雪の投票日に「転向」について考える
いやー、さっき散歩したけど、ここ川崎市麻生区でも、けっこう積もってました。

投票率にどう影響するんでしょうね。
ダグラス・ラミスのこと
「思想の科学」「ベ平連」話の続きで、昨日書けなかった「小ネタ」をメモしておきたい。
1960年前後生まれの私は、「ベ平連」の全盛期の頃は若すぎて、あまり影響を受けなかった、と書いたけど。
影響を受けたとすれば、ダグラス・ラミスという人の影響を受けました。
ダグラス・ラミスは、1936年生まれで、1960年に海兵隊員として沖縄に来ました。
除隊後にベ平連の一員となった人ですね。津田塾大学の教授にもなってますが、何を教えてたんだろう? まだ健在の人です。
この人の護憲論を子供の頃に読んで、へーと感心した覚えがある。
憲法は、「権力への命令」であり、権力を縛るためにある、というーー最近でも、左の人がわりによく言う憲法論ですね。
そういう解釈については、国民の義務的側面が抜けているとか、憲法による秩序維持への無視とか、いろいろ批判があり得るけど、とにかく左派的「護憲」の理論を提供した人です。
「護憲」運動に影響力があった人だと思うけど、あまり議論の俎上にのぼらない人ですね。
「エプスタイン・ファイル」に名前が出て、いま話題のチョムスキーだけど、2002年9月11日(9・11の1周年)に、鶴見俊輔とダグラス・ラミスが、チョムスキーとの思い出を語り合う、というイベントがあったらしい。
https://web.archive.org/web/20090629214615/http://g2o.cocolog-nifty.com/blog/2009/06/911-c-411d.html
残念ながら、内容はもう見られなくなっています。
鶴見亡きいま、チョムスキーの現状について、私が現役ならダグラス・ラミスを探し出して意見を聞きたいところです。
「転向論」について
「思想の科学」の業績としては、「共同研究 転向」が有名でしたね。
戦前の共産主義者が、なぜ戦争協力者に転じたか、を1950年代に調査し、貴重な社会心理学的貢献とされました。
でも、「共同研究 転向」は、平凡社から1960年代に出版され、それから東洋文庫に分冊で収録されているとはいえ、現在、読みやすい形では流通していない。
私は以前、図書館でこれを読んだのですが、「ジャーナリスト」についての調査が薄いと感じました。
大宅壮一とかは入ってたと思うけど、私が知りたかったのは、朝日新聞や毎日新聞がいかに戦争協力に転じていったか、という部分でした。
それについては、私の記憶では、「ジャーナリストについてさらに調査する」と予告されてたけど、中絶しているような印象でした。
この研究は、左翼から右翼への「転向」を主に問題にしていたわけですが、関曠野が指摘したように、右翼(戦争協力者)から左翼(戦後民主主義者)への転向も、同等に興味深かったはずです。
私はかねてから敗戦の日を境に昨日までの軍国教師が一斉に民主主義者に一変した、という当時学童だった人々が語り伝えている話に関心をもち、これらの軍国教師たちが変身した本当の理由は何だろうと考え続けてきた。この謎はやがて、ある人の手記を読むことで解けた。その人は成人してからも自分をよくなぐった教師の変身ぶりが許せず、すでに退職したその教師の住所を探しあてて本人に会い、その理由を問い詰めたのだという。その元教師は目を伏せ、「許して下さい。私には教師以外に職がなかったのです」と答えたそうである。
ベルリンの壁崩壊以後の日本の左翼や知識人の言動を見ている間に、私は何回かこの話を思い出した。
(関曠野『左翼の滅び方について』窓社、1992)
日本の多くの知識人は、昭和初期の左翼ブームで左翼になり、そのあと戦争協力者(右翼)になり、戦後また左翼(共産・社会主義者または戦後民主主義者)になり、冷戦後は修正主義的な左翼(リベラル、文化マルクス主義者)になった。
つまり、この100年くらいの間に、3回くらい大きな「転向」の機会があった。
いずれも「共同研究」に値するでしょう。
思想の科学の研究は、その最初の「転向」については調べたが、その後の転向(再転向)について取り上げていない。
私が火野葦平のような作家に興味があるのは、彼の作品に、そういう度重なる「転向」の跡が記録されているからです。
私はとくに、朝日新聞や毎日新聞が、満州事変以来、あれだけ国民を煽っておきながら、戦後はしれっと「民主主義者」に転じた「転向」過程に興味がありました。

1950年代ならば、まだ当事者たちが生きており、朝日・毎日の戦中の編集責任者たちを調査できただろうに、と思わずにいられなかったんですね。
鶴見俊輔や「思想の科学」の人々は、左から右への転向は問題と感じたが、右から左への転向は不問に付した。
だからそれは、やはり学問的に中立というより、左に偏向していました。
上の関曠野の文章は、そういう「思想の科学」的な戦後思想の狭隘を、冷戦終了の時期あたって、改めて問う意味がありました。
つまり、鶴見俊輔への挑発だったわけです。
「日本の敗戦によって右翼が敗れた時、あなたはかつて左翼だった者が右翼に転向した過去を問題にした。いま、冷戦終了で、左翼が敗れた。これから左翼から右に転向する者たちを、あなたは同様に問題にできるのか」と。
それに対する鶴見俊輔の返答は、上記引用本の続編にあたる『批評「左翼の滅び方について」』(窓社、1992)に収録されています。
私は、ユダヤ教ーキリスト教ーカトリック教ープロテスタント教ーマルクス主義という線上で、マルクス主義をプロテスタントの一分派と考えます。この系統の信仰が、悪と考えるものにたいして戦う姿勢をつよく保つことに脱帽するとともに、そのおしつけがましさにたいして保留したいと考え、この系統のどの流儀(マルクス主義をふくめて)にも参加しないできました。しかし、十五年戦争下での最中共産党の不屈の姿勢にたいして脱帽することを、これからもやめるつもりはありません。
つまり、いくら変わるとしても、「獄中不転向」の共産主義者への敬意は変わらない、と。
こういう「不転向」左翼への変わらぬ敬意、あるいは執着が、彼の、あるいはこの「戦後民主主義」一派の、本質だったんだなあ、と感じます。
今日の選挙結果いかんでは、ソ連が滅びようが、北朝鮮の拉致が明らかになろうが、安倍が人気であろうが、高市が人気であろうが、「不転向」を貫いてきた戦後左翼の一派が、いよいよ滅びるかもしれませんが・・
そうはさせない、というように、雪が激しく降り始めました。
(もう少し書きたいことがあったけど、今日はここまで。今のうち投票に行かねばならないので)
<参考>
