【川崎市長選】神奈川新聞「偏向」問題で、伝説の編集者・今岡清さんが抗議!
伝説の編集者
1週間ほど前、川崎市長選挙での神奈川新聞の偏向に怒って、「マスコミの民主主義破壊がなぜ許される」という記事を書きました。
何人かの方にSNSでご紹介いただき、多くの方に読んでもらえたようで、たくさんの「スキ」をいただいて恐縮してるんですけどね。
その「スキ」を送ってくれた方の中に、今岡清さんの名前があって、驚きました。
今岡さんと言えば、私がいた出版界では大変有名な大先輩。早川書房のSFマガジン元編集長で、作家・栗本薫/中島梓の旦那さんだった人です。
そういう一般的な有名性だけでなく、中島梓の「ガン病棟のピーターラビット」「転移」は私が繰り返し読んでいる愛読書で、今岡清さんは、その登場人物でもあります。
中島梓の「転移」は、夏樹静子の「腰痛放浪記」、谷崎潤一郎の「高血圧症の思い出」と並んで、私の中で「3大闘病記」の一つとなっています。
「転移」の最後では、中島さんの膵臓がんとともに、旦那の今岡さんも胃がんが発見されて、二人で手術の傷だらけになる。で、今岡さんはサーバイブできたけど、中島さんは帰らぬ人となる・・。
そういう、私の中では歴史上の人物みたいな方なので、あんまり「スキ」の送り主のことなんかは書いてはいけないのかもしれないけど(それもプライバシーかもしれないので)、嬉しくて書いてしまいました。すみません。
そういう今岡さんですが、同じ業界とはいえ畑も年代も違い(私より10歳くらい上)、お会いしたことはありません。
中島/栗本さんとは、少しだけお会いしたことがある、という話は、以前書きました。その中でも、今岡さんについて少し触れています。
で、今岡さんは、今回の川崎市長選における神奈川新聞偏向問題に関して、すでにご自身のSNSでも、繰り返し発信されています。
神奈川新聞が川崎市長選の宮部龍彦候補を「著しい差別的言動があり、差別が拡散する恐れがあるため、異なる扱い」としてる。選挙では非常識、非倫理的な主張でも公平に紹介し有権者に判断を委ねるのが報道機関の役割だ。つまり神奈川新聞は報道機関ではないと宣言したわけか。
(2025/10/13 12:48)
神奈川新聞が川崎市長選の宮部龍彦候補を「著しい差別的言動があり、差別が拡散する恐れがあるため、異なる扱い」としてる。選挙では非常識、非倫理的な主張でも公平に紹介し有権者に判断を委ねるのが報道機関の役割だ。つまり神奈川新聞は報道機関ではないと宣言したわけか。https://t.co/ba3bArTTbe
— 今岡清 (@k_imaoka) October 13, 2025
候補者紹介から宮部龍彦候補をはずすばかりか「卑劣な差別扇動に批判」の見出し、記事にも「川崎市長選に立候補しているレイシスト」などと書く神奈川新聞の異常さを他の報道機関が問題視しなければ、SNSだけが言論の自由の守り手ということになるんだろう。
(2025/10/20 10:21)
候補者紹介から宮部龍彦候補をはずすばかりか「卑劣な差別扇動に批判」の見出し、記事にも「川崎市長選に立候補しているレイシスト」などと書く神奈川新聞の異常さを他の報道機関が問題視しなければ、SNSだけが言論の自由の守り手ということになるんだろう。 https://t.co/6L303TzRUk
— 今岡清 (@k_imaoka) October 20, 2025
私は、「スキ」をいただいた時、今岡さんがこの神奈川新聞の件にこだわるのは、「あの件」があったからだろう、とピンときました。
この「ピン」が間違っていたら、これまた失礼なんだけど、もう失礼ついでに書いちゃう。
栗本薫「グイン・サーガ」の差別語事件です。
これまた有名な事件だけど、若い人には知らない人が多いだろうと思うので、それを解説したいんですね。
グイン・サーガの差別語問題
