【坂本城】残念すぎる日本の名城 第101回|琵琶湖に沈んだ明智光秀の幻の水城
はじめに
滋賀県大津市の坂本城は、明智光秀が築いた城として知られています。
けれども、現地を歩いてみると、いわゆる「お城らしいもの」はほとんど見えません。天守も、石垣も、門も、堀も、ぱっと見ただけでは見つからない。あるのは石碑と公園、琵琶湖の水面、そして静かな住宅地の風景です。
ところが、この「見えなさ」こそが坂本城の最大の魅力です。
かつて琵琶湖に面して築かれ、大天守・小天守を持つ水城だったとされる坂本城。その痕跡は、今も湖の下や街の地下に眠っています。2025年9月には坂本城跡が国史跡に正式指定され、幻の城は少しずつ歴史の表舞台へ戻りつつあります。

(坂本城址公園)
今回は、「残念すぎる日本の名城」第101回として、坂本城の見えない魅力と、現地で感じるちょっと残念なポイントを、前向きに紹介していきます。
1.坂本城の歴史
坂本城は、織田信長の命を受けた明智光秀によって、琵琶湖の西岸に築かれた城です。築城の時期は元亀2年(1571年)または元亀3年ごろとされ、比叡山延暦寺の焼き討ちのあと、信長が近江支配を固めるうえで重要な拠点でした。
坂本という場所は、ただの湖畔の町ではありません。背後には比叡山がそびえ、京都へ通じる山中越えの道があり、さらに琵琶湖の水運も利用できました。つまり坂本城は、山・湖・街道をおさえる、たいへん戦略的な場所に築かれた城だったのです。
城は琵琶湖の水を取り入れた水城形式で、大天守と小天守を備えた豪華な城だったと伝わります。「安土城に次いで絢爛豪華な城」といわれたとも紹介されています。

(ガイドさんの説明資料より引用)
しかし、天正10年(1582年)の本能寺の変のあと、明智光秀は山崎の戦いで敗れます。その後、坂本城も明智方の城として落城し、丹羽長秀によって再建されるもやがて廃城となりました。城の資材は大津城などに転用されたともいわれ、坂本城そのものの姿は地上からほとんど消えてしまいました。
まるで、湖の霧に包まれて消えた城。まさに「幻の城」です。
2.残念すぎる坂本城
2.1 城跡らしい遺構がほとんど見えない
坂本城最大の残念ポイントは、なんといっても「城跡に来たのに、城が見えない」ことです。

坂本城址公園には明智光秀像や石碑がありますが、天守台や大きな石垣、堀の跡がどーんと残っているわけではありません。初めて訪れた人は、「え、ここで合ってる?」とスマホの地図を二度見するかもしれません。思わず「城跡がステルス機能を使っているのでは」とつぶやきたくなるほどです。

ただし、これは坂本城の価値が低いという意味ではありません。城の痕跡が地中や湖中に残っているからこそ、発掘調査によって少しずつ実像が見えてくる面白さがあります。
2.2 石碑が2か所にあり、少し混乱する
坂本城跡には、主に2つの石碑があります。
ひとつは、東南寺付近にある大正4年(1915年)建立の「坂本城跡」の碑です。この場所は二の丸跡と想定されています。もうひとつは、湖岸の坂本城址公園にある石碑で平成7年の建立です。

(東南寺の西側。大正4年11月建立)
これが、現地を歩くと少しややこしいところです。

(坂本城址公園。平成7年3月建立)
「石碑があるから、ここが本丸か」と思うと、実は本丸跡は公園の少し北側と考えられています。大正時代の石碑は琵琶湖から少し離れており、平成以降に整えられた坂本城址公園のほうが湖に近い。つまり、2つの石碑をめぐりながら、頭の中で城の位置を組み立てる必要があります。
これは少し残念ですが、逆にいえば「推理する城歩き」が楽しめる場所でもあります。
2.3 本丸跡に自由に入れない
坂本城の本丸跡と考えられる場所には、現在、企業の建物などがあり、通常は自由に立ち入ることができません。かつて大河ドラマ関連の企画で一時的に公開されたこともありましたが、常時見学できる観光地ではありません。

これは、現地を訪れた城好きにとってはかなり残念です。
「ここが本丸かもしれない」と思いながら、外から眺めるしかない。明智光秀が見たであろう琵琶湖の景色を想像しつつ、フェンスや建物の向こうに思いを飛ばすことになります。

ただし、発掘調査では本丸内の屋敷跡とみられる礎石建物などが確認されており、現在は地下で保存されているとされています。見えないけれど、確かにそこにある。これは、坂本城らしいロマンです。
2.4 湖中石垣は普段ほとんど見えない
坂本城の大きな見どころのひとつが、琵琶湖の水中に残る石垣跡です。
けれども、これがまた実に気まぐれです。普段は湖面の下に沈んでおり、渇水時にしか姿をあらわしません。2023年末から2024年ごろには琵琶湖の水位低下によって湖底の石垣が話題になりましたが、いつでも見られるものではありません。

坂本城址公園付近の湖岸に出ると、石垣のある方向を遠くに眺めることができます。ただし、見えない日は本当に見えません。
「今日は石垣、湖の底で休暇中です」と言いたくなるほどです。

(公人屋敷の展示品)
3.それでも魅力的な坂本城の見どころ
3.1 明智光秀の本拠地を体感できる
坂本城の最大の魅力は、明智光秀の本拠地だった場所を歩けることです。
光秀というと、本能寺の変のイメージが強くなりがちです。しかし坂本城を歩くと、彼がただの反逆者ではなく、城を築き、湖上交通をおさえ、地域を治めた政治家でもあったことが見えてきます。

