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広告経済の前 #3: パソコン時代とスマホ時代の違い

現代の情報環境 (スマホ・SNS) の問題意識を共有するためには、それ以前の時代の経験についても共有が必要かも
この仮説に基づいて、このシリーズでは、昔を振り返っています。

1回目はパソコンやインターネットが普及していった時のことを紹介。

2回目 (前回) は、その当時、私が一体何にワクワクしていたのかを話しました。

3回目の今日は、スマホ時代になってそのワクワク感がどうなったのかを振り返ってみます。


誤解してほしくないこと

誤解のないように最初にお伝えしておきます。
私はスマホもSNSも素晴らしい発明だと思っています。

ただ、この技術には、 個人の生活をもっと豊かにできる余地が、まだたくさん残されている。

なぜそれが実現されないのか?
個人の選択だけでは変えられない、社会の仕組みの問題があるから。
現在の情報環境は、まさにその「社会としての設計」を見直すタイミングだと考えています。

このシリーズは、その必要性を一緒に考えていただくための試みです。


処理 (Processing)

スマホで何が変わったか?
アプリが動く場所が変わった。
基本的にはクラウドですべて動くようになった。

それ自体はいいことなんです!
非力なスマホではなく、潤沢なクラウドの資源を使って、サービス側でやれることを追求する。

ただ、気がつくと、徐々に、いつの間にか、個人の主導権がなくなっちゃったんです。

伝わりにくいですよね。

伝わりにくいんです。

昔は、全てはパソコン上で実行した。
パソコンは私が所有している。
アプリも私が所有している。
何か、上手くいかないことがあれば、
それを回避する手段を見つけられた。
自分でプログラムを書いてもいい。
あなたがプログラマーじゃなくても大丈夫。
同じ課題に直面したプログラマーが、フリーソフトなどで公開してくれる。
何かをパソコン上で処理している限り、あなたがすべてをコントロールできる。

つまり、プラットフォームがオープンだったんです。
少なくとも今よりは、ずーっと。

通信 (Communication)

メールがもたらした自由。
その本質は「非同期」です。
書き手は好きな時に書き、
読み手は好きな時に読む。

それに対して、現代のSNS上のコミュニケーションはどうなっているか?

一見「非同期」です。
でも実際は違う。
例えば LINE。
若い人々は、「既読」がついたら、数時間のうちに返信しないと失礼らしいです。

それって、ものすごく不自由です。

固定電話よりも!
だって、電話は、かけるのは自由だけど、取らない自由があった。
折り返す義務はときどき発生したけど、そもそもその必要があるときしか、折り返しを要求しない。

有限の時間、有限のアテンション。
受け手のそれを、送り手のために割くことを、送り手は安易に強要したりしなかったんです。

夜中や早朝に電話するのは非常識。
大した必要性もないのに、折り返すことを頼むのも非常識。

当たり前ですよね・・・
時間もアテンションも貴重なんですから。

メールが非同期をもたらし、みんな自由になった。
LINEなどのチャット系のサービスが広まったとき、その自由は、送信側だけに残り、受信側は電話よりも一方的な対応を強いられるようになった。

記憶 (Memory)

パソコンの時代、私の書いたもの、受けたメール、撮った写真、もらった写真、それらはすべて私のモノだった。

当たり前です。

ところが、LINEで共有した写真が、何カ月か立つと見られなくなった。
「アルバム」に入れるといいらしい。
せっせとアルバムに入れたが、それもあるときから制限がかかった。

Googleフォトも最初は「無制限」だった。
それがある日「容量制限あり」に変わった。
昔の約束は、なかったことになる。

彼らは、巧妙に「所有」の概念をあいまいにし、無かったことにしてくる。

スマホとSNSが個人にもたらしたもの

パソコン時代の、処理・通信・記憶のすべてを自分が所有しコントロールできるという「万能感」。
スマホ・SNS時代には、そのすべてが徐々に消えた。

何もコントロールできない。
タダだから仕方がない。
みんなが使っているから仕方がない。
つまり一言でいえば「無能感」。

もっと言うならば、
パソコンは個人が自身をエンパワーするための「道具」。
スマホはプラットフォーマーが利益最大化のために個人を囲い込む「端末」。

どうしても、そう感じてしまうのです。



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