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帝銀事件と辺野古「抗議船」事件 左翼はいかにして「罪」から逃れるか

(ヘッダー画像は記事で扱った「ミステリー事件簿」のYouTube動画より)




「冤罪」の対義語は?


GoogleのAIに「冤罪」の対義語を聞くと、「有罪」だと答えます。

「有罪」は「無罪」の対義語だろう。私の考える「冤罪」の対義語とはちがう。


でも、どうも「冤罪」の対義語がないようなのです。

だから私が、さっき考えました。

「脱罪」はどうでしょう。


冤罪とは何か。昨日、自民党の鈴木貴子議員が、たまたまこんなポストをしていました。

冤罪は単なる誤判ではありません。
国家権力が無実の人の自由と人生を奪う、「国家の罪」です。


それでいうなら、私のいう「脱罪」とはーー


脱罪は単なる誤判ではありません。
左翼が、罪をごまかし、被害者の無念が晴らされる機会を奪う、「左翼の罪」です。


ーーということになります。


帝銀事件の苦い後味


こんなことを考えたのは、一つには辺野古の事件が相変わらずスッキリしないことと、もう一つは、以下のYouTube動画を見たからです。



【完全論破】帝銀事件「冤罪説」の嘘。天才画家・平沢貞通を追い詰めた決定的証拠【90分超大作】(ミステリー事件簿 2026/3/19)


帝銀事件は、戦後の冤罪事件の代名詞のように言われたことがありました。

しかしこの動画は、冤罪説は嘘であり、死刑囚・平沢貞通がそのまま真犯人だった、という説を展開しています。


平沢冤罪説は、松本清張の「小説・帝銀事件」で世間に強力に流布され、それが映画にもなり、再審請求運動という形で、主に左翼によって継続的に推し進められました。

左翼の言い分では、帝銀事件は旧日本軍731部隊関係者の犯行なのだが、国家権力にとってそれは都合が悪いので、平沢が犯人に仕立て上げられたのでした。


その左翼の「冤罪」運動によって、歴代の法務大臣は平沢への死刑執行を命じることができず、平沢は獄中で95歳まで生き、天寿をまっとうしました。


ここでは公平に、平沢が真犯人であったかどうか、それぞれ5割の確率としましょう。

平沢は5割の確率で、無罪でした。その場合は、「冤罪」です。


いっぽう、真犯人であった5割の確率の場合は、平沢は左翼のおかげでまんまと死刑を免れ、12人の無惨に殺された被害者と、その遺族の無念は晴らされませんでした。

それどころか、平沢は国家権力と闘うヒーローのように、一部マスコミから持ち上げられさえしました。


この後者の可能性、真犯人がまんまと極刑を逃れた事態に名前がないから、私は、「冤罪」の対義語として、「脱罪」という名前を与えたいのです。



私は、以前も書いたように、マスコミ現役時代に帝銀事件とかかわりました。

私がマスコミに入ったのは、ちょうど平沢貞通が亡くなった頃でした。

社会派作家・森川哲郎の長男、森川武彦さんは、貞通死後も再審請求できるように貞通の養子、平沢武彦となり、運動の中心になっていました。その彼に取材で接触しました。


私は、平沢貞通が犯人だろうと思いながら、平沢武彦さんと付き合っていました。

そして、善人にほかならない武彦さんが、左翼たちによる「冤罪」運動の中でボロボロとなり、亡くなっていったのを、つらい思いで眺めていました。

以前書いたnote記事から引用します。


彼は、帝銀事件死刑囚の平沢貞通の養子になって、帝銀事件を追及し続けたが、2013年、54歳で亡くなった。

その2年前くらいだったか、武彦氏が自殺をはかったと週刊誌の記事になった。

「武彦氏を励ます会」のようなものが中野で開かれた。私は、そこで会ったのが最後だ。

武彦氏は、

「帝銀事件の再審請求運動がうまくいかず、生活が苦しく、不肖の息子で母に申し訳なく・・」

と苦渋を語った。

その場で、当時のJR東日本労組の人(つまり革マル)がカンパを集めた。

私は、財布の中にあった一番大きなお札をカンパした。

その後、平沢氏は自宅で孤独死した。ニュースでそれを知った時は辛かった。


上のYouTube動画の説得力は、見る人によってまちまちでしょうが、いずれにせよそれを見たことで、私の「古傷」がまた痛みだしたのでした。


マスコミは「冤罪事件」が大好きです。

冤罪事件をあつかっていると、国家権力と対峙し、正義を貫く闘士のように感じられる。

しかし、それは左翼のーー今風にいうならーーナラティブ(言論戦略)に騙され、それに協力しているだけだ、という可能性に、いい加減、気づくべきではないでしょうか。


左翼の恨み節を拡声するマスコミ


冤罪は単なる誤判ではない、というのはそのとおりです。


単なる誤判は、それこそ無数にあるでしょう。

それが正されることに、なんの異論もない。

誤判を正そうとする運動一般には、もちろん敬意を払うべきです。


しかし、たとえば古代のソクラテス裁判や、イエスの処刑が、現在、冤罪事件として新聞が問題にしたのは聞いたことがない。


私が思うに、「冤罪事件」としてよく取り上げられ、映画や小説になるのは、左翼VS国家権力という文脈で、誤判の可能性が発生する場合です。


そのはしりは、ロシア革命直後に起きたサッコ=ヴァンゼッティ事件ではないでしょうか。

それについても、以前に書いたことがあります。


1917年のロシア革命直後、アメリカでは最初の大規模な赤狩りがおこなわれました。

その時、冤罪事件として有名なサッコ=ヴァンゼッティ事件が起きます。

イタリア移民でアナーキストのサッコとヴァンゼッティは1920年、マサチューセッツの強盗殺人事件犯人として捕まり、偏見による冤罪だと抗議活動が世界中で起こるなか、1927年に死刑になりました。

