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最後には「戦争反対」を叫ぶ党派 〜戦後日本「左翼リベラル」のルーツについて


追い込まれると、「反戦」を叫びはじめる党って、あるじゃないですか。

あれはさすがに、無責任だと思うんですよ。


個人で、反戦とか平和主義とか唱えるのは自由だけど。

でも、選挙の最後になって、政党がそれを言うのはねえ。

とか思っていると、鈴木貴子・自民党広報部長がXで反応していた。


「ハッシュタグ・ママ戦争止めてくるわ」が話題のようです。

ただし、「話題になっていること」と「評価されるべきこと」は、必ずしも同義ではありません。

政権交代=戦争を止める/現政権=戦争を始める、という虚像を作り、 感情に訴えて選択を誘導する手法は、事実に基づく民主主義とは相容れません。

民主主義に必要なのは、「恐怖で縛る言葉」ではなく、「事実で選ばせる情報」です。
もう一度言います。
“まっとうな民主主義”には、「事実で選ばせる情報」が必要です。

組織的な誤情報の流布や、強いレッテル貼りは、単なる支持者の“囲い込み”を超え、社会全体を特定の方向へと“統制”していく危険性をはらんでいます。
それが民主主義をどれほど脆くするかは、歴史が何度も示してきたはずです。

選挙戦最終日にこれがトレンド入りし、候補者たちがこぞって投稿。 何とも、考えさせられます。

(鈴木貴子 2026/2/7 13:58)


自民党広報部長が、こういうふうに反応しているのは、やっぱり脅威に感じてるんでしょうね。

「反戦」が、戦後の日本で強い訴求力を持ってきたのは確かで、劣勢になった左派が、最後にそのスローガンを使いたくなる気持ちはわかる。

そして、それは多分、まだ少し効果があるでしょう。


若者たちにとっては急に「戦争が!戦争だ!」って騒ぎ出したおっさんおばさんたちが不思議だろうけど、実は戦後数十年間、こういう「戦争怖い!」って叫んでれば支持する国民が4割くらいいたんだよ。ずっと。念仏平和主義とか言って馬鹿にされてたんだけど。いや、冗談じゃなくて。マジで。

(nakamukae 2026/2/7 11:50)




私は昨日、日本で「リベラルと左翼が混同される」傾向があることを記事で書きました。


その起源の一つは、やっぱり「ベトナム反戦運動」だと思うんですよ。いかにも戦後日本的な「左翼リベラル」を作り出したのは。

で、あの運動は、評価が難しいんだよな、と考えていたところでした。


通常、戦後日本の左翼運動というと、全学連や全共闘といった、日本共産党に対抗的な「新左翼」党派が思い起こされます。

マスコミが「60年代反乱」で繰り返し流すのも、全共闘の学生デモだったり、その後の内ゲバだったりの映像なので、若い人も、戦後左翼というと、そういうイメージを持っています。

今の全共闘世代の老人左翼たちは、ああいうふうにヘルメットかぶって、角材を振り回していた人たちだ、と。


しかし、そういうイメージで、しばしば見落とされるのが、ベトナム反戦運動ーーその時代に「ベ平連」や「思想の科学」が持った影響力だと思います。

日本の「ベ平連」のヘルメットをかぶったジェーン・フォンダ(ベトナム反戦ドキュメンタリー「FTA」より)


