見出し画像

私にとっての“ねむりの思い出”は、8畳ほどの部屋に薄暗く光るオレンジ色の常夜灯と、激しい咳の音だ。

幼い頃の私は気管支が弱く、一年中熱や咳に悩まされていた。引っ越して以降に出始めた症状だったそうだから、おそらく何らかのアレルギー反応だったのだろう。
しかし、当時はアレルギーという言葉も今ほど一般的ではなく、ずっと原因不明の症状として、ひたすら対症療法でやり過ごすしかなかった。

お泊まり保育の日には熱を出し、気管支炎で小学校のマラソン大会にも出られず。さらにおてんばだったので、毎日せっせとけがをして帰ってくる。

おかげで母は、年中足繁く、私を連れて病院に通っていた。
一時期は、点滴にも通っていたと思う。何度か見かけたことのある診察明細の束は、相当な枚数になっていた。

夜が近づくにつれてひどくなってゆく、喉の痒みと息苦しさ。激しく咳き込んで寝られない夜を、3歳から再び引っ越すまでの4年間、ほぼ毎晩過ごした。

あれは本当に止まらない。断続的に続き、しまいには嘔吐くほど。
妹の静かな寝息が聞こえる横でけたたましく響く咳の音。いつも家族に申し訳なく思っていた。

それでも夜が苦手にならなかったのは、母が常夜灯の下、私が眠るまで根気強く付き合ってくれていたからだ。

咳に良いと聞けば、あまり美味しいとは思えない蜂蜜大根を作り。呼吸が楽になると聞けば、どこから入手したのか、胸にユーカリのオイルを塗ってくれた。手を替え品を変え、あらゆるものを試してくれていたのだと思う。
当時は、民間療法的な方法について「本当に効果があるの?」と幼いながらに懐疑的だったが、ユーカリから漂うスッとする匂いに、間違いなく愛情は感じていた。

母は、咳のことで一度も私に怒ったことがなかった。

私にとってあのオレンジ色の光は、苦しい時間の象徴に違いない。
しかし、それと同時に、母と過ごした時間を思い出させてもくれるのだ。

――現在、私は2児の母になった。
パワフルな娘たちをいかに9時台に寝かしつけるかに、毎日奮闘している。

幼い頃の私と違い、娘たちの寝つきはすこぶる良い。布団に入って手を握ってさえいれば、お喋りをすることもなく、暴れることもなく、すんなりと寝入ってしまうのだからありがたい。親馬鹿ではあるが、本当にお利口な子たちなのである。

対して私は、咳に悩まされることはなくなったものの、やっぱり眠るのが苦手なままだ。布団に入った瞬間からいろいろなことが頭を巡り、寝返りを繰り返し、結局寝るのが遅くなる。

それならばと枕を変え、アロマオイルを香らせ、湯たんぽを仕込んでみるが、やはり眠りが浅い。ラベンダーやオレンジスイート、ホルモンバランスの乱れが疑わしいときにはゼラニウムの香りに包まれながら、スマホの光を浴びているという矛盾。
結局、一番苦労しているのは、自分自身の寝かしつけという有様だ。“眠れない夜”は、大人になった今でも形を変えて私を苛んでいる。

しかし両隣を見れば、ふにゃふにゃとした娘たちの寝顔がある。
時折腕や足がすごい勢いで飛んでくるが、それもご愛敬。まだほのかに残る赤ちゃんの匂いを嗅げば、夜中に起こされることくらい簡単に許せてしまう。(ただし、母の枕を乗っ取るのは勘弁いただきたい。)

寝かしつけの際「真っ暗なのは怖いから」という娘たちの希望で、寝入るまで常夜灯はつけっぱなしの状態だ。薄闇の中、小さな部屋でかすかに聞こえる小さな寝息に、ふっと肩の力が抜け、笑いが漏れる。

あのとき、育児の疲れと闘いながら、母は何を思っていたのだろうか。逆光になって暗く沈んで見えたシルエットに、今でも申し訳なさは感じるけれど。

昔の記憶に思いをはせながら、オレンジ色の常夜灯の下、今でも私はやっぱり幸せな夜更かしをするのである。


このエッセイは、#ねむりのエッセイコンテストに参加しています。
テーマは「①ねむりの思い出」です。

喫茶夜ふかし」様に、エッセイを寄稿しました。
産後の混沌とした時期のことを綴っています。よろしければ、お読みいただけると嬉しいです!

いいなと思ったら応援しよう!

Asuna|文化や技術、人の想いを記録する取材ライター・編集者 この記事が役立ったと感じたら、応援してもらえると嬉しいです!

この記事が参加している募集