私の原点 「言論の自由」のもろさについて
昨日、神奈川新聞の偏向問題について書いてて、思い出したことがあった。
1970年代、部落解放同盟の糾弾戦術で、マスコミが震え上がっていた時代。
学校の教師たちも、とにかく子供たちに「差別語」を言わせたらいかん、もしそれが発覚したら糾弾集会で恐ろしい目にあう、とおびえていた。
案の上、子供が書いた文章に差別語が使われたということで、糾弾集会がおこなわれた。
それで、うちの中学の教頭のアタマがおかしくなった話は、以前書いたけども。
結局、子供たちは危ない、ということで、お前たちは勝手に喋ったり書いたりするな、という圧力がくわわった。
生徒会が編集し、毎年発行されていた生徒による「文集」が、発行停止になったりした。
僕はそれが悔しくてね。
それで、自分たちで勝手に文集を作り始めた。
学校で出していた文集はちゃんと活字だったけど、僕らのは手書きで、謄写版というやつ。当時はコピー機なんかなかったからね。
ガリ版とも言った。鉄筆みたいなのでガリガリ書く。器具を近所の人に借りて。いまでは廃れた印刷方法です。
それで、学校には無許可で、文集を校門のところでみんなに配った。
文集に書いてたのは、他愛のないことで、べつに学校批判ではなかったけれど。
でも、学校の先生には怒られた。当然。
それでも、3号くらいまでは出した。
いま考えると、あれが自分の原点みたいなもので。
あの時に出した文集の延長で、編集者になったり、新聞記者になったりした。
あれから50年以上たっても、こんな文章を書いて、まだ似たようなことをしている気がする。
あの時の、「自由にものが言えない」空気への反発で、50年生きてきた感じがするんだな、少しオーバーに、かっこよく言えば。
そして、あの時の大人たちへの怒りが、まだ消えないわけです。
自分は、もうとっくに大人になり、大人を通り過ぎて老人になっても、子供の時に感じた、あの怒りが消えない。
もちろん、かっこいいことばかりでなく、自分もプロの編集者や記者になれば、「ものが言えない」状態になるリアリティもわかった。
大人には大人の苦労がある。
でも、周りの人たちは、「権力が言論を弾圧する」とずっと言っていたけど、僕はちょっと違う意見を持っていた。
言論を弾圧しているのは自分自身だ、と。僕らの頃は「自主規制問題」と言ってたけど、そっちの方が重要だと思っていた。
それも、いまも変わらない。
自分の中の「子供」はずっと生きている。
いま退職して、また「怒れる子供」がよみがえっている感じです。
昨日、神奈川新聞のことを書きながら、それを感じていました。
<参考>
