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「圧倒的な味方」が一人でもいれば、強くなれる。

仕事の相談でも、人生の選択でも、「これ…どう思いますか?」
と誰かに聞きたくなる瞬間がある。

本当は、もう自分の中では薄々答えが出ているのにも関わらず。最後の最後、どうしても誰かの言葉を借りたくなる。

そんなときって、ないだろうか。(わたしには、ある。)

大事な局面で、頼れる人がいるのは、幸せなことである。わたしにも、もちろんそういう人がいる。そういう相手は、一生大切にしたいと思っている。

しかし、ときに、自分で答えを出すべき局面もある。そうでなければ、どう転んでも、いつだって誰かのせいにしてしまうのだ。


絶対的に背中を押してくれた「言葉」

私は理学療法士として独立して働いている。これを言うと、会う人会う人に、よく聞かれる。

「え、理学療法士で独立って…。どうやって仕事してるですか?」

だよね。

病院や介護施設、スポーツやアスリートの現場。理学療法士の働き方には、ある程度“王道”がある。そこから外れると、「大丈夫?」と言われるのもある意味無理もない。

正直、この判断に不安がなかったわけではない。しかし、こんな人生やキャリアの岐路にたったときも、割と軽やかに判断できているのには、理由がある。

どう転んでも、絶対的な味方がいる、という事実である

私の場合は、両親であった。彼らは、昔から一貫して同じことを言ってくれる。

「かほが決めたことなら、大丈夫。」

以上。

いつ、何時なにを相談しても、結論は同じである。圧倒的な味方でありつつも「あなたが決めなさい」という結論でもある。

結婚相手を紹介したときも、そうであった。特に異論はなし。特別同意もなし。「あなたの人生だから、好きにしなさい」以上でも以下でもない。

それは、もちろん成功を前提にした応援ではなく、「失敗したらどうする、うまくいかなかったら考え直そう」でもない。

ただ、「決めたあなたを信じている」という言葉である。

(両親の場合は、「必要なことは、もう十分伝えてあるよ」という意図でもあると思う)

その一言があるだけで、うまくいっても、いかなくても、自分の足で立ち続けられる気がしている。そして、たとえ絶望しても自分で立ち上がらねば…!とさえ思える。

訪問リハビリの現場で感じ続けていたこと

この感覚は、訪問リハビリの現場でも何度も感じてきた。

週に一度、40分だけ関わる90代手前の女性がいた。
帰り際、彼女はよくこう言った。

「長島さんが来てくれる火曜日があるから、それだけを楽しみに生きているよ。ほんとうにありがとうね。」

きっと、私じゃなくてもよいのだと思う。しかし一人暮らしで家族とも疎遠、ただただ見えない孤独と年々老いていく自分への不安に耐えるのに「誰か」が必要だったのだと思う。

リハビリをしている40分間、ただ「自分の体や今後のことだけを考えてくれる存在がいる」という事実が、彼女の一週間を支えていたのだろうと。

そんな存在が一人でもいるだけで、人は強くなれるのだろうな、と日々感じていたのである。そして頼られる側としても、なんだか強くなれる気さえしている。

おそらく、医療・介護を担う人に起こるヘルパーズハイや、自己効力感というものなのだろう。

味方は、人でなくてもいい

そして最近、もう一つ思うのが、その「圧倒的な味方」は、必ずしも人でなくていいのではないか、ということである。

言葉でもいい。
本でもいい。
場所でもいい。
歌の歌詞でもいい。

自分がくじけそうになったとき、判断を誰かに丸投げする前に、一度立ち戻れる“拠り所”があるかどうか。

それがない人ほど、人の意見を求めすぎてしまったり、決断を他人に委ねてしまったりするように感じる。

圧倒的に、失敗しつづけた経験

私はたまにゴルフをするのだが、ゴルフは技術以上に、心理のスポーツだと思っている。どんなに練習しても、うまくいかないときはうまくいかない。(諦め)

練習すればうまくなる。
理論を理解すれば再現できる。
体の使い方がわかれば、あとは回数の問題。

体育会系の根性。

ところが、現実はまったく違った。

一度ミスをすると、頭の中が急に騒がしくなる。
「また池に入るんじゃないか」「さっきもダフったし、次もきっとダメだ」

まだ何も起きていないのに、未来の失敗だけが、先行してくる。(プチパニック)

そうなってしまうと体は正直で、肩は上がり、呼吸は浅くなり、グリップを握る手に、余計な力が入る。

あれほど練習したはずの動きが、一瞬でどこかへ行ってしまう。

私の体幹はどこにいった。←

今振り返ると、これは技術の問題ではなかった。自分を信頼できなくなっていたのだと思うのだ。

この感覚は、ゴルフに限らない。仕事でも、人生の選択でも、同じことが起きる。

「これ、どう思いますか?」

と誰かに聞きたくなるとき。本当は、もう答えが出ているのに、その答えを、自分で引き受ける自信がなくなっている。そんなところだろうと思う。

圧倒的な味方となる存在を、いくつか持っておく

そんな大それた場面ではなくても、生きていると色々ある。たかだか30年ちょっと生きているだけでも、挫けそうになる場面もある。

そんな大小さまざまな不安や迷いを感じた時に、自分の味方となる存在をいくつかもっておくと、今よりちょっとだけ強くなれる。

そのためにわたしがやっていることがある。それがこれだ。

① スマホの純正メモに強くなれる言葉をストックしておく
② 自分に戻れる場所を持っておく(私の場合は祖母の家)
③ 自分なりに「自分と向き合う手段」を持っておく(私の場合は書くこと)
④ 元気な時に、ひとつでも多くの景色を見ておく(海外旅行はこのため。「世界は広い」と思うと、ちっぽけな悩みは基本吹き飛ぶ)
⑤ この人なら、という存在が一人だけでもいれば、自分以上に大切にする(恩返し的な意味も含めて)

そして、わたしも誰かの圧倒的な味方になれるような、そんな関わりや、ものつくりがしたいなー、と思っていた矢先の小言でした。


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長島佳歩|理学療法士 最後まで読んでくださりありがとうございます^^! チップはいりませんので、良いと思った記事は、ぜひシェアしていただけると大変喜びます笑 理学療法士として、体のこと、心のこと、高齢者介護のこと、はたまた趣味の海外のくらしのことなど、体験からの学びをシェアしていきますね^^

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