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人生で「やり切った」と思えることが、どれだけあるだろうか。

「1限目は自己紹介を行います。現在の仕事内容、家族、趣味、今後の研究内容など、自分自身をしっかりとアピールできるスライドを用意してください」 「1人2〜3分が目安です」

社会人大学院(hMBA)の2年目が、いよいよはじまる。ぬくぬくと過ごしていた春休みもいよいよ終わり。

楽しかった山梨
厄年の魔除けを買った鎌倉。


「そろそろ気合いを入れねば…」と思っていた矢先、担当教員からのメールが、受信Boxに鎮座しているのをそっと開く。(ちょっと寝かせていた←)

15分でできるな。

一人2〜3分の自己紹介なら、15分あれば余裕だ。なんなら、以前どこかで使用したスライドに研究計画を添付すればいい。楽勝だ。

——と思ったところで、ふと、立ち止まる。

いつから「なにかを作る」ことに対して、作業時間で換算するようになってしまったのだろう。

そういえば先日も、似たような話を聞いたばかりだった。

「もっとちゃんと、向き合っていればよかったと思うんですよね」

疲れたからだをほぐしたくて、近所に新しくできたサロンのヘッドスパを受けた。担当してくれたのは40代くらいの女性。

施術の手つきは丁寧で、的確に場所をとらえながらほぐす指先の圧が安定している。この人はちゃんと練習を重ねてきた人だな、と思った。

話を聞くと、子育てをしながら「やりたいこと」を仕事にしたいという想いで、このサロンを立ち上げたという。

若い頃はバックパッカーとして旅をし、その途中でウィンタースポーツに目覚めた。住み込みで山奥に暮らし、スノーボードのインストラクターとして働いていた時期もあったらしい。毎日、大好きなスノーボードができて楽しかった。

聞いていて、どんどん興味が湧いてしまう過去の話←

けれど30代を目前に「このままでいいのだろうか」という不安から関東に戻り、会社員になった。

その後、リラクゼーションサロンに勤め、周りの先輩たちが次々に独立していくのを見届けるうちに、「自分もそうしたい」と思うようになった。そして実際に叶えた。

でも、叶えたはずなのに、満たされないのだという。

「きっと、やりたいと思っていたことも、まわりに影響されていたんでしょうね」

そうぽそっと話す瞬間、さっきまでの安定した圧から少しだけ軽くなり、数秒間静止する。

その言葉が、その後も頭に残ったのは、私の中にもひっかかることがあったからなのだと思う。

「まわりに影響されていた」

振り返ってみると、人生で誰かの影響を受けて道を選ぶ場面は驚くほど多い。

仕事を決めるとき、転職先を選ぶとき、独立を考えるとき。事実、私が理学療法士を目指したのも母が医療従事者だったからだし、独立を決めたのも、先にその道を歩いていた人の言葉があったからだ。

でも、だからといって、影響を受けて選んだことが「まちがい」だとは思わない。

問題は、その先だ。

影響されて選んだ道を、どこかの時点で「自分のもの」にできたかどうか。誰かに背中を押されて踏み出した一歩を、自分の足で歩き直したかどうか。

それを無視したまま流されてしまうと、人生はだんだんぼやけてしまう。どれだけ成果を出しても、どれだけまわりに認められても、

「これは、本当に自分がやるべきことだったのか?」という、本質的な問いがじわじわと広がっていく。

ヘッドスパのスタッフの方が満たされなかったのは、独立という選択が間違っていたからではないと思う。きっと、その選択を自分の納得に変える時間を持つ余裕がないからなのではないか。

それ以上に、集客、施術、育児、家事…と果てしなく積み上がる「やるべきこと」に追われてしまっているからかもしれない。

では、「自分のものにする」とは、具体的にはなんなのか。

数字で測れるものなのか。成果なのか。売上なのか。肩書きなのか。——いろんな基準があると思う。でも私の中では、たぶん一つしかない。

納得感である。

「もうこれ以上はできない」と思えるくらい、自分なりに手をかけたか。「これでダメなら仕方ない」と思えるほど、ちゃんと向き合ったか。

結果がどうであれ、あとから振り返ったときに「あのときの自分は、やり切った」と言えるかどうか。

フリーランスになってからは、一つの基準を持つようにしている。

「明日この仕事を切られても、納得できるか」

すごく怖い基準である。でも、だからこそ、自分をごまかしにくい。
それに「はい」と言えないなら、まだ「やり切れていない」だけである。

人生で「やり切った」と思えることは、大人になると驚くほど減る。

学生時代の受験勉強や部活、病院実習はそれなりにやり切ったと言える。あの頃は目標もわかりやすかったし、終わりも見えていた。どこまでやれば「頑張った」と言えるのかも、比較的はっきりしていた。

でも大人になると、なにをもって「やり切る」とするかがあやふやになる。ライフスタイルや家族の都合、自分の意思以外の変数が増えて、「まあこのくらいで」と線を引くことに慣れてしまう。

こなす力は上がるのに、やり切る感覚はむしろ遠のいていく。

最近の私にも、思い当たることがある。

大学院1年目。激務の合間に提出したレポートの数々。興味のある科目は夢中で取り組むくせに、興味のないもの(特に財務会計など←)は、ただこなしていた。

提出ボタンを押した瞬間の、あのうっすらとした後ろめたさ。「卒業できればよし」として、安易にこなしていたもの。それでも単位がとれたときの「これで、いいのだろうか」とどこかで思ってしまうときの、若干の居心地の悪さ。

これは、人に勧めてもらって選んだ道を、自分のものにする努力を、一部で怠った結果に他ならない。

だからこそ、思ったのだ。

社会人大学院、最後の1年。自己紹介スライドという、たったひとつの課題。たかが2〜3分の自己紹介。されど自己紹介。新しい出会いの最初の時間。

「15分で終わる」と思ってしまった自分を真正面から振り返る。もう一度、1からスライドを作り直してみることにした。

「私はなにを紹介したいのだろうか」「だれに、何をアピールしたいのだろうか」「それも、2分で」

大人になってからの自己紹介は、なんだか難しい。自分のことを自分の言葉で語るのが、いちばん難しいのかもしれない。

誰かの影響で選んだ道を、自分のものにするというのは、きっとこういうことなのだと思う。借りてきた言葉ではなく、自分の言葉で、自分の選択を語れるようになること。

…果てしない。でも、たぶん、その「果てしなさ」のなかにしか、自分の納得感はないのかもしれない。

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長島佳歩|理学療法士 最後まで読んでくださりありがとうございます^^! チップはいりませんので、良いと思った記事は、ぜひシェアしていただけると大変喜びます笑 理学療法士として、体のこと、心のこと、高齢者介護のこと、はたまた趣味の海外のくらしのことなど、体験からの学びをシェアしていきますね^^