セックス・ピストルズとABBAの「秘密の関係」
(ヘッダー画像はFAR OUT 2020/8/7より)
今年は、セックス・ピストルズがロンドンで結成されて50年目に当たり、スウェーデンのABBAがアルバム「ABBA」を発表して世界に飛躍してから50年目でもある。
つまり、1970年代後半を代表するそれぞれのグループにとって、記念の年である。


この二つのグループほど、かけ離れたイメージのグループはないだろう。まさに対照的なイメージだ。
それは、50年前の私の記憶でもそうだし、現在でもそうだと思う。
だが、この同時代の2つのグループには、これまで語られていなかった意外な関係があった。
登場から半世紀たった現在、両者の影響関係、とくにセックス・ピストルズがABBAから受けた影響について、語られることが多くなっている。
この記事では、それについてまとめてみたい。
嘲笑の的だった「ABBA」
50年前、私は10代だった。
その頃のことで、真っ先に思うのは、ABBAは一般のロックファンに尊敬されていなかった、ということである。
とくに、セックス・ピストルズとそのファンは、ABBAを馬鹿にしていた。
セックス・ピストルズは反商業主義のパンクであり、ABBAはまさに商業主義の象徴だったからだ。
いまGoogleのAIに聞いても、そのように答えてくれる。
セックス・ピストルズはABBAを馬鹿にしていましたか?
そのとおり、セックス・ピストルズはABBAを非常に批判し、軽蔑していたことで知られています。パンク精神を持つピストルズは、ABBAを商業的なポップミュージック、そして音楽業界における「セルアウト」精神の象徴と見なしていました。彼らはABBAのサウンドとイメージを、自分たちの反抗的で反体制的な姿勢とは正反対だと捉え、しばしば嘲笑していました。
the sex pistols mock the abba?
Yes, the Sex Pistols are known for being highly critical and dismissive of Abba. The Pistols, with their punk ethos, saw Abba as a symbol of commercial pop music and the "sell-out" mentality in the music industry. They would often mock Abba's sound and image, seeing it as the antithesis of their own rebellious and anti-establishment stance.
いっぽう、ABBAのアグネタ・フォルツコグも、パンクとセックス・ピストルズを非常に嫌っていたらしい。
「アグネタが嫌った5人のミュージシャン」という動画では、以下のように語られている。
アグネタを深く動揺させたもう一人のミュージシャンは、パンクのアイコン、セックス・ピストルズのシド・ヴィシャスである。彼は、彼女が避けてきたすべてを象徴していた。アグネタがメロディーと洗練さを象徴するならば、シド・ヴィシャスはセックス・ピストルズの根底にある純粋な無秩序だった。シドは、ABBAの象徴するすべてに対する攻撃的な反発を体現し、アグネタはその憎悪を身に染みて感じていた。
かつてロンドンで、真っ赤な文字で「ABBAは最低だ! ABBA sucks!」と書かれた壁を車で通り過ぎた時のことを彼女は思い出した。その同じ週、セックス・ピストルズはインタビューでABBAを嘲笑し、「脳死状態の主婦のための完璧なプラスチックだ」と罵った。アグネタは公には反応しなかったが、個人的にはパンクロックにひどく怯え、それを反抗ではなく敵意と捉えていた。
1978年の緊迫したフェスティバルのラインナップの後、ABBAとセックス・ピストルズが同じ夜に同じ街にいたため、パンクファンからの脅迫によりABBAの警備は2倍に強化された。アグネタは後に、その時代を暗く疲弊した時代と表現している。
another musician who feft Agnetha deeply unsettled was a punk icon
whose very name symbolized everything she avoided. if Agnetha symbolized melody and polish, then Sid vicious was pure anarchy as basist of the sex pistols Sid represented the aggressive backlash to everything Abba stood for and Agnetha felt the hate. she recalled once driving past a wall in London defaced with the words "Aba sucks!" tagged in bright red letters that same week the Sex Pistols mocked Aba during an interview calling them plastic perfection for brain dead housewives. agnetha never responded publicly but privately she was devastated punk rock terrified her she saw it not as rebellion but as hostility. after a tense festival lineup in 1978 placed Aba and the Sex Pistols in the same city on the same night security was doubled for Aba due to threats from punk fans agnea would later describe that era
