Re:書くこと。ハロー、ワールド。
私は、毎日noteを書いている。
ほぼ書く中毒みたいなものだから、あまり苦しくないし、基本的には楽しんで書いている。
日によっては良く書けた!という日もあれば、正直うーんいまいち、と思っている日もある。それは、シンプルにスキの数にも比例しているから、あながち間違った感覚でもない。
いまいちなものを公開するなよ、というご意見もごもっともだが、私は、とにかく1日1本書く、と決めた。そして、自分と約束したことを簡単に反故にすまい、と朝も早よから書き散らかしている。
今まで書く仕事に一切触れてこなかったのだ。その穴は、1日1本noteを書いたぐらいでは、とうてい埋まらない。書き続けなければ。そう考えていいる。
私は、穴を埋めるために、必死になって別の穴を掘っている。その穴は深くなる一方で、いずれ底についてしまうだろう。
底についてしまったら、私は書けなくなるだろうか。
ところがどっこい。先日こんな経験をした。
ライターの佐藤友美(さとゆみ)さんが講師のエッセイ講座でのことだ。
2回目だったその日、さとゆみさんは私たち受講生に前回の課題のリライトを指示した。
ルールは2つ。
もともとの自分の文章のどこかに「ところがどっこい」という接続詞を入れること。
無理やりでも、それに続く文章をひねり出して、別の結論を出すこと。
めちゃくちゃ考えて書いてきた課題だった。それを「ところがどっこい」ですべてひっくり返す、というのだ。
「ところがどっこい、ところがどっこい……」と頭の中はまるで念仏のように、「ところがどっこい」がぐるぐる回っていた。世の中に「ところがどっこい教」なるものががあれば、すぐ入信してしまっていただろう。
だが、そんな逡巡も一瞬のことで、気がつけば私はボールペンを手に、がりがりと紙に文章を書き始めていた。割とすぐ書き始められたのは、毎日noteで書くことを習慣にしていたおかげだと思う。
「ところがどっこい」を合言葉に、私は、私の世界をひっくり返す。
受講生の仲間たちも、彼ら彼女らの世界を、ひっくり返す。
するとどうだろう、粗削りではあるが、最初の文章からまったく別の結論にたどり着いてしまった。しかも、「ところがどっこい」を入れた後も、間違いなく自分の本心なのである。不思議な経験だった。
もう、書きつくしたと思った、底についたと思っていた文章に、「ところがどっこい」をいれるだけで、私はまた、書けてしまった。底についたのなら、横に掘ればいいじゃん、と私の持っているスコップはいたずらっぽく笑うのだった。
「ところがどっこい」のおかげで、私は、書くまで存在しえなかった、パラレルワールドに出会えた。
そして、パラレルワールドに出会えるのは、書き手である私だけではない。
読者もまた、書き手と共に新たな世界に出会えたのだ。
だから、書いたことは、発信しようと思う。例えいまいちな出来でも、その書いた分だけ、きっと世界は広がるから。
書くことは人生が増えることである、とさとゆみさんがおっしゃっていた。読むこともまた、人生が増えることだな、などと私は思った。
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