【万博】"ファルネーゼのアトラス"に刻まれた古代の宇宙観
はじめに
絶賛開催中の大阪・関西万博で、特に話題を集めているのがイタリア館です。最長6時間というとんでもない待ち時間と、期待を裏切らない展示で、SNSでも定期的にトレンド入りしています。
そのイタリア館でもひときわ目を引くのがアジア初公開の「ファルネーゼのアトラス」です。逞しい筋肉、天球の重みが伝わる構図、そして訴えかけるような苦悶の表情に誰しも心を奪われるでしょう。

しかし、この像を唯一無二の存在にしているのは、実はアトラス自身ではありません。もちろんアトラス自身も極めて貴重ですが、彼が背負う「天球」にはそれ以上の価値があるのです。
本記事では、この天球の価値と、そこに記録された古代の宇宙モデルを掘り下げていきます。
作品概要
本題に入る前に、作品について簡単に紹介します。
作品名:ファルネーゼのアトラス
制作:西暦150年頃のローマ
作者:不明
材質:大理石
■ オリジナル作品じゃない!?
実はこの作品、紀元前2世紀頃のギリシャ彫刻を、ローマ時代に模倣したコピー品(ローマン・コピー)です。コピー品とはいえ歴史があり、オリジナルが残っていないことから非常に高い価値を有します。
残念ながら、オリジナルも本作品も作者は不明です。「ファルネーゼ」は、この彫刻を所蔵していたコレクターに由来します。
■ ところでアトラスって?
作品のモチーフとなったアトラスは、ギリシャ神話の巨人で、最高神ゼウスに反逆した罰として天を支える役割を課されました。彼が背負う天球は、地球ではなく「宇宙」そのものを象徴します。
天球がなぜ貴重?
アトラス像の天球には幾何学的な線や数多くのモチーフが描かれています。これらは単なる装飾ではなく、当時の天文知識が反映されているのです。
◾ 古代人の考えた宇宙
古代では、地球は絶対的な存在として宇宙の中心で静止し、太陽や他の星々(恒星)が周囲を回転する「天動説」が信じられていました。
天動説では、大半の星は「恒星天」と呼ばれる非常に巨大な球体の表面に固定され、私たちはその内側から恒星の光を眺めるとされていたのです。ちなみに、勘違いされがちですが、「地球が球体であること」は西洋では大昔から知られていました。

この恒星天を表現した球体は「天球儀」と呼ばれ、アトラス像の天球は現存するものでは最古です。つまり、アトラス像の天球は、天文学の歴史の最初期に作られた星座の記録で、その科学的・歴史的な価値は計り知れません。
◾ ヒッパルコスの観測データ由来?
また、重要な点として、この天球に刻まれた星座の位置は、古代ギリシアの天文学者・ヒッパルコス(紀元前190年~ 紀元前120年ごろ)の観測データに基づくという説があります。
ヒッパルコスは「天文学の祖」とされる偉人ですが、著作が残っておらず、後世の学者の引用から断片的な情報のみが伝わっています。
もしアトラス像の天球がヒッパルコスの記録を反映しているのであれば、「天文学の祖」の功績を伝える資料として、その価値はさらに高まります。
天球に刻まれた宇宙観
それでは、実際の写真に基づいて、天球の構造を説明していきます。
◾ 恒星は一日一周
恒星天は一日ごとに東から西に一周し、その回転軸を「天の北極・南極」、赤道を「天の赤道」と呼びます。これらは地球の北極、南極、赤道をそれぞれ天球サイズに拡張したものです。
◾ 太陽は特別扱い
太陽の動きはもう少し複雑です。地球を一日ごとに一周するのは他の恒星と同じですが、それとは別に一年かけて恒星天を一周します。この太陽が移動する道筋は「黄道」と呼ばれます。

天球を飾る41の星座
◾ 天球の星座を確認
古代人は星々に神話的意味を見出し、星座として命名しました。当時は48個の星座が存在していたはずですが、アトラス像の天球には41個が彫られています。残る7個は、アトラス本体と重なる位置だったり、破損により確認ができません。

