それは推しちゃあいけねえよ
最近の私は「推し考察強化月間」というぐらい、「推し」という行為について考えている。
私の「推し」に対する姿勢は、今のところこんな感じ。
推しを気軽に作れるぐらいの方が、ライター(というか企画)に向いている
「推し」という言葉で片づけられない感情を、書き表したい
数週間前は「推し推しと簡単に言うのはちょっと……」と思っていた人間とは思えない変わりようだ。
これからは自分が「いいな」と思ったものを、
なぜいいと思ったのか
どうすれば「いい」が伝わるのか
という視点で観察していこうと思っている次第である。
ところで、私の変わり身もなかなかだが、世の中はもっとすさまじい変化があった。
衆議院が1月23日に解散。1月27日には戦後最短“16日間の選挙戦”が始まった。私が住む奈良二区は、高市早苗氏のお膝元である。
私の立場を示しておこう。
高市早苗氏は、私の「推し」だ。
日本で初めての女性総理大臣。政治家の家庭に生まれたわけでなく、公立の小中学校、高校へ進学した叩き上げ。
ドラムやバイクを愛し、阪神タイガースが大好き。お酒も強い。地元の人間として、推したい気持ちはめちゃくちゃある。
しかし、である。
この衆議院解散劇。少し遡ると、軽率な対外発言。
一個人としての高市氏を推したい気持ちは変わらないが、政治のトップとして彼女を推すべきかは、正直疑問符がつく。
というか、そもそも。
選挙に「推し」の概念を持ち出すのはおかしいのではないか。
昨年夏の参議院選では「私を皆さんのお母さんにしてください」なる言葉を使って「推し」あげてもらった候補もいた。演説の様子をテレビで見たが、鳥肌がたった。もちろん、感動してではない。気持ち悪くてだ。
どこがどうなると、選挙に勝つことが、お母さんになることになるのか。今だに理解できない。
政治が推しの対象になってしまうと、どうなるか。
耳当たりの良い言葉、大きいだけの声、堂々とした姿勢。そういったパフォーマンス重視の選挙選になったのではないか。
推し活が蔓延する選挙戦を見ていると、未来が見えない気がして、不安になる。今回の選挙がパフォーマンスだけが独り歩きするような選挙にならないようにと祈りつつ。
政治は推しなんかで決めちゃいけねえよ。
そんなことを書いてしまう私は、やっぱり推し活に向いていないのかもしれない。
こちらもおすすです。