ギネス非公認ながら「世界最長の小説」である「グイン・サーガ」は、1979年(昭和54年)の第1巻「豹頭の仮面」から始まりました。
しかし、その発売から2年後、第1巻の内容に「差別が含まれている」というクレームが入ります。
それについて、Wikipedia「グイン・サーガ」は、以下のように解説しています。
第1巻「豹頭の仮面」に登場する、全身を極めて伝染性の高い業病に冒されたヴァーノン伯爵は、当初、その業病を「癩病」、人物の通称を「癩伯爵」と記されていた。だが、その病の描写が、本来の「癩病(ハンセン病)」のものとは著しく異なり、人々の間にいまだ流布している病に対する誤解とそれに基づく差別をさらに助長しかねないものであるとして、全国ハンセン病患者協議会より、作者及び出版社に対する抗議があった。
その抗議に対し、作者及び出版社は全面的に謝罪し、1982年3月以降の重版分から、作中の病の描写はフィクションとしてのものであり、実際の病とはまったく異なる関係のないものであることなどを記した文を巻末に註記することで、協議会と和解した。
その後、作者及び出版社は該当する部分について自主的に全面改訂を行い、「癩病」→「黒死病」、「癩伯爵」→「黒伯爵」等と書き換えた改訂版を1983年1月に発行し、以前の版を絶版とした。
私は、まだ学生時代でしたが、この第1巻「豹頭の仮面」は、当然のごとく発売されてすぐ、飛びついて読みましたから、「癩伯爵」のくだりふくめて、よく覚えています。
当時は、栗本薫が1979年に「グイン・サーガ」刊行開始、半村良が1980年にムー大陸200年の歴史を物語る「太陽の世界」刊行開始し、どっちが「最長」になるか、とわれわれの胸を期待で熱くしたものでした。
しかし、グイン・サーガは、第1巻から差別問題で「水入り」というか、当時の私の主観を書けば、ケチがついた形になり、残念に思いました。
「癩伯爵」が出てくる世界観が好きでしたからね。
のちの1993年、筒井康隆が作品中の「てんかん」表現をめぐって差別を指摘され、断筆しましたが、その先駆けのような事件でした。
ただ、当時はそういう「差別語狩り」に熱心な時期でしたから、仕方ないな、とも思いました。
早川書房も、圧力に易々と屈して、オリジナルを絶版にしたんだろう。
栗本さんも、編集者(今岡さん)も、さぞ無念だったろうな、と思っていました。
ずーっとそう思っていたので、その時の無念が、今回の「神奈川新聞」の件でよみがえって、今岡さんに積極的な発言をさせているんだろう。
と、まあそう思ったわけです。
表現の自由と編集者
でも、あの差別語事件の詳しい経緯を、私は知っているわけではない。
真相はどうだったんだろう、今岡さんがそれを書き残してはいないか、と図書館で探したら、書き残していました。
2019年に出た『世界でいちばん不幸で、いちばん幸福な少女』(早川書房)の中で、あの差別語事件の内幕が書かれています。
40年ぶりの真実、というわけですね。

結論を言うと、これを読めば、早川も、栗本さんも、今岡さんも、決して「圧力に易々と屈した」わけではないことがわかります。
周囲からは、「易々と屈する」ことを勧められました。今岡さんは、こう書いています。
編集総務という部署の方のアドバイスは、ともかく逆らってはいけない、何を言われても謝って頭をさげていなさい、そうすれば頭の上をやがて通り過ぎていくのですから、というものでした。同様の問題に直面したことのある作家の方にもお話をうががったところ、とにかく謝っときゃいいのよ、やり過ごすだけね、ということでした。
(『世界でいちばん不幸で、いちばん幸福な少女』p52)
しかし、今岡さんは、適当に「やり過ごす」ことはできませんでした。
編集者として第一に考えるのは、作家を守ることですね。
