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刑事コロンボの「最悪の犯人」 ジャック・キャシディが息子のデヴィッド・キャシディにくわえた「虐待」

(ヘッダー画像はiPetition「Preserve David Cassidy's Legacy」より)


刑事コロンボに登場した印象的な犯人役として、ジャック・キャシディは外せない。

コロンボに3回以上、犯人として登場した俳優は、ジャック・キャシディ、ロバート・カルプ、パトリック・マクグーハンの3人だ。


中でもジャック・キャシディは、若きスティーブン・スピルバーグが監督したことでも知られる「構想の死角」(1971)での犯人役が強烈だった。

この「構想の死角」は、日本で通常「第3話」とされるが、コロンボのシーズン1のエピソード1だ(前の2作「殺人処方箋」「死者の身代金」はパイロットだった)。シリーズとしての「コロンボ」の人気を決定づけた作品でもある。


「構想の死角」でのジャック・キャシディ


ジャック・キャシディは、他に「第三の終章」(1974)と「魔術師の幻想」(1976)で犯人を演じた。

ジャック・キャシディが演じる犯人は、一瞬で人を魅了する知性、優雅さとともに、ふてぶてしいまでの自信と、躊躇なく悪を実行する冷徹さをあわせ持つーーコロンボの敵として理想的だった。


このジャック・キャシディと、1970年代のティーンアイドル歌手だったデヴィッド・キャシディは、実の親子だった。

ジャックの息子、デヴィッド・キャシディは、1970年から75年まで放送された「パートリッジ・ファミリー」(日本では「すてきなパートリッジ」などの番組名で1971年から放送)で爆発的な人気を得て、「番組よりも成功した」と言われた。実際、一時期はプレスリー、ビートルズに次ぐティーンアイドルと言われるほどの人気を誇った。


パートリッジ・ファミリー最大のヒット曲「悲しき初恋 I Think I Love You」を番組中で歌うデヴィッド↓  日本でも大ヒットした。


ジャック・キャシディと、デヴィッド・キャシディがお茶の間で露出していたのは同時期、1970年代前半であり、二人が親子であることは隠し事でもなんでもない、有名な事実だった。

にもかかわらず、多くの人は、この二人が親子だということを、実感として感じていないのではなかろうか。


通常、同時期に親子が有名になれば、二人が一緒にテレビに出たり、雑誌に載ったりするだろう。

しかし、そんな画像を記憶している人は少ないはずだ。実際、今回ネットでも探したが、二人が一緒に写っている写真はごく少ない。


ジャック・キャシディは1976年に49歳で死に、デヴィッド・キャシディは2017年に67歳で死んだ。

デヴィッドの死後、この親子の奇妙な関係が、さまざまな形で暴かれている。


ごく簡単に言えば、ジャックは、息子のデヴィッドを虐待していた。

デヴィッドが小さな頃は、肉体的にも虐待していたようだが、精神的な虐待の効果のほうが永続的だった。



ジャック・キャシディは一種の性格破綻者で、アルコール依存症であるとともに、病的な浮気性で、女とも男とも関係した(ゲイとしては、作曲家のコール・ポーターの恋人だった)。

最初の結婚で生まれたのがデヴィッドだったが、ジャックは妻を裏切り続け、妻に暴力を振るった。

ジャックと最初の妻(女優のエヴリン・ワード)は、デヴィッドが5歳の頃に離婚した。デヴィッドは、小さい頃は母方の祖父母に育てられ、両親が離婚したことは7歳の頃に知ったらしい。


ジャック・キャシディは、俳優としては天才的で、人柄も表面上は非常に魅力的だった。だが、彼は「悪魔」をかかえていた、と多くの人が証言している。

まさに、「コロンボ」の犯人を地で行くような男だったのだ。

彼は晩年、裸で外出するなど、奇行も目立ち、「双極性障害」ーー広末涼子さんと同じーーと診断されたこともあった。


だが、息子のデヴィッドは、子供の頃からそんな父に憧れて、「歌える俳優」を目指した。ジャック・キャシディは、ブロードウェイ・ミュージカルで名を売ったスターだった。

舞台やスクリーンでの父ジャックのようになりたい、というのがデヴィッドの夢だったのだ。


デヴィッドは、高校を卒業するとすぐショービジネス界に入った。間もなく、ジャック・キャシディの2番目の妻、シャーリー・ジョーンズと一緒に、「パートリッジ・ファミリー」への出演が決まり、チャンスをつかむ。

「パートリッジ・ファミリー」は、擬似「家族バンド」の活動を描くドラマだが、母親役のシャーリーと息子役のデヴィッドは、血はつながっていないが実際の親子だった。

パートリッジ・ファミリー。デヴィッド(中央)と、育ての母のシャーリー(右端)。シャーリーももとはミュージカルスターで、「オクラホマ!」での共演でジャック・キャシディと知り合った。「パートリッジ・ファミリー」は家族バンドという設定だったが、実際に音楽ができたのはこの母子だけだった。