as dark and exhausting


セックス・ピストルズは、1996年の再結成コンサートでも、ABBAを嘲笑の対象として利用した。
「LIFE」誌が、その時のことを以下のように書いている。
1996年の再結成コンサートで、パンクのパイオニア、セックス・ピストルズは、無意味なポップスを揶揄した。ロンドンのフィンズベリー・パークでのステージに上がる前、PAシステムからはABBAの「ダンシング・クイーン」が爆音で流れた。(中略)
セックス・ピストルズのフロントマン、ジョニー・ロットン(ジョン・ライドン)は、偶然にも「アナーキー・イン・ザ・UK」と同時期に20周年を迎えた「ダンシング・クイーン」は嘲笑されて当然だと考えていたようだ。
しかし、観客席にいた年老いたパンクファンや若いヒップスターたちは、この曲を揶揄したりはしなかった。ABBAが「踊れる、ジャイブできる/人生最高の時間を過ごしている」と歌うのを聞いても、彼らは笑ったりブーイングしたりしなかった。その代わりに、観客は喜びながら一緒に歌った。
At their 1996 reunion concert, punk pioneers the Sex Pistols wanted to poke fun at pointless pop. Before they took the stage at London’s Finsbury Park, ABBA’s “Dancing Queen” blasted out of the PA system.
By 1996, the ABBA phenomenon seemed long dead; once a guilty pleasure the world over, did the Swedish quartet’s catalog retain any cultural capital, or was it a frivolous relic of the disco age? Evidently, Sex Pistols front man Johnny Rotten thought “Dancing Queen”—coincidentally celebrating a 20th birthday alongside “Anarchy in the U.K.”—deserved to be mocked. But the aging punks and young hipsters in the crowd didn’t make fun of the song. They didn’t laugh or boo when they heard ABBA sing “You can dance, you can jive/Having the time of your life.” Instead, the audience sang along with delight.
実はABBAのファンだったピストルズ
今日、よく知られているのは、セックス・ピストルズの代表曲の一つ「プリティ・ヴェイカント」が、ABBAの「SOS」から着想を得ていることである。
時代の空しさを訴える「プリティ・ヴェイカント」は、彼らの唯一のアルバムにも収録され、パンクのアンセムとして知られている。
その影響関係は、作曲者のグレン・マトロックが、1990年の著書で明かし、その後もいくつかのインタビューで語っている。
ローリングストーン誌のインタビューで、マトロックはこの曲がABBAのリフに「インスパイアされた」と認めている。
マクラーレンから「空白の世代」と書かれたアメリカの音楽チラシをもらい、当時のロンドンの「憂鬱な空気」をイメージして「プリティ・ヴェイカント Pretty Vacant」を作曲した。
しかし、彼は「リフが足りない」と感じ、もっとメロディーが必要だと感じていた。「SOS」を聴いたマトロックは、このリフが「プリティ・ヴェイカント」に「華やかさを加える」ことに気づき、バンドの他のメンバーにこう言った。
「みんな、思いついたぞ! Guys, I’ve got it!」
70年代にピストルズのライブでポゴを踊っていたパンクたちは、ABBAのベースラインに合わせて踊っていると知ったらきっと驚いただろうが、それはうまくいった。
新作ドキュメンタリー『ABBA: Against the Odds』では、スウェーデンのABBAは「絶え間ない陽気さ」を持ち、常に「危うい」同時代のイギリスとは対照的だと表現されている。
1977年、マクラーレンはピストルズとスカンジナビアツアーを行うことを決めた。ツアーを取材したノルウェーの音楽ジャーナリスト、テディ・ダーリンは、ローディーのスティーブ・“ローデント”・コノリーが舞台裏でカセットプレーヤーを持っていたことを回想する。「カセットプレーヤーには1本のカセットが入っていて、それはABBAだったんです」と彼女は懐かしそうに語る。「彼らは24時間、休みなくそれをかけ続けていたんです」
「ロデントの仕事は、カセットが最後まで鳴ったら裏返すことでした。ツアー中ずっとカセットが残っていたのは奇跡です! 彼らはABBAの大ファンだったんです」
In an interview with Rolling Stone, Matlock admitted the track was “inspired” by the ABBA riff.
