アラン・ロブ=グリエ「不滅の女」(1963)
「ここは想像の世界よ」。トルコの闇世界の人身売買、陰謀。ドーベルマン二匹を連れるサングラスのマフィア風の男。
男と女を捉えるカメラがゆるやかにパンするとその先にその男と女がいる空間と時間の喪失。
ショットの不合理な接続による時間の不連続、断片化。
異国でフランス語しか話せずに孤独な男と、トルコ人とトルコ語で隠し話をかわす女。
海辺に停車する車の中の男と女、風光明媚な海を静かに走行する船。
トルコのモスクは本物ではなく博物館だと言う女。偽物の墓場。
天使のような表情の女のアップと、髪型を替えると娼婦のようにも見えるイメージが常に留まらない女。
女が名乗るチューリップという偽名と、謎めいた女使用人の名前の符号。
世界や女に男として積極的に関わろうとせずに受動的にマゾヒズム的にただ眺めているだけの男。
顔も身体も腰の動きも妖艶な本物のプロフェッショナルなダンサーを見つめる男と女。ネグリジェでそれを真似る女。
海辺で水着で寝そべり、ドーベルマンの吠え声に怯えて起きて、帰ると言って海の方につき進む女。
女がサングラス男などに監視されている謎めいた状況と正体が高級娼婦であるかのような暗示。
怪しげなトルコ人店主と、女が買うオブジェと再び謎のように店に出現する同一オブジェ。
男が寝そべる女とボートでトンネルを抜けてボートが見えると、それを船舶から見つめている男と女。空間と時間の不在。
銅像のように不動の人々。タルコフスキーの「ノスタルジア」のように。人々の瞬間消滅。
女がいなくなり必死に探しまわる男。船上に女がいるのにいないかのように女の友人に話しかける男。
ブニュエルの「自由の幻想」で、女の子がいなくなったと家族が騒ぐ中、ずっとその場に女の子が居続けるように。
探す先でも女が現れるのにそれが見えない男。
探す手がかりのトルコ人が皆きちんと対応してくれず、カフカの「城」のようにいつまでも目的地に到達できない男。男の諦念の虚脱表情。
サングラスの男とドーベルマンと一緒にいた女。自分が危険な状態だとほのめかすが、具体的理由は決して言わない。
逃げるように夜道を車で走らせて、道路の中央のドーベルマンに驚き電柱に激突して死ぬ女。
手に怪我を負う男。警察のおざなりで不自然な捜査。
女の死後、前半映画シーン頻繁な反復。時間の再現と微妙なシーンの違い。過去の回想か幻想かの不分妙な境界線。
女がネグリジェで以前のシーンより露骨に女を表現する。回想か幻想か願望か。
モスク内で女が現れては消える。夢か幻想か。
モスクの案内人のトルコ人に渡された写真に数限りなく写っている女。
冒頭の女に男が車で案内されるシーンの反復と側に別のサングラス男。ショットの反復と細部の部分の差異。
死んだ女が現れるが男は認識せず、死んだ女のことを知っているかと本人に尋ねる。
最初に女が男の家の入口から歩み入ってくる俯瞰ショットと、男が同一構図で家から歩み出ていく俯瞰ショットの鏡像的反復。
女が死んだ事故車を新品と言って売りつけるトルコ人とそれを感じつつも買ってしまう男。
トルコの崩れた城壁を車内から見るオープニングショットの反復。今度は女の声が聞こえる。
ー夢に見たトルコで異邦人のあなたはさまよう
ー偽の監獄や要塞やデタラメな物語
ーもう引き返せない
ー逃げようとしても偽の船しかない
男も夜道を追われるように車を走らせる。ドーベルマンが現れて電柱に衝突して男も死ぬ。女と完全に同じ気味の悪い構図で。
女が背筋がゾッとするような嘲笑をする。女が初めて明確な感情表現をする。
女は男の夢で実在しない。男の女に対する天使性と娼婦性の入り混じった願望の想像物である。異国のトルコでの孤独も陰謀も、男の被害妄想的心とマゾヒズムの産物に過ぎない。
いや、最後に女が嘲笑するのは男に対してでさえない。あの男も実在しない。スクリーンのこちら側の我々に対して女は笑う。
観念論哲学や仏教の唯識のように世界は実在しない夢だ。それを夢見るわたしさえいない。
映画は実在しないフィクションだが、実在らしく思えるこの世界の堅固を揺さぶり崩してしまう。映画は現実よりもはるかにリアルである。我々が信じこんでいる日常の常識的な自明性を徹底的に破壊する。
「不滅の女」は実在しないが為に不滅である。
(追記)アラン・ロブ=グリエ「ヨーロッパ横断特急」(1966)と「不滅の女」の補足で、この映画の補足説明を書きました。
(再追記)アラン・ロブ=グリエ「不滅の女」の脚本
で、この記事の事実関係の訂正などを追記しました。


