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廊下の長椅子に座っていると、左横の扉から男性が出てきた。
太もも丈ほどの小回りの利きそうな台車に、重そうなファイルをいくつかのせて運んでいる。台車のタイヤがカラカラと音を立てて回っていた。後で調べたが、この台車にはブックトラックという立派な名前がついているらしい。
男性は大柄で、180cmぐらいの背丈、肩幅もしっかりしていて、何かスポーツをやっていそうな雰囲気だった。一言で言えば好青年。腕まくりをしたカッターシャツに黒いスラックスを履いている。
ブックトラックを押しながらエレベータに向かう彼。その後を、小柄で丸眼鏡の女性が小走りでついてきた。同じくカッターシャツに黒のスラックスという風貌だが、こちらの女性は身長が低めで、その格好でなければ学生さんと見間違うような雰囲気の方だった。
慌ててついていって、先にエレベータのボタンを押そうとする彼女。しかし、彼の長い腕がボタンを先に押す。
会話の仔細までは聞こえないが、朗らかな笑顔で話す男性に比べ、女性は緊張しているように見えた。
先輩と後輩という関係だろうか。これがドラマなら恋のひとつでも始まりそうなシチュエーションである。

彼らがエレベータに乗り込んだ後、またしても私の横の扉が開いた。今度は
青い麻風のシャツにキャメル色のチノパン、黒いリュックを背負った男性と、黒のカットソーにグレーのパンツを身にまとう女性。彼女は、長い髪を黒いシュシュでポニーテールにまとめていた。深刻そうな表情をしている彼女。エレベーターを待つ間、そんな女性の手を、男性がそっと包むように握った。その手は、大丈夫、と言っているような気がした。
しばし視線を交わすふたり。これまた、ドラマのワンシーンのようだが、その続きを見ることは叶わず、ふたりはエレベーターに乗って行った。

私の座る長椅子の反対側の端に座っている女性がいる。茶髪で、その辺から散歩しに来ました、という風体の女性だ。扉から職員の男性が現れて、彼女に声をかけた。私の目の前を通って歩くふたり。
「先生はお部屋でお待ちで……」
と男性職員の声が断片的に聞こえてきた。女性はリラックスした様子で男性職員に相槌をする。もうこの状況に慣れっこ、といったふうだ。ふたりは、廊下の先の部屋に消えて行った。

ものの20分程度で、3組ものふたり組を見た。私といえば長椅子に座って、手続きを待っている。子どもの籍を私の籍に移すための「子の氏の変更許可の審判申立」をしているところだ。申し立てといっても、書類を書いて、裁判官にはんこをもらうだけの作業。ただ、裁判官の手すきのタイミングでしかやってもらえないので時間がかかる。これがないと、子どもの籍を私の籍に移すことができない。しかも、裁判所で発行してもらったそれを役所に提出しに行かなければならないのだ。世で夫婦別姓が声高に叫ばれている理由を、身をもって知った。戸籍制度は男性側に寄りすぎている。

さて、こんなところに来ることもめったにあるまい。そう思った私は、なんだか変わったことがしたくなってみて、廊下に設置してあった自動販売機で缶コーヒーを買った。いつもはブラック派だが、今日は微糖の気分だ。金色の缶のがガコンッと音を立てて落ちる。
長椅子に腰かけながら、ぐいっと缶を煽る。いつもは甘ったるく感じる微糖のコーヒーが、今日はひどくおいしく感じられた。

ここは家庭裁判所。
いろんな家族や関係が、ここで始まったり、終わったらしているのだろう。
私もやっと、始められる。
しばらくして、申立書を受け取った私は、それをすぐさま提出すべく、その足で、役所に向かった。

駐車場そばの芝生では、鹿が草をはんでいた。


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