McLaren had given him some American music fliers that said, “blank generation” and he composed Pretty Vacant based on the “air of despondency” in London at the time.
However, he felt it was “short of a riff” and needed more melody. After hearing SOS, Matlock realised the riff would “add a flourish” to Pretty Vacant, so he went to the rest of the band and said,
“Guys, I’ve got it!” Punks pogoing at Pistols’ gigs in the Seventies would probably have been shocked to learn they were dancing to an ABBA bassline, but it worked.
The new documentary, ABBA: Against the Odds, describes the Swedes as having “relentless good cheer”, in contrast to the Brits, who were always “teetering on the edge”.
In 1977, McLaren decided to do a Scandinavian tour with the Pistols. Norwegian music journalist Teddie Dahlin, who covered the tour, recalled roadie Steve “Rodent” Connolly had a cassette player backstage. “On the cassette player, they had one cassette and it was ABBA,” she mused. “They played it 24/7, all the time.
“It was Rodent’s job to turn it over when it got to the end. It’s a miracle it lasted the whole tour! They were huge ABBA fans.”
上の記事で触れられているスカンジナビアツアーで、加入したばかりのシド・ヴィシャスが、偶然ABBAと遭遇して大興奮した時のエピソードは、比較的最近(2021年)、ジョン・ライドンによって披露された。
ABBAとセックス・ピストルズが出会ったことは、パンクの王者にとって、これ以上ないほど最悪の出会いだったと言えるだろう。
2021年のライブツアー「Could I Be Wrong, Could I Be Right」のベリー・セント・エドマンズ公演で、ライドンは新ベーシストのシド・ヴィシャスがABBAに出会った時のことを語った。ルイシャム生まれのヴィシャス、通称ジョン・リッチーは、1977年2月、当時19歳でピストルズに加入した。彼はパンクの「退廃的でダーク、そしてニヒリスティック」な側面を体現したと評された。
ヴィシャスについて観客に語りかけたライドンは、「シドが世界で一番好きなバンドはABBAでした。彼はABBAを崇拝していました!」「彼に起こった最悪の出来事の一つは、ストックホルム空港でABBAを目撃したことでした」と明かした。
パンク界のダークマンとは程遠いヴィシャスは、スカンジナビアの強いエールを飲んで少し浮かれていたが、一転、スターに夢中になったティーンエイジャーへと変貌を遂げた。ライドンは「シドが彼らのところへ駆け寄ってきて、『君たちが一番好きなバンドだ!』と叫んだが、まるで鎮静剤でも飲んでいるみたいだった!」と回想する。
ヴィシャスはほとんど言葉を失い、言葉に詰まった様子で、バンドメンバーたちを大いに笑わせていた。残念ながら、ライドンはABBAがヴィシャスにどう反応したかを明かさなかった。
しかし、パンクのゴッドファーザーはABBAのヒット曲「フェルナンド」を即興で歌い上げ、ベリー・セント・エドマンズの観客もそれに加わり、1979年に惜しまれつつこの世を去ったセックス・ピストルズのベーシストを偲んだ。
どういうわけか、これらの衝撃的な暴露を読んだ後、人々はセックス・ピストルズを以前と同じ目で見ることは決してないかもしれないが、ABBAに対する彼らの愛がどこから来たのかは理解できるかもしれない。スウェーデンのスーパーグループは、多くの熱狂的なファンの間で今でも確固たる人気を誇っているのだ。
As famous meetings go, when ABBA met the Sex Pistols, the occasion probably couldn’t have gone much worse for the kings of punk.