比叡山を背にし、琵琶湖を前に置く坂本城。その立地を見れば、光秀がどれほど重要な場所を任されていたかがわかります。信長にとって坂本は、京都・琵琶湖・北陸方面をつなぐ戦略拠点でした。
3.2 琵琶湖に面した水城の想像が楽しい
坂本城は、琵琶湖の水を城内に取り入れた水城でした。現在は城の姿こそありませんが、坂本城址公園から琵琶湖を眺めると、「ここに船が入り、湖上交通をおさえていたのか」と想像できます。
お城というと山の上や平地の石垣を思い浮かべがちですが、坂本城は湖と一体になった城です。

(坂本城址公園)
水面に風が走り、遠くに対岸がかすむ。その景色の中に、光秀の城が浮かんでいた。そう考えるだけで、見えない天守が心の中に立ち上がってきます。
3.3 発掘調査で姿を現しつつある
坂本城は長いあいだ「幻の城」と呼ばれてきましたが、近年の調査によって少しずつ実像が見え始めています。
昭和54年度の発掘調査では、本丸内の屋敷跡と考えられる遺構が確認されました。さらに令和5年度の発掘調査では、三ノ丸の遺構とみられる長さ30メートルを超える石垣を持つ堀や礎石建物などが確認されました。
そして2025年9月18日、坂本城跡は正式に国史跡となりました。大津市は、坂本城跡が織豊系城郭の立地・構造・築城技術を知るうえで重要であり、琵琶湖を通じた京都への流通拠点としても高く評価されたと説明しています。

ブルーシートの場所は発掘調査中(2026年4月時点)
このあたりで本丸南側の石垣が発見されたようです。
(正確な位置情報は公表されていません)
見えない城が、少しずつ見える城へ変わり始めています。
3.4 坂本の町全体が美しい城下町散歩になる
坂本城だけを見ようとすると、少し物足りないかもしれません。
しかし、坂本の町全体を歩くと印象が変わります。坂本は比叡山延暦寺の門前町であり、今も里坊の町並みや石垣が残ります。とくに有名なのが「穴太衆積み(あのうしゅうづみ)」です。

穴太衆は、現在の大津市坂本・穴太周辺を拠点とした石工集団で、自然石を巧みに積み上げる技術で知られました。坂本の里坊には、穴太衆積みの石垣が美しい景観をつくっています。

坂本城そのものの石垣が見えにくいぶん、町の石垣がその記憶を補ってくれます。城跡から坂本の町へ歩けば、光秀の城・比叡山の門前町・穴太衆の技術が一本の道でつながっていきます。
4.残念ポイントを逆手に取った楽しみ方
4.1 2つの石碑をめぐって城域を想像する
坂本城を楽しむなら、まず2つの石碑をめぐるのがおすすめです。
東南寺付近の大正4年の石碑、そして坂本城址公園付近の石碑。この2か所を歩くことで、「坂本城は点ではなく面で広がっていた城だった」と感じられます。

地図を見ながら歩くと、本丸・二の丸・三の丸の推定範囲が少しずつ頭に入ってきます。見える遺構は少なくても、想像の中では城の輪郭が浮かび上がります。
4.2 湖岸に立って、沈んだ石垣を探す
坂本城址公園のそばから湖岸へ出てみましょう。
湖面を見つめても、普段は石垣がはっきり見えないかもしれません。それでも、「この水の下に坂本城の痕跡が眠っている」と思うだけで、景色の意味が変わります。
渇水時であれば、湖中に並ぶ石が見えることもあります。ただし、水位や足場には十分注意が必要です。無理に近づかず、湖岸から静かに眺めるくらいがちょうどよい楽しみ方です。
4.3 坂本の町並みと穴太衆積みをセットで歩く
坂本城跡だけで終わらせず、坂本の町へ足をのばすと満足度がぐっと上がります。

ここで地図やパンフレットを
入手してから散策するとよい
京阪坂本比叡山口駅周辺から、里坊の石垣、日吉大社方面へ歩くと、穴太衆積みの石垣が続きます。加工しすぎない自然石が絶妙なバランスで積まれている姿は、まるで石たちが小さな会議を開いているようです。

坂本城は見えにくい城ですが、坂本の町そのものは見どころの宝庫です。湖の城跡と山の門前町を一緒に味わうことで、坂本城の本当の面白さが見えてきます。
まとめ
坂本城は、残念な城です。
城跡らしい遺構は少なく、石碑は2か所に分かれ、本丸跡には自由に入れず、湖中石垣も普段は見えません。お城巡り初心者には、少し難易度の高い城かもしれません。
けれども、その残念さは、坂本城の魅力と表裏一体です。
見えないからこそ、想像する。
沈んでいるからこそ、待ちたくなる。
失われたからこそ、発掘のニュースに胸が高鳴る。
明智光秀の夢、琵琶湖の水運、比叡山の門前町、穴太衆の石垣。坂本城は、ひとつの城跡というより、坂本という土地全体に広がる歴史の気配です。
石碑の前に立ち、湖面を眺め、坂本の石垣道を歩く。そのとき、幻の城はほんの少しだけ姿を見せてくれます。
坂本城は、見えない名城です。
だからこそ、何度でも見に行きたくなるのです。
参考資料
大津市「坂本城跡の国史跡指定について」
https://www.city.otsu.lg.jp/soshiki/010/2406/o/69700.html大津市「坂本城跡周辺の歴史文化遺産」
https://www.city.otsu.lg.jp/material/files/group/67/map_05_sakamotojo_ver4.pdf城びと「現地説明会レポート|世紀の発見!『幻』の坂本城石垣を見た!」
https://shirobito.jp/article/1974Wikipedia「坂本城」
https://ja.wikipedia.org/wiki/坂本城
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