この事件は「死刑台のメロディ」(伊・仏・米合作映画 1971)の題材になりました。(冤罪であるかは今なお議論が続いています)


このサッコ=ヴァンゼッティ事件が一つの原型となり、国家権力が左翼を「不当に」弾圧する過程で、多くの誤判が発生し、無辜の人々が犠牲になったーーという物語を、左翼は語りがちです。

同時期に日本で起こった赤狩り、たとえば大杉栄や小林多喜二の殺害事件や、戦後の赤狩りでのローゼンバーグ事件やハリウッドでの弾圧は、繰り返し話題になり、映画やドラマの題材にもなります。

韓国でも、軍政時代の左翼弾圧が、今も映画の題材になっています。

そこで繰り返し発せられるのは、

「国家権力が左翼を弾圧するのは間違いだ。左翼以外も犠牲になる」

というメッセージです。


いっぽう、現にロシア革命が起こり、のちの昭和天皇が左翼に狙撃されるような事件(虎ノ門事件)が起こっているのだから、国家権力が左翼を弾圧したのは当然だ、という側面は、何となく言いにくい感じになります。


被害者の思いは無視される


帝銀事件の平沢貞通は、左翼ではありませんでしたが、戦後左翼が恨みを込めて糾弾したかった旧日本軍の「闇」を、人々に忘れさせないために、かっこうの題材なのでした。

(辺野古の事件との関連で言うと、その「闇」でひどい目にあったという思いで、左翼と一部キリスト教徒が一致するのです)

私の現役時代、マスコミでは、テレビでNHK、出版で講談社、新聞で朝日と毎日が、この帝銀事件を冤罪説の立場からよく描いていました。


しかし、左翼ではない、一般の人は、国家転覆などという左翼の企みに関係したくないし、思想戦にもかかわりたくない。

ただ、悪いことをした人間は、正当な国家権力が厳正に罰してほしい、と願っているだけです。


でも、その願いは、左翼に支配されたマスコミや司法や政治家によって、ねじ曲げられ、あるいは無視され、かなえられないことが多いのです。


たとえば、いわゆる「冤罪」については、再審という救済の道があります。

上に引用した自民党の鈴木貴子氏のポストも、その再審制度をもっと充実させよう、という趣旨でした。


しかし、では私のいう「脱罪」のほうは、救済の道はあるのでしょうか。

死刑判決が出ているのに、執行されないのは、被害者側や世間の目から見れば不当であり、「早く執行しろ」と促す制度はありえないのでしょうか。

平沢貞通のように、死刑執行されないまま天寿をまっとうした場合に、歴代の法務大臣の無責任を追及する手段は与えられないのでしょうか。


これも以前、指摘しましたが、現代の人権理論は生者優先だから、時がたつほど、殺された被害者の「人権」は忘れられ、生き残った加害者の「人権」ばかりが尊重される。

その論理から、死刑廃止論も出てきます。

今では、豪華ホテルのような待遇を要求する死刑囚もいるそうです。

それはおかしい、と言えないのでしょうか。


そういえば、1997年に連続殺人犯の永山則夫が処刑された時、出版界の先輩が「永山が国家権力に殺された!」と怒っていました。

尊敬していた先輩でしたが、私の中でちょっと点数が下がりました。

永山は国家の被害者だという左翼のナラティブにすっかり洗脳され、永山が殺した被害者のことはすっかり忘れられているようでした。


辺野古で繰り返される左翼の「冤罪」ナラティブ


辺野古の転覆事件でも、さっそく左翼の「ナラティブ」が使われ始めています。

辺野古事件を追及することは、修学旅行の萎縮や、「平和学習」への誹謗中傷につながる、という被害者ポジションです。


「委縮につながらない冷静な議論必要」 辺野古転覆事故で平和学習に誹謗中傷(沖縄テレビ)(沖縄ニュース 2026/3/26)


そこには、「冤罪事件」を語るときと同じ、

「左翼を弾圧すると、お前たちも痛い目にあうぞ」

という左翼のナラティブが繰り返されています。


普通の人々は、修学旅行や平和学習の名目で、子供たちを危険な目にあわせて、現に命を奪ったことに、怒っているだけです。

しかし左翼マスコミや左翼学者は、それを、悪辣な国家権力と同罪の「思想・言論弾圧」のように言いくるめようとする。


外国人ふくめた弱者・少数派だろうが、悪いことをすれば平等に罰せられるべきだと言えば、排外主義者だヘイトだ差別主義者だと言われるのも同じ。

安倍元首相暗殺犯をめぐっても、犯罪の実際の加害性を曖昧にする、広い意味での「冤罪」ナラティブが使われました。

こういう左翼の言論戦略に、もう騙されるべきではありません。


<参考>


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