それは、作家に具体的な「圧力」がおよぶこと(今岡さんが心配していたのは栗本さんの自宅まで抗議者が押し寄せること)を阻止して、なんとかその手前で解決しなければならない、ということ。
これは、たとえば週刊朝日の「しらみ事件」(右派政党への侮辱表現をめぐって1993年に野村秋介が朝日新聞社長室で抗議の自決)でも、作家の山藤章二を右翼の攻撃から守るため編集部が苦労したことでした。
しかし、「作家を守る」には、もう一つ意味があり、作家の表現の自由を守ることも重要なわけです。編集者や出版社が簡単に圧力に屈したら、その意味で作家を守ったことになりません。
そのはざまで、今岡さんが苦悩したのが、よくわかります。
結果としては、抗議者側(全国ハンセン氏病患者協会・全患協)の、全国紙に謝罪を出せ、という要求については退け、「作中の描写はフィクションであり、実際の病気とは異なる」という旨の注記を既刊本に入れることで和解しました。
しかし、栗本さんと今岡さんは、その和解条件をそのまま履行せず、上記のwikiにあったように、本文中の表現を変えた改訂版を出すことにしました。
それは、栗本さんと今岡さんが、ハンセン病患者と会い、病棟にも見学に行き、病気の実態について納得した上でなされたことでした。
抗議者側の要点は、ハンセン病は、感染性は低いにもかかわらず、小説中で、感染力が高いように描かれていることでした。
その偏見に、患者は苦しめられてきたわけですから、その点では抗議はもっともでした。
しかし、『世界でいちばん不幸で、いちばん幸福な少女』で書かれていますが、早川書房側の一人は、抗議に訪れた全患協の人が触れた茶碗に、触れなかったそうです。
同じようなことがエイズの時もあったのは、映画「フィラデルフィア」に出てきますね。
そういう偏見というのは、なかなか抜き難い。
最近も、Netflixでイエス・キリストの伝記ドラマ見てたら、例のハンセン病患者(と思われる人)をイエスが癒す場面で、人々が患者を避ける描写が出てきました。
それはともかく、今岡さんも、栗本さんも、圧力に簡単に屈したわけではありませんでした。
それを書き残したいというのが、今岡さんが『世界でいちばん不幸で、いちばん幸福な少女』を出した、大きな動機の一つだったのではないでしょうか。
栗本さんは、この経験を通じて、今岡さんを惚れ直します。その栗本さんのエッセーの文章も引用されています。
私は、全患協の人がK(今岡さん)を信頼しているのを見て本当に嬉しかったーー私は間違っていないのだと知って。私が一生を共にしようと決めた人間が、心高く正しい人間であると知ることができるのは、こんなすばらしいことはない。
(同上p57)
そのあとすぐ、今岡さんは「私は奥さんが書いているような立派な人間ではない」とフォローしていますが、この大変な経験について、評価する声を残したかったというのはあるのではないでしょうか。
なぜなら、私もそうでしたが、多くは「圧力に易々と屈した」と思っていただろうからです。
編集者のプライドから、断固として「そうでなはない!」ことを、歴史に残したかったんだと思います。
もっと真面目に論じろ
で、そういう体験を踏まえた今岡さんの抗議を、もっとみんな真剣に聞くべきだと思うんですね。
今回の件を、ネトウヨVSサヨク、みたいに矮小化されては困るわけです。
「表現の自由」の問題として、ちゃんと真面目に、論じてほしい。
とくに今岡さんが不満なのは、私もそうですけど、神奈川新聞の問題を、他の新聞も、また出版ふくめた他のマスコミも、産経新聞など一部を除いて、まったく問題にしようとしていないことだと思うんですね。
この問題は、政治的問題とはまた別で、表現の自由の根本的な問題です。
たとえば、宮部龍彦氏の見解が出版されるとしたら、その出版が妨害されても許されるのか、その妨害は正当化されるのか、正当化されるとすればその根拠とその範囲はどこまでか、といった問題なんです。
