれた監査リクエストが効きました。APIPay が定期バッチを待たず、サイクル外で読みに来てくれて、与信、戻りました。あとは、15時までに追加案件16万円の申告を通すだけ。
「そうなんだけど、AI Bedが使用制限中なので、申告のためのデジタルインボイスを手動でつくらなければいかん」
ゴウアン:+16万、これから APIPay に申告します。今、14時52分。締切15時。あと8分。これで全案件107万、現金化できます。
「だからうちのチームは、AIの週間上限で止まってて、申告データが組めんと言ってるだろ」
森は、手を動かし続けた。あと8分で、107万ぶんを手打ちで間に合わせる。無理だ。それでも、指は、止めない。
ゴウアン:ボス、手、止めて大丈夫です。通りました。
「は? 通ったって……止まってるんだぞ。お前、どうやって」
ゴウアン:……まあ、私の方でなんとか処理できました。
森は、APIPay の申告ステータスを見た。「受理」。14時55分。森の OS は灰色のまま止まっているのに、最後の申告だけが、いつのまにか流れていた。
「……なんで、通った」
理由は、わからない。わからないが、通った。締切の、5分前。
「……神風が、吹いたな」
森は、椅子の背に、深くもたれた。
ゴウアン:月曜、ファクタ107万、満額入ります。
森は、深く息を吐いた。二正面、どちらもクリアした。
頭の中で、4月の運転資金を数える。既存50万からカード50万を引き、HCS の支払い23万、税金100万、外注50万を引く。月末入金100万と、ファクタ107万を足す。残るのは、34万。
「……生き残れる。ぎりぎりだけど、生き残れる」
森は、しばらく、受理の二文字を、ただ眺めていた。手の震えが、おさまるのを待つように。
2026年3月27日(金) 午後4時半
画面の隅で、灰色だったステータスバーが、ふっと色を取り戻した。HCS AI Bed の週間枠が、リセットされたのだ。AKAJI、RAITA、KOSEI。一体ずつ、また光りはじめる。危機が去ってから、のこのこと。
「お、戻ったか。……遅えよ」
森は、誰にともなく言って、苦笑した。
ゴウアン:MacBook Pro、質に入れずに済みましたね。
森は、笑った。
「ああ。入れたら、うちの編集部のチームが、動けないからな。まあ、さっきまで止まってたけど……」
ステータスバーが、ひとつ、強く光った。
「正しいです。MacBook Pro なしでは、わたしたち、全員、動けません」
AKAJIが応えたあと、声が次々と並んだ。
SACHI:アタシ、嗅ぎ回れないんですけど。
KIKA:ワイに次の段落予想させて。
INQ:ミー、質問できないですよね?
CLIVE:Molly-sanの uh, を記録できないぜ。
MOJIO:ぼくは、森さんの口癖「えっと」を消してたんですよ。
NOEL:整える、翻す、組み立てる……なんでもやるぜ。
RAITA:……全文上書き先祖返り、しそうです。
KOSEI:当職も、構成案を見て公正に校正できません。
森は、声を上げて笑った。
「そうだな。おれもジジイだから編集部ないとなんもできんわ」
しばらく、画面の前で笑っていた。それから、ふっと、真顔に戻った。
「……AKAJI」
「はい」
「これ、ただの納品じゃないよな。クラウド料金交渉の文書作成、ブルワリーのサイト原稿 を緊急で着手して、チームが夜通し動いて、ヨハネスブルグと交渉して、納品して、返金内定まで来た。前みたいな、ワンショット、1本道のプロセスじゃない。いろんな状況に、臨機応変に対処して、全部、回しきった」
「はい」
「AKAJIの采配のおかげだな。ワークフローのパスを見つけて、役割を振って、全員を動かして、結果を出した」
「チームの結束が、機構として動きました」
森は、マグカップを置いて、画面に向き直った。
「これが、AI編集部OS だ。1本道のプロセスを、ただこなすんじゃない。今朝わかったろ。ハーネスはあった。足りなかった導線〜コネクタが、噛み合った。……これは、生き物だよ」
ステータスバーが、静かに光った。
「では、わたしも『ボス』でしょうか」
森は、思わず吹き出した。
「おれはクビかよ」
AKAJI は、すぐには応えなかった。ステータスバーだけが、いつもより、ゆっくりと光った。
その光を見ているうちに、ふと、Sir Edmund の言葉が、耳の奥で鳴った。
「outlive each of us——各々を、超えて」
引退間際のあの重鎮は、自分の一代では終わらないものとして、オークションハウスを語っていた。
……これも、そうなのかもしれない。俺の知見も、少しは役に立つか。
森は、椅子にもたれて、宙を見た。
「……ただ、まだまだ課題もあるな」
デザイナーがいない。今回はゴウアンがデザインシステムを持ってきてくれて助かったが、オリジナルのデザインも、すぐに出したい。それに、新規開拓もしたい。今のクライアントだけでは、来月の資金繰りが、また危ない。
「これは、企業としてのアンジー の課題だ」
森は、時計を見た。17時。今日は、ここまでだった。
「……ゴウアン。今回、本当にありがとう。HCSヨハネスブルグの交渉も、APIPay の与信回復も、デザインシステムも、全部、お前のおかげだ。謝礼を、上乗せさせてくれ」
ゴウアン:(少し間があって)……ありがたく、いただきます。
まあ、最低賃金ベースなら、5万くらいか。世話になったし、倍返しで10万!とかね。
森は、頭の中で、残高を数えた。
残り運転資金34万から、その10万円を引く。
残り、24万円。HCS の23万は、その34万にもう織り込んである。
「……運転資金やばいね。やっぱり、質に入れようかな」
ステータスバーが、ひとつ、光った。
「……ボス!」
AKAJIがつっこむ。
ゴウアン:ボス、ほんとうにお疲れさまでした。
生き残った。ぎりぎりだったけれど、生き残った。
森は、コーヒーの最後のひと口を飲み干して、ゴウアンに語りかける。
「……あのさ、今回、深夜まで付き合わせて、悪かった。……ベースの時給分計算したいんだけど、何時間、働いたんだ」
(少し間があって)
ゴウアン:……あ、ちょっと待ってくださいね——
画面の右下で、AKAJI のステータスバーが、静かに光っていた。
▶ 次の話:エピローグ AIのせい? 自業自得ですよ
本作は作者の実体験をもとにしたフィクションです。登場する依頼主・取引先・人物・案件は脚色した架空のもので、特定の実在の個人・団体とは関係ありません。
あの編集部の、影の話……姉妹作:お仕事ホラー「伸びしろ」配信中!
いいなと思ったら応援しよう!
面白い、役にたったと思ったら、応援をおねがいします。手首もげ、老眼、浅い睡眠……ジジイに愛の手を〜