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師匠・倉本聰、恩人・向田邦子から受け継いだもの 『チョッちゃん』最終回によせて【後編】 脚本家・金子成人インタビュー 

38年前の朝ドラながら目の肥えたドラマファンに熱愛された『チョッちゃん』が10月11日にアンコール放送の最終回を迎えた。その脚本をつとめた金子成人さんにインタビュー。人間洞察の目を養った少年時代、バーテンや八千草薫さんの運転手をしながら習作に明け暮れたシナリオ修行時代、師匠である倉本聰さんや恩人・向田邦子さんとの思い出など、金子さん自身の「過ぎ来し方」を語ってもらった(取材・文/佐野華英)。
【前後編の後編。前編を読む】


◼︎大人の話を聞くのが好きな子どもだった

──『チョッちゃん』を書かれた当時、金子さんは37〜38歳。その年齢でなぜこんなものが書けてしまうんですか?

金子成人さん(以下、金子) いやいや、僕の先輩たちなんかはもう、若いときからすごい作品をたくさん書いていますから。

──つくづく「人間を知っている」方が書かれた脚本だなと。ご出身は長崎県佐世保市。どんな少年時代だったのでしょうか。

金子 九州の田舎育ちなので、東京に出てくるまでは舞台や映画をたくさん見られる環境ではなかったんですよ。子どもの頃は、近所のおじさん・おばさんや、親戚の大人たちの話を聞いているのが好きでした。

 戦争のこともよく聞きました。でもなぜか僕の近くにいる大人たちの戦争体験は、ちょっと笑っちゃうようなものが多くて。近所に、なんでも大袈裟に話すおじさんがいて、「鉄砲玉をかいくぐって生き延びた」とか「銃弾を腕に受けた」とか、深刻な話のはずなのに、なぜか笑っちゃう。話芸というのでしょうか。

 うちの親父も海軍に取られたんですが、年を取ってからだったので戦地には行けずに、終戦まで門番をしていた。なんというのか、悲惨というより、可笑しくて哀れ、というか。

 でも、僕が生まれ育った佐世保には米軍基地があって、ベトナム戦争の頃、米兵の遺体が港に運ばれてくるんですよ。そういう話を聞いて、悲惨さの匂いが「プン」とすることはありました。

──『チョッちゃん』は金子さんをはじめ、戦争体験者の子世代の方々が作った朝ドラだなと強く感じます。132回に登場した、日本軍のレーダー電波を撹乱するために米軍が空から撒いた銀テープなどは、この時代の朝ドラでしかできない戦争描写だと思います。

金子 黒柳朝さんが戦時中を回顧して「空からキラキラした銀のテープが落ちてきたのよ」とおっしゃっていました。僕もどこかで聞いたことがあったし、映画で見たような気もする。あれが何であるかは、あえて説明しませんでした。観ている人が知りたければ調べてほしい、との思いで。作品というのは、そういう「知る」とか「調べる」ことのきっかけであるべきだと思うから。

◼︎映画監督になりたくて上京。脚本家・倉本聰と出会う

──長崎の高校を卒業されたあと上京されますが、最初は映画監督になりたかったとか。

金子 そうなんです。でも当時の5社(松竹、東宝、大映、新東宝、東映)に入るには、大学を卒業して助監督試験を受けなければならなかった。しょうがなく、スポーツメーカーに就職して、それでもなんとか映画監督になる方法はないかと模索していました。

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