◾ 日本人にもおなじみの12星座
星座のうち、黄道に存在する12星座(ゾディアック)は特に重要とされ、星座占いで用いられています。誕生した日の黄道上での太陽の位置と近い場所に存在する星座をその人の誕生星座としたわけです。
◾ 写真で星座を確認
以下の写真は、アトラス像の天球に彫られた41星座の位置を示しています。なお、宇宙の外から眺める視点のため、実際の星座とは形や位置関係と異なる部分もあります。






鑑賞時の注目ポイント
この他に、アトラス像の天球を鑑賞する際に注目して欲しいポイントを紹介します。
◾ 黄道傾斜角の精度
まず注目して欲しいのは、「天の赤道」と「黄道」のなす「黄道傾斜角」で、アトラス像の天球では約23.95度と測定されています。

この角度は、地球の自転軸の傾きと等しく、現在では23.44度と測定されています。誤差0.5度は、大理石に彫られた線とは思えないほどズレが小さく、古代の観測技術と加工技術の高さを物語ります。
◾ 天の経線をめぐる謎
一方で、天球儀では「天の赤道」と「黄道」が交差する「春分点」に、「天の経線」と呼ばれる縦線を引く決まりです。しかし、アトラス像の天球ではなぜか「天の経線」が「春分点」からズレています。

これについては「当時の学術的な慣習」、「ローマ時代にコピーした彫刻家が、正しい天文知識を有していなかった」、「修復時のミス」など諸説あり、この像をめぐるミステリーの一つとなっています。
◾ 2000年前の星座の配置
また、先ほどの画像に示すように、アトラス像の天球では春分点付近におひつじ座が位置しますが、現在では同じ位置にうお座が存在します。
これは、地球の歳差運動の影響で、星の見え方が少しずつ変わっているためです。2000年という時間の重みを感じることができて面白いですね。
◾ 宇宙への憧れは今も昔も同じ
アトラス像の星座の正確性については議論があり、「当時としては非常に正確」とする説もあれば、「あまり不正確ではない」とする説もあります(概ね1~3.5度の誤差と推定)。あくまで美術品であり、芸術性を優先して星座の位置にはそこまでこだわらなかった可能性もあります。
それでも、アトラス像の天球で星座の位置を確認し、壮大な宇宙に思いを馳せた古代の人はたくさんいたでしょう。アトラス像を鑑賞する際には天球にも注目し、古代の追体験をしてみてください。
イタリア館にぜひ行こう
◾ イタリア館のテーマ
イタリア館は「芸術が生命を再生する(L'Arte Rigenera la Vita)」を掲げています。ここでの「芸術(L'Arte)」とは、絵画や彫刻に限らず、技術開発や科学的探究を含む"創造的活動"を指します。
美しいものを作る。便利なものを開発する。真理を追求する。こうした創造的活動こそが人類の最も尊い営みであり、我々に"生きる力"を吹き込んでくれるというメッセージでしょう。
深くは紹介しませんが、アトラス像の付近には人工衛星などの最新の宇宙技術も紹介されています。このような対比は、人類が宇宙に憧れを抱いて創造性の限界に挑んできた象徴として印象深いものです。

◾ 他にも展示は盛りだくさん
これらは展示内容の一部でしかありません。他に、古代芸術と最新技術の対比、日本との歴史的なつながり、建築そのものの美学――どれを取っても高クオリティの展示が続き、人気になるのも納得です。
さすがに6時間待ちはキツイですが、抽選や早朝入場を駆使すれば現実的な労力で訪れることも可能なので、ぜひ一度は見て欲しいと思います。
他にも万博のお役立ち情報や展示物の解説を投稿しています。ぜひプロフィールから、気になる記事をのぞいてみてください。
参考文献
・Electrum Magazine誌『The Farnese Atlas』
・Kristen Lippincott氏『A CHAPTER IN THE NACHLEBEN OF THE FARNESE ATlAS: MARTIN FOlKES’S GlOBE』
・Dennis W. Duke氏『Analysis of the Farnese Globe』
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