「ベ平連」と「思想の科学」の関係は、「思想の科学」が理論面を担い、「ベ平連」が実行面を担う関係になります。

代表的な人物を挙げれば、鶴見俊輔、高畠通敏、小田実・・・。

また、このグループの思想の源流として、丸山真男が挙げられます。


彼らは、一般に「左翼」とは別のグループとされます。

丸山も小田も、明示的にマルクス主義と距離を置きました。

彼らは、マルクス理論ではなく、超国家主義批判や、非武装中立論、市民的不服従、平和主義、護憲といった考えを、社会に対して発信しました。


でも、若い人はもう、こういう名前を知らないんじゃないでしょうか。

小田実の「実」は「まこと」と読む、なんて、もう知らないかもしれない。

いや、1960年前後生まれの私だって、そんなに知らない。

私が大人になる1970年代後半には、彼らの全盛期は終わっていました。


でも、マスコミに入ると、この運動と、これらの人たちの影響力が、まだ非常に強いことを感じざるを得ませんでした。

いわゆる「岩波・朝日文化人」の中核をなしていた彼らは、引き続き「聖なる名前」でした。

小田実は、私の現役時代の大半生きていましたが、なんとなく批判できないような空気があるんですね。

彼らは、無党派で、脱イデオロギーを唱えていましたが、むしろそういう姿勢が、一つの思想、一つの強力なイデオロギーとなり、いまだにマスコミを縛っているのを感じました。


そういう意味では、今も影響は続いているし、とくに高齢者はまだその影響下にあります。

それは、「戦後レジーム」の一部なんですね。


たとえば、田原総一朗とか、椎名誠とか、佐高信みたいな人は、いまだにこの「ベトナム反戦運動」を続けている感じがあります。

田原氏の「朝まで生テレビ」は、ベトナム反戦で流行した「ティーチイン」の継承です。

そういう、いかにも左派の人だけでなく、たとえば小林よしのりとか、井上達夫のような人たち、保守やリベラルの人たちにも、その影響を感じます。

ベ平連の活動は、1960代半ばから、70年代半ばまでが全盛期でしたが、そのころ20前後から30代だった人たち、現在70歳代から80歳代の文化人たちは、もれなく影響を受けている感じです。


選挙戦の最後になって、「反戦平和」を叫ぶのも、そういう「ベトナム反戦」世代の遠いノスタルジーに訴えかけるためでしょう。



この運動が重要なのは、「勝った」ことだと思うんです。

その「成功体験」が、この世代の人たちを、まだ酔わせているところがあります。


左翼は、60年安保闘争も70年代安保闘争も、敗北しました。その後は、負け続けです。

でも、ベトナム反戦運動は、基本的には成功した。北ベトナムが勝ち、アメリカが負けた。戦争が終わり、反戦運動が、平和主義が勝利した・・


ベトナム反戦運動は、日本とアメリカの両国で起こりました。

しかし、日米で、その位置付けが違います。


アメリカは、まさに戦争の当事者でしたから、ベトナム反戦運動は、「反愛国的」であり、「自国兵士に対する侮辱」であり、「国の裏切り者、売国奴、大逆罪」でした。

だから、敵国・北ベトナムのハノイに行って反戦演説をしたジェーン・フォンダを、古いアメリカ人でいまだに許せない人は多いみたいです。


でも、日本は、直接の当事者というわけではありませんでした。

韓国のような派兵もしていません。


しかし、実際には、米軍に基地を提供する「後方支援」国として、巻き込まれていました。

井上達夫だったと思いますが、もし当時、北ベトナムが弾道ミサイルを持っていたら、沖縄を攻撃されても仕方なかっただろう、と言っていました。


でも、日本人には、実際の当事者意識はありませんでしたから、日本でのベトナム反戦運動は、「反愛国的」という保守や右翼からの批判を、あまり受けずに済みました。

その曖昧な地位を利用して、ベ平連は、兵役拒否のアメリカ人をソ連などに逃していました。


これは、日本人にとって、アメリカへのある種の復讐というか、日米戦争のやり直し的な意味さえあったのではないか、と私は思います。


日本人とベトナム戦争との複雑な関係を、私は以前、1968年に放送されたテレビドラマ「怪奇大作戦」第15話「24年目の復讐」を例に、指摘しました。


このドラマは、戦後24年たっているにもかかわらず、旧日本軍兵士が「水棲人間」になって海に潜み、ベトナム戦争に行くため横須賀にいる米兵たちを、海に引きずり込んで殺していく、というドラマです。(脚本は沖縄出身の社会派・上原正三)

かつて敵だったアメリカ軍、自分たちを負かしたアメリカ軍に基地を提供し、横須賀で遊興まで提供する戦後日本人への怒りーーそれを、天本英世演じる「水棲人間」が表現しています。