「パートリッジ・ファミリー」で大成功をおさめたデヴィッドだが、父のジャックは、その成功を喜ばなかった。

ジャックは、成功した俳優ではあったが、アイドル的な人気を得たことはない。

アイドル的な人気を得た息子に対して、ジャックは嫉妬していたらしい。


これ以上ないほどの成功を収めたデヴィッドなのに、ジャックは息子に冷たく、デヴィッドを一切、褒めなかった。

「父は、私のやることがすべて気に入らなかったようだ」とデヴィッドは語っている。

そればかりか、最初の妻にしたことを、2番目の妻のシャーリーにも繰り返し、これみよがしに浮気をしてシャーリーとデヴィッドを苦しめた。


シャーリーはそれでも夫を尊敬していたらしく、20年近く結婚生活に耐えたが、ついに限界がきて、「パートリッジ・ファミリー」が終了した1975年に離婚する。

そして、ジャックは、その翌年、1976年12月に、自らのタバコの不始末で生じた自宅の火事で焼死する。クリスマスシーズンのレストランから帰宅後、ソファでタバコを吸っているうちに眠ってしまったらしい。それは、コロンボ最後の出演作「魔術師の幻想」が放映された(2月)のと同じ年のことであった。

ジャック・キャシディが焼死した西ハリウッドのマンション(アメリカ式に言えばアパートメント)は現在もある(写真)。この最上階の4階に彼は住んでいた。その部屋は現在は完全にリノベされて綺麗だが、ジャックの幽霊が出ると言われている


ジャック・キャシディ火災死 - 検死結果:真実 vs. 神話


ジャックは遺書で、シャーリーとの間に出来た3人の子供には遺産を残したが、デヴィッドにだけ遺産を残さなかった。


父ジャックが死んだのは、デヴィッドが20代半ばとなり、「ティーンアイドル」から脱して、大人の歌手になろうと苦闘していた時期だった。

父の死は、デヴィッドを打ちのめし、彼はウツ状態になった。それは、「父に認められる」機会が、永久に失われたからでもあったはずだ。



「ティーンアイドル」の末路は、たいがい悲惨だが、デヴィッドのキャリアは、まだ恵まれていたほうかもしれない。

20歳の頃のような爆発的人気を得ることは2度となかったが、忠実なファンは生涯いて、ずっと歌手活動を続けることができた。


だが、その後半生は、父から遺伝したような「アルコール依存」との戦いの日々となった。

3度離婚し、5度破産した。飲酒運転等での逮捕も多かった。

デヴィッドのアルコール依存は有名で、中年以降、おおやけには「克服した」ことになっていたが、晩年に、それは嘘だったと告白している。


亡くなる直前には、彼は何を思ったのか、「父に捧げるアルバム」を作るプロジェクトを進めていた。

自分の人生を振り返るドキュメンタリーの制作も始めていた。


その途中で彼は倒れ、最後は「多臓器障害」で死亡する。実際には、長年の飲酒による肝臓と腎臓の障害であり、肝臓移植が検討されたが、デヴィッドの体力が持たないと判断されて移植は断念された。

彼は2017年11月21日、知人に囲まれて病院で亡くなった。最期の言葉は、「すごい時間の無駄だった So much wasted time.」であったと言われる。


息子デヴィッドの成功に嫉妬した、父ジャックは、「父に認められたい」というデヴィッドの思いを知りつつ、デヴィッドを褒めないことで「虐待」した。

デヴィッドは、名声を得たあとも、孤独と虚しさにさいなまれ続けた。

彼は、晩年に、また父との関係を思い出すことが多くなり、深酒を浴びて、寿命を縮めたのではないか。


もし、ジャックが、デヴィッドへの精神的虐待の効果は自分の死後も続く、と意識していたとしたら、これは見事な「計画的殺人」と言えなくもない。

以上のことを知って、「コロンボ」で犯人を演じるジャック・キャシディを見ると、その「悪魔性」の深さに、改めてゾッとできるはずである。



以下の動画を参照しました。

He Died 5 Years Ago, Now His Children Confirm the Rumors


Tragic Secrets of Father-Son Duo Jack & David Cassidy


David Cassidy: What Really Killed the Partridge Family Star


<おまけ>

死の4年前の2013年、デヴィッドが、元モンキーズのミッキー・ドレンツ、元ハーマンズ・ハーミッツのピーター・ヌーンと、「デイドリーム・ビリーバー」を歌うコンサート映像↓  


モンキーズ、ハーマンズ・ハーミッツ、パートリッジ・ファミリーは、いわゆる「バブルガム音楽」(ローティーンにもわかりやすいポップロック)のバンドだった。正統的なロック史では差別されているジャンルだ。

差別された者同士、というわけではないだろうが、彼らは、こんな同窓会的コンサートを、高齢になってもやっていた。ヌーンはこの映像で、ハーミッツ時代のヒット曲「朝からゴキゲン I'm into Something Good」(キャロル・キングの曲)も歌っている。

彼らの全盛期をリアルタイムで知る世代としては、複雑な思いがする映像だが、高齢の彼らが楽しそうに活動している姿は、私のような年寄りにはうれしい。

「デイドリーム・ビリーバー」の演奏は、オリジナルを歌ったモンキーズのデイビー・ジョーンズ(2012年死去)に捧げられている。デイビー・ジョーンズとデヴィッド・キャシディは、同じ「健全なティーンアイドル」として似ていて、後半生は同じような人生を送り、ほぼ同じ年齢(66歳と67歳)で亡くなった。

改めて、デヴィッド・キャシディのご冥福を祈ります。


<参考>


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