During his 2021 live tour, Could I Be Wrong, Could I Be Right, appearing in Bury St Edmunds, Lydon spoke of the time when new bassist Sid Vicious met ABBA. Lewisham-born Vicious, alias John Richie, had joined the Pistols in February 1977, when he was 19. He was described as embodying the “decadent, dark and nihilistic” side of punk.
Speaking to the audience about Vicious, Lydon revealed, “Sid’s favourite band in the whole world was ABBA. He adored ABBA! “One of the worst things that ever happened to him was at Stockholm Airport, where we spotted ABBA.”
Far from being the dark man of punk, Vicious, a little merry from drinking strong Scandinavian ale, turned into a star-struck teenager. Lydon mused, “Sid went running over to them, shouting, ‘You’re my favourite band!’ but he sounded like he was on sedatives!”
Vicious had been rendered almost speechless and was stumbling over his words, causing great hilarity among his fellow band members. Sadly, Lydon didn’t reveal how ABBA reacted to Vicious.
However, the godfather of punk launched into an impromptu singalong version of ABBA’s hit song, Fernando, with the Bury St Edmunds crowd joining in, to remember the Sex Pistols’ late bassist, who sadly passed away in 1979.
Somehow, people may never look at the Sex Pistols in the same light after reading these shocking revelations, but you can perhaps understand where their love of ABBA came from: the Swedish supergroup remain a firm favourite of many an adoring fan.
別の記事では、この「出会い」は、以下のように描かれている。
「スカンジナビアでは飛行機が欠航になったので一日中飲んでいたんだけど、シドは酒に弱いんだ」と、ジョン・ライドンはアイリッシュ・インディペンデント紙の最新インタビュー(有料)で回想している。「白い毛皮のコートを揃えて、まるでホッキョクグマみたいに見えたABBAを見ると、シドは駆け寄ってきて、『アバ!』って叫んだ。それから嘔吐したんだ」
「みんなびっくりしてたよ」と、ライドンはジャーナリストのパット・カーティに語っている。「僕たちは連行されたと思う。パトカーも来たしね」
"We’d been drinking all day in Scandinavia because flights were cancelled but Sid couldn’t handle alcohol," John Lydon recalls in a new [paywalled] interview with The Irish Independent. "As soon as he’d seen Abba, all in matching white fur coats, looking like polar bears, he went running over. ‘Abba!’ Then he vomited.
"They were horrified," the singer tells journalist Pat Carty. "I think we got carted off. There was a police wagon involved.”
(日本語記事)ジョン・ライドン、セックス・ピストルズとABBAが対面した時
みんなABBAが好きだった
1970年代当時、メインストリームのロックミュージシャンは、「ABBAなんて・・」という顔をしていた。
その最右翼が、セックス・ピストルズだった。
しかし実は、そのピストルズ含め、多くのロッカーが密かにABBAに影響を受けていた。