私は、子供の頃、このドラマをリアルタイムで見て、その天本の鬼気迫る演技に大きな衝撃を受けたものでした。


「怪奇大作戦」で、「水棲人間」と化した旧日本兵を演じた天本英世


しかし、ドラマを作っているのは戦後世代で、そういう戦中派の怒りを、どちらかというと冷ややかに眺めます。

ベトナム戦争を戦うアメリカ軍にも共感しないし、かつてアメリカと戦った旧日本軍にも共感しない。

要するに「戦争は狂気なのさ」といった結論になります。それが、当時の「ベトナム反戦」の空気ですね。


このドラマが流れた1968年は、まさに世界的な反戦運動のピークに近い時でした。

こうした運動が実際の影響力を持ち、アメリカはベトナム戦争の終結に追い込まれていきました。


その結果、ベトナム(北ベトナム)が、アメリカに勝利しました。

日本の反戦運動の当事者たちにとって、その喜びは、必ずしも、共産主義が資本主義に勝った、というだけではなかったと思うんです。


日本人は、意識的であれ無意識的であれ、ベトナム戦争を、前の戦争、大東亜戦争、15年戦争、日米戦争と重ねていたと思います。

本多勝一は、トンキン湾事件(北爆の始まり)を、柳条湖事件(満州事変の始まり)と同じだ、と言ってましたね。

ベトナムと共に、アメリカに復讐したような思いもあったでしょう。

だから、心地よい成功体験として、アメリカの場合とは対照的に、保守や右翼にも受け入れられたところがありました。


だけど、今から振り返って、この運動は、マイナスの影響も残したと思います。


1 実際には共産主義陣営を支援していたにもかかわらず、その問題性に無自覚だった。

いま振り返れば、ベトナム反戦は、紛れもなく共産主義への支援であり、左翼的でした。

実際に、小田は北朝鮮を賛美したり、ソ連から金をもらっていたりしました。

でも、当時は、共産主義や社会主義に、まだ夢と希望があった時代でした。そして、戦禍や敗戦で酷い目にあった記憶が、まだ日本人に残っていました。

彼らの思想は、左翼というより、「戦後民主主義」の線上で理解され、受容されたと言えるでしょう。

しかし、紛れもなく左翼的だった。こうした自らの左翼性への無自覚は、「左翼に甘いリベラル」を形成し、その後の「市民派」リベラルに引き継がれることになります。


2 「戦争」を「国家」の当事者感覚で考えない

ベトナム反戦運動は、新兵として徴兵される若者たち世代の運動で、戦争遂行者たちへのカウンターでした。

その性質上、戦争の政治的意味や目的は度外視され、あくまで個人主義的な忌避感が優先されました。

それ自体に意義があることは否定できませんが、その反国家主義的、個人主義的な思想の性格は、いつまでも「反体制」の「若者」視点で、愛国心を持たず、国家観を持たない国民を育てました。


3 「戦争反対」の過大評価

そして、実際にベトナム反戦運動が勝利した、という成功体験は、「戦争反対」を叫べば戦争が終わる、という「念仏」効果、ある種の空想的平和主義を生み出しました。


これらが合わさって、現代日本の「左翼リベラル」、左翼だかリベラルだか分からないけど、とにかく反国家主義的で、反米的で、容共的で、護憲平和主義的な「サヨク」の思想的バックボーンを形成した、というのが私の説です。


付け加えれば、ベトナム反戦運動の評価は、アメリカでも揺れています。

かつての保守派は、「最近の若者はアカでけしからん」と、反共主義的立場からこれを批判していましたが、最近の保守派や、リバータリアンには、アメリカの介入主義を批判する立場から、むしろベトナム反戦運動を再評価する人もいるようです。


つまり、ベトナム戦争は、負けたけど、正しかった。しかし、正しかったけど、やるべきでなかった、と。

これも、日本人が、大東亜戦争を反省するさいの、評価の揺れと、似ていると思います。


「思想の科学」の戦後民主主義も、「ベ平連」のベトナム反戦運動も、その意義を全否定するわけではありませんが、それを「戦後左翼史」の中に改めて位置付けて、現代の滅びつつある「左翼リベラル」のルーツとして、再評価するような仕事を、誰かやってほしいです。



<参考>


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