『絵本・白峰アカネの冒険』22.右脳・左脳・そして封印
封印が解けて岩肌から押し出されたアカネに、封印され顔だけを岩肌に浮かび出させた男が話しかけてきた。封印と人間の脳機能を関係づけようとする男の言葉にアカネは関心を持つ。アカネは、男を「顔」と名づけて、会話を始めるのだった。
前回はこちら:
「顔」:私は、人間の脳について研究していた。
アカネ:え? あなたは、自分が何者かわからないと言いましたよね。脳について研究していたことは、わかるのですか?
「顔」:そのころ読んだ本、一緒に研究した仲間、学会発表の場面などがハッキリ目に浮かんで、それが本当の経験だという「確かさ」を感じるのだ。もちろん、私の頭には、脳についての知識も詰まっている。
アカネは、「顔」の言うことをただちに信じる気にはなれなかった。もしかしたら、「顔」が話そうとしていることは、夢の中のたわごとかもしれない。
しかし、巫女養成課程で封印を呪術の技として学び、具体的な技の上達だけに努めてきたアカネには、呪術と人間の脳を結びつけて考えるという視点が新鮮だった。どういう結びつきなのか、聞いてみたかった。
アカネ:封印と人間に関係があるという話に、とても興味があります。
「顔」:うむ。途中でわからないことがあったら、いつでも質問してくれてよいから。
男が話し始めた。
「顔」:人間の脳が、右半球と左半球の2つに分かれていて、それぞれの半球が違った働きをしているのは知っているね。
アカネ:巫女養成課程で聞いたことがあります。左半球にある左脳が右半身、右半球にある右脳が左半身の機能とつながっていると教わりました。

「顔」:それだけでなく、右脳と左脳は、この世界の見え方にも関係しているのだよ。
アカネ:この世界の見え方?
「顔」:いま、君には、君と君の前にいる私とが、それぞれ独立した別の人間に見えているはずだ。
アカネはだまってうなずいた。
「顔」:君と、君の周りの自然も、別の物に見えているはずだ。
アカネ:世界は、「私」と「私ではないヒトとモノ」に分かれています。
「顔」:その通り! それが 左脳が君に見せる世界なのだ。しかし、世界には、もうひとつ別の見え方がある。
アカネ:「別の見え方」ですか?
「顔」:封印されていたとき、君は、自分と周りの自然について、どのように感じていたかな?
アカネ:私と周りの世界の境が消えて、世界と私がひと続きに感じられました。

「顔」:それが「別の見え方」で、それを君に見せたのは、君の右脳なのだ。右脳が私たちに見せる世界では、人間と人間、人間と自然など、存在するものはすべてひと続きで、そこに個人や個物という切り分けはない。どうも、封印されると、この右脳的な世界が、目の前に立ち現れるらしい。
しかし、このような右脳的世界を、普段の生活で私たちが見ることはない。右脳的世界を経験した君なら、その理由がわかるはずだ。
アカネ:私と他の人間との境や、私と自然との境がなくなったら、私たちの生活が成り立たないからです。
「顔」:その通り。もうひとつ大事なことを付け加えると、左脳的な世界は、他の人間や周りの環境から切り離され独立した「私」を中心に成り立っているから、「私」が強固な存在でないと、世界がゆらいでしまうのだ。
なるほど、そう言われればその通りだ。アカネのこれまでの巫女人生は、つねに、「私(アカネ)」が、周りのヒトやモノに働きかけ、それに対して反応を得ることの繰り返しだった。「私」を中心に、「私」を取り巻くヒトやモノとの関係を作ることを積み重ねてきた気がする。

「顔」:では、ある人間が左脳が働いたまま封印されると、どうなるか? その人間には、同時に二つの世界が見え出す。「個」としてのその人間を中心に構成された左脳の世界と、その「個」が周りの世界とひと続きになった右脳の世界だ。その人間は、初めて見る「右脳の世界」がなじみ深い「左脳の世界」を壊してしまうと感じ、恐怖を覚える。そして、その恐怖が、その人間の心を壊してしまう。
アカネは、二つの異なる世界が見えただけで心が壊れるものだろうかと疑問に思った。ものすごく混乱することは間違いないだろう。一時的に精神錯乱を起こすこともあるだろう。しかし、それだけで、長期間にわたって精神を病むとは、どうも思えなかった。
しかし、アカネはこの疑問はひとまず措いて、アカネに起こったことについての「顔」の解釈を聞くことにした。

アカネ:私は左脳の働きが弱って「右脳の世界」だけを見ていたから恐怖を感じなかった。あなたは、そう考えているのですね。
「顔」:そう考えている。平気ではいられなかったと思うが、恐ろしいとは感じなかったのではないか?
アカネ:恐いどころか、うっとりしていました。あれが封印されるということなら、ずっと封じられたままでいいと思いました。あなたは、どうだったのですか?

「顔」:私は頭を殴られて気を失ったまま封印されたのだと思う。ともかく、気がついた時には、もう、こちら側にいた。恐いとか、快いとか、特別なことは何も感じなかった。まるで、生まれた時からずっと、こうして、この山の一部でいるような感じだった。
アカネ:何も感じなかったのですか……あなたと私で、何が違うのでしょう?
「顔」:脳に受けたダメージの違いだと思う。私は気を失うほど強く頭を殴られたから、一時的に左脳がまったく働いていなかったのだと思う。で、その間に、完全にこちらの世界に埋め込まれてしまった。
君の場合は、頭を岩にぶつけて左脳の働きが弱まりはしたが、止まってはいなかったのだと思う。だから、外界と一体化し始めると左脳がそれに反発して、君をそちらの世界に引き戻したのではないだろうか?
アカネ:右脳は封印されたがっていたが、左脳はこちらの世界に戻りたくて、両方が綱引きして、左脳の方が勝ったーーそんな感じですか?
「顔」:ほほぉ、うまいことを言うね。そのとおりだと思う。私の場合は、左脳が弱っていて、綱引きが起こらなかったのだろう。
アカネ:でも、いま、こうして私と話しているし、前に研究していたことを覚えているのですよね。それって、左脳の働きじゃないんですか? もしそうなら、左脳と右脳の綱引きが始まりそうな気がします。
「顔」:それが、始まる気配がない。
アカネ:なぜ?
「顔」:そう聞かれても、答えに困る。もしかしたら、殴られたときに左脳がひどく壊れて、右脳と対抗できないのかもしれない。気を失ったままこちらに長くいすぎて、後戻りできないほどこちらの世界に溶け込んでしまったのかもしれない。その両方ってこともあるだろう。
アカネは「顔」の「答えに困る」という言葉に納得した。「顔」もアカネも封印された当事者だ。
ことが起こっている最中の当事者は、ある一つのことに関心が向きすぎて、他の大事なことに気づかないことがある。ほかにも、自分の都合がよいように記憶を歪曲していたり、都合の良いことしか覚えていないこともあるらしい。どちらにしろ、なぜそうなったかという原因を追究するのは、当事者には難しいそうな気がする。
それだけではない。アカネは、自分が本当に気になることは、自分と「顔」の違いではないことに気づいた。
「右脳の世界に満足していた自分が、なぜ左脳優位の世界に戻って来なければならなかったのか?」
ーそれが、アカネが本当に知りたいことだった。
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