日本語版Wiki「ABBA」では、以下のようなファンを挙げている。
ABBAとはジャンルの異なる、ロック界の一部のミュージシャンの間でも人気があり、ファンであることを明かしている者もいる。
・レッド・ツェッペリン- ウェンブリー・アリーナのコンサートを鑑賞
・ロバート・プラント
・ジミー・ペイジ
・ザ・フー - ウェンブリー・アリーナのコンサートを鑑賞
・ピート・タウンゼント - 「SOS」は史上最高のポップ・ソングと発言
・キース・ムーン
・セックス・ピストルズ - 楽屋でアバの曲を繰り返し、かけていた。
・ジョン・ライドン (セックス・ピストルズ) - 「俺たちはABBAが大好きだった」
・グレン・マトロック (セックス・ピストルズ) - 同上
・アリス・クーパー
・マドンナ - アバの曲をサンプリング
・エルヴィス・コステロ
・リッチー・ブラックモア - 自宅でよく聴いているといい、自身のバンドであるレインボーのアルバムでも、影響を受けた曲を収録。
・U2 - 1992年のストックホルムでのコンサートでは、ビョルンとベニーを招き入れて一緒に「ダンシング・クイーン」を歌った。
上のリストに出てくるアーティストの多くは、まさに1970年代のメインストリームだった「ハードロック」のスターたちだ。
当時、彼らとABBAを結びつけて考える人は、ほとんどいなかったと思う。
素直にABBAが好きと言えるようになるまで、長い年月が必要だった人たちも多かったのだ。
他にも、こんなファンたちがいた。
故南アフリカ大統領ネルソン・マンデラ氏とニルヴァーナのフロントマン、カート・コバーン氏は、ABBAをお気に入りのアーティストとして挙げています。そして、このポップスターを崇拝する尊敬を集める政治家やグランジ・チャンピオンは、彼らだけではありません。フー・ファイターズのリーダーであり、元ニルヴァーナのドラマーでもあるデイヴ・グロール氏は、ABBAの2021年の再結成シングル「I Still Have Faith in You」を初めて聴いた時、「赤ん坊のように泣いた」と語り、いつでもバンドでドラムを演奏すると申し出ました。コリン・パウエル国務長官が亡くなった際には、葬儀で軍楽隊が「ダンシング・クイーン」を演奏しました。パウエル氏はABBAを深く愛し、スウェーデン外務大臣にひざまずいて「マンマ・ミーア!」を歌ったことさえあります。
1970年代初頭には使い捨てバンドと思われていたABBAですが、今やなくてはならない存在となっています。バンドは、セックス・ピストルズのようなライバルや、かつてはABBAよりも大きな存在になりそうなバンド(KC&ザ・サンシャイン・バンドは一時期、ABBAよりも人気が出そうに見えた)よりも長く存続しました。4人組は、巧みなマーケティング、ミュージックビデオの工夫、そしてアグネタとフリーダの魅力、スタイル、美しさ、そして輝かしい歌声といった確固たる基盤の上に、揺るぎない人気を築き上げました。しかし、その人気を支えたのは、何よりも音楽だったのです。
Late South African president Nelson Mandela and Nirvana frontman Kurt Cobain named ABBA as favorites. And they’re not the only revered statesmen and grunge champs who have adored the pop stars. When Foo Fighters leader (and ex-Nirvana drummer) Dave Grohl first heard ABBA’s 2021 reunion single “I Still Have Faith in You,” he “wept like a baby” and offered to play drums with the band anytime. When Secretary of State Colin Powell passed away, a military band performed “Dancing Queen” at his funeral. Powell loved ABBA so dearly he once got down on one knee and serenaded the foreign minister of Sweden with “Mamma Mia.”
Frequently dismissed as disposable in the early 1970s, ABBA has become essential. The band outlasted antagonists (such as the Sex Pistols) and would-be peers (at one point, KC and the Sunshine Band was poised to be bigger than ABBA). The foursome built their enduring popularity on solid pillars, including shrewd marketing; practically inventing the music video; and Agnetha and Frida’s charm, style, beauty, and golden voices. But it was mostly the music.