それを、マスコミも、学者も、ちゃんと論じろ、ということです。
それは、今岡さんのような、そして今岡さんほどではないけど私のようなのもふくめて、この問題でずーっと苦労してきたマスコミ人たちの遺言というか、次の世代への申し送り事項なんだから、ちゃんと聞いてほしいんだよね。
司法の問題
付け加えると、神奈川新聞の石橋記者なんかが、開き直ってあれだけの偏向ができるのは、彼の選挙妨害に対して、有罪判決を出した地裁判決を覆し、2023年に東京高裁が逆転無罪判決を出したことが大きいと思います。
神奈川新聞社の石橋学記者の発言で名誉を傷つけられたとして、保守系活動家の佐久間吾一氏が石橋記者に損害賠償を求めた訴訟の控訴審判決が4日、東京高裁(中村也寸志裁判長)であった。判決は、石橋記者の発言が名誉毀損(きそん)にあたるとして15万円の支払いを命じた一審・横浜地裁川崎支部判決を取り消し、佐久間氏の請求を棄却した。
(朝日 2023/10/4)
この判決は、1)批評の対象が政治活動をしており、2)その批評が政治活動に限定され人格攻撃でなければ、「名誉毀損ではない」と判断したわけです。
おそらく、この司法判断をもって、神奈川新聞は調子に乗っている。
いわば、司法「権力」を頼りにしてるんだと思う。
司法の問題はまた別で、別に論じなければいけませんが、今回の件でも、
宮部氏、名誉毀損で訴えてもいいレベルだろう
というSNSの声に対して、示現舎の三品純さんは、
これが革新系の候補者なら余裕で勝訴するでしょうけど、まず裁判所も神奈川新聞に手心を加えるでしょうね。
これが革新系の候補者なら余裕で勝訴するでしょうけど、まず裁判所も神奈川新聞に手心を加えるでしょうね。
— 三品純@ノンフィクションの筆アツ‼(年1配信) (@touketsudaimaou) October 19, 2025
と言っているのも、その背景があるからだと思います。
もちろん、司法の問題に気づいている方は、たくさんいると思います。
こうやって妨害することを「表現の自由」として認めた日本の司法(安倍総理へのヤジ問題)がどれだけ日本の民主主義を混乱させてるのかを多くの人に知ってもらいたい。
そして報道しないどころか、妨害されてる候補者を差別主義者扱いするマスコミ。
(本間奈々 2025/10/19 15:35)
ありがとうございます。
— 本間奈々 なの花会代表、和歌山ブルーリボンの会会長 (@nana0504) October 19, 2025
こうやって妨害することを「表現の自由」として認めた日本の司法(安倍総理へのヤジ問題)がどれだけ日本の民主主義を混乱させてるのかを多くの人に知ってもらいたい。
そして報道しないどころか、妨害されてる候補者を差別主義者扱いするマスコミ。#宮部龍彦 #川崎市長 https://t.co/LdZY1JPFrf
だから、法学者や、法哲学者も、神奈川新聞の問題を積極的に論じてほしい。
今日で退任するはずの石破首相の「80年所感」を、大喜びで祭り上げて、「新聞の使命は端的に言うと、 権力監視です」なんて言ってる元新聞記者がいたけど。
「メディアと権力が一体化することが一番怖い。誰も批判しなくなってしまう」。戦後80年の所感を発表時の石破首相の発言です。所感では「政府が誤った判断をせぬよう、歯止めの役割を果たすのが議会とメディアです」と。「新しい戦前」を「新しい戦中」にしないための首相としての最後の訴えだったと… pic.twitter.com/DPjHh3t2RF
— 東京新聞の菅沼さん (@uchisaiwaichoTK) October 14, 2025
お前ら、いい加減にしろよ、と。
宮部龍彦氏のどこが「権力」なんだ、と。
あー、もう、また腹が立って、血圧上がって鼻血出るから、今朝はここまで!
<参考>
