アラン・ロブ=グリエ「不滅の女」の脚本
この映画については既に二つのnote記事で述べた。
アラン・ロブ=グリエ「不滅の女」(1963)
アラン・ロブ=グリエ「ヨーロッパ横断特急」(1966)と「不滅の女」の補足
分かりにくい複雑な構成の映画なので、この映画の脚本・シナリオが出版されているのを読んでみた。
去年マリエンバートで・不滅の女
アラン・ロブ=グリエ (著), 天沢 退二郎 (翻訳), 蓮實 重彦 (翻訳)

アラン・ロブ=グリエは、映画に対するこの脚本、シナリオは、音楽に対する楽譜のようなものだと述べている。
まず、恥ずかしいが必要なので書いた事実関係の訂正から。
女がいなくなり、男が探し回る際に彼女のような女に何度も出会う。それを、私は男が女が目の前にいるのに認識できないというような書き方をした。
だが、脚本該当箇所を読むと、女は同一人物ではなく、似ているが別人だとのこと。
それらの映像箇所を見直したが、言われても分かりにくいくらいだった。言い訳になるが、外国女性の顔は判別しにくい。
そもそも、フランソワーズ・ブリヨンが髪型を変えて登場するだけで容易には判別できなかったくらいなので。
ブニュエルの「自由の幻想」で、家族が娘がいなくなったと騒ぐが、その場に娘がい続けるというシュールリアリズムのようなものを狙ったのだと勘違いしてしまった。
アラン・ロブ=グリエはそこまではしていない。
実際に起きた事実やセリフは映像を見るだけでも分かる。だが、この詳細な解説書のような脚本を読むと、人物や風景やものを映す構図を実に緻密に計算している。
表面的なカメラの動きぐらいは追えるが、構図の決め方、角度、どこまで映すかの緻密な計算などは想像以上だった。
それと、あまり記事では触れなかったが、音や音楽の使い方も注意深く準備している。
確かにドーベルマンの鳴き声、口笛などの効果音がうまく生かされていた。
トルコの民族音楽もどこで何を流すかを、この事前の脚本段階でこと細かに決めている。確かにそれが、男が異邦人である孤立感や非現実感を高める絶妙な効果を発揮していた。
これは何度か映像を見返して自力でも気づいたのだが、サングラスの謎の男が太ったのと普通なのと二人登場する。
同一ショットで二人が入れ代わったりする。普通の男は額に傷のようなものがあるが、彼はサングラスを外してトルコ人ダンサーの踊りを、男と女とともに見ている。
こういう小細工のポイントの人物配置もきめ細かく設定している。
もう一点、脚本で確認したのは、フランソワーズ・ブリヨンのラストシーンでの笑い。
私にはそれが嘲笑めいた感じに見えたのでそう書いた。脚本では以下の通り。
女は笑いだす。声をおし殺したような笑いである。それは、周囲を気にしない、なにか軽快な感じを持っている。
本人がこう書いているので間違いないのだが、再見してみたがあまりこういう感じには見えない。その辺りは実際に見た方に判断していただきたい。
さて、二つの記事では書かなかった俳優の説明も付け加えておこう。
男役のジャック・ドニオル=ヴァルクローズは「カイエ・デュ・シネマ」の共同創刊者。
アラン・ロブ=グリエの他にオーソン・ウェルズ、ハワード・ホークス、ニコラス・レイなどを擁護した。映画監督も勤めている。
この映画では、彼のきわめて受動的で無力で虚無な感じが、この映画の役に必要な傍観者感をうまく醸し出していたと思う。
フランソワーズ・ブリヨンは、フランス女優でジャック・ドニオル=ヴァルクローズと実は夫婦である。
映画を見れば分かるように長身で大変美しい女優である。
無垢性と娼婦性の両面が役では求められるが、もともと本人の色が強烈ではないので、自然に役に同化していたようにも思える。
本で共に翻訳されているアラン・ロブ=グリエ脚本、アラン・レネ監督の「去年マリエンバートで」との関連性は深い。
「去年マリエンバートで」は芸術性が高いがとっつきにくい部分があるのに対して、この「不滅の女」は幻想的だが素材は具体性が高いし官能性もある。双方前衛映画だが、個人的にはこちらの方がはるかに楽しめた。
それと、トルコの建物、風景、自然が夢幻感すらある美しさで、映像自体を終始気持ち良く見ることができるのも大きかった。
とは言え、「去年マリエンバートで」の方はもうかなり忘れてきているので、これを機会にじっくり再見してみたい。