(前掲「LIFE」誌)
ABBA「SOS」と、ピストルズと、クラッシュと、ピンクレディー「S.O.S」
ここで、上で触れたABBAの「SOS」と、セックス・ピストルズの「プリティ・ヴェイカント」の動画を貼っておこう。ピストルズがどの部分をパクったか、自分で聴いて確かめてほしい。
そして、このピストルズの「プリティ・ヴェイカント」とリフが似ていると言われているのが、同じパンクの代表的バンド、クラッシュの「反アメリカ I'm So Bored with the USA」だ。これもあわせて並べてみる。
ABBA公式ビデオ「SOS」
1975年BBCライブでの「SOS」
セックス・ピストルズ「プリティ・ヴェイカント」
クラッシュ「反アメリカ I'm So Bored with the USA」
ついでにーー私はABBAの「SOS」を聴き、ピストルズの「プリティ・ヴェイカント」を聴いた後、日本のピンクレディーの「S.O.S」を思い出した。
タイトルがABBAの曲と同じなのはもちろん、「プリティ・ヴェイカント」のサビがピンクレディーの「S.O.S」に似ているからだ。
ピンクレディー「S.O.S」
しかし、時系列を確認すると、以下のとおりであり、ピンクレディーの作曲者・都倉俊一は、ABBAの曲にインスピレーションを受けたかもしれないが、ピストルズから影響を受けたことはあり得ない。
1975年4月 ABBA「SOS」収録アルバム発売
1976年11月 ピンクレディー「S.O.S」発売
1977年2月 SEX PISTOLS「Pretty Vacant」レコーディング
1977年3月 Crash「I'm So Bored with the USA」レコーディング
「SOS」の凄さ
「SOS」は、本当にABBAらしい最初の曲と言われる。当時、この曲に、多くのミュージシャンが深い衝撃を受けた。
フーのピート・タウンゼントの1982年のインタビューでの言葉が、英語版Wiki「SOS」で引用されている。
アメリカのラジオで「SOS」を聴いて、ABBAだと気づいたのを覚えています。でも、もう手遅れでした。もうすっかりその曲に魅了されていたんです。とにかく、素晴らしいサウンドだと思ったんです。ベースドラムも素晴らしくて、全体的に…
I remember hearing "S.O.S". on the radio in the States and realizing that it was Abba. But it was too late, because I was already transported by it. I just thought it was such a great sound, you know – great bass drum and the whole thing...
いま「SOS」を聴くと、それが理解できる。ハードロックとプログレで音楽界が混迷していたあの時代、「キャッチー」を煮詰めたようなシンプルで耳にこびりつく「SOS」のメロディは、ポップの原点回帰を思わせるものだったろう。
1960年代にフィル・スペクターの「ビー・マイ・ベイビー」が持ったような意味を、「SOS」は1970年代に持っていた。
ハードロックとプログレの1970年代は、やたら冗長な演奏が流行っていた。
ピストルズもクラッシュも、そのリフとともに、無駄のない「構成のシンプルさ」を「SOS」から学んだのだと思う。
だが、私の記憶では、ABBAの「SOS」は、日本ではそれほどの反響を呼んでいなかった。
ヒットはしたが(オリコン15位)、その楽曲の革新性に気づいた人は少なかったのではないか。
プロモーションの仕方も関係したと思うが、日本でABBA人気に火がついたのは、1976年の「ダンシング・クイーン」からだったと思う。欧米からは一拍、遅れていた。
アグネタの苦渋
また、当時多くの人に感銘を与えたのは、「SOS」でのアグネタの情感あふれる歌唱だろう。
それまでの「恋のウォータールー」のようなやや軽薄な楽曲とは、その点でも一線を画していた。
ポップだけど、子供向けではない、アダルトな感じがする。
当時アグネタは、すでにメンバーのビョルン・ウルヴァーズとのあいだに一子をもうけた母であった。(1973年に女児を出産)
アグネタは、母親なのに子供といられないストレスと、家族を顧みないビョルンへの不満をこの頃からつのらせており、それがやがてビョルンとの離婚、グループの解散に結びつく。
ご承知のとおり、この時期の心の傷を癒すために、アグネタは長い引退生活を送ることになる。
そういう背景を知って、この頃のアグネタの歌声を聴くと、その「情感」には私生活の切なさが混じっている気がしてくる。
のちの「ザ・ウィナー The Winner Take It All」(1980)は、アグネタの離婚時の苦渋がにじみ出た歌だとよく言われるが、「SOS」の時点でも、その苦渋を感じてしまうのである。
ABBA「The Winner Take It All」
<参考>
