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小説『架空の坂道』第5章 前編

 ・A.C.E. ~ボンちゃんの野望

 真田杏の朝は早い。

 3時には起きて身支度を整え、取り敢えず朝食である。朝食はカフェを営む父親直伝『餡バタートースト』だ。手っ取り早くカロリーを摂取しようという事だろう。
 アンダーメンバーに昇格したとはいえ最近まで練習生だった為、まだ終えていないカリキュラムが残っており、彼女には毎日朝からハードなレッスンが待っているのだ。

 愛宕山の寮を出ると、まだ空は深い青をたたえている。東の空には明けの明星… ルシファーが瞬いていた。『上田の空ほどでは無いけど、東京の空も捨てたモンじゃないな』杏はそんな事を考えながら夜明け前の日比谷通りを一人歩いて行く。








「ボンちゃんみたいな子が来たよ〜」ステージ上では例のお笑い芸人が「トコトコ」と小走りに現れた背の低い少女の紹介をしていた。

 こういうオーディションでは珍しい、いわゆる「メガネっ娘」である。その眼鏡やアカ抜けない髪型などを総じて「ボンちゃん」大木凡人を連想したのだろう。

 第4回架空坂◢⁴⁶公開オーディション「次代のエースはキミだ!」。第3回以降はこの様に公開オーディションとして、コレ自体がイベントと化していた。もちろん参加するには事前の書類審査があるので、ココに立っている数十人はソレだけで秀でた何かを持っている事になる。
 オーディションの応募要項には15歳から20歳までの年齢枠が有り、先ずは架空坂運営スタッフが経歴なども含めて写真と書類で審査を行い30名に絞る。そしてファン投票で最終的に今日集まった30名から10人が落とされ、練習生として20名が架空坂の仲間入りを果たすのだ。

『それにしても…』目の前の少女は地味だった。
 彼が事前に目を通していた応募写真も同じく。一枚は規定通り一人で映った写真。もう一枚は家族と映った微笑ましいモノではあったが… これまた地味だった。『虎Pはナンでこんな子を通したんやろか?』今日の出場者を一通り頭に入れる段階で彼はその事を疑問に感じていた。彼女にはいわゆる華(ハナ)が無い。選考スタッフは皆おなじ意見だったが、何故か大河がゴリ押しで選考枠内に真田杏を捻じ込んだ。そのため書類選考で残ったのは真田杏と更に他の運営ゴリ押し枠で入った子を含めて34名だった。

 そして不思議な事が起きる。元々ジュニアモデル活動をしていた応募者、既に大手事務所所属の応募者など計4名が辞退を申し出て来たのだ。これにより予定通り30名の書類選考枠が収まった。
『虎P… なんか裏でやったんとちゃうか?』などと邪推する程のタイミングだったが、コレは名誉のための言うと『間違いなく偶然』である。


 書類選考で見るのは先ずビジュアル。「多様性の時代」だの「生まれ持った容姿に優劣を付けるのは差別だ」とうるさい世の中になっている昨今。とはいえアイドルと言う商材に於いて容姿は最重要に近いセールスポイントである。ここを軽視してアイドルは成立しない。それを通過しているのだから大河は彼女に何かを感じたと言う事だろう。しかし彼にはそれを見いだせなかった。

『ワイに感じられない何かがあるって事か… それにしても、そもそもホンマに15歳以上って規定はクリアしてんのかいな?』と思ってしまう程に幼く見えるのは、おそらく素朴な外見のせいだろう。手元の資料では(来月で16歳)になる計算で記載されている。

「じゃあボンちゃん、自己紹介は出来るかな~?」疑問はさておき仕事である。自己紹介、得意なパフォーマンスの披露、最後に合格へのアピール。彼はこれらを流れで30人こなしていかねばならない。

「は~い! 長野県上田市から来ました真田杏15歳です。子供のころから児童合唱団で歌っていたので歌が得意です。なので歌います!」そういうと彼女はマイクを司会者に返す。

「え?」歌うのにマイクを返すという行為に彼は一瞬戸惑ったが、次の瞬間それも含めてパフォーマンスなのだと瞬時に理解した。


 少女は「すうっ」と大きく息を吸い静かに歌いだす。『架空の坂道』が、真田杏と名乗る少女の透明感あるアカペラで会場日響き渡った。
 ここはいつもアンダーメンバーの公演で使う東京プリンセスホテルの宴会場。観客はいつもの通り満席で、最終審査は主に彼らの票で行われる。持ち票は1人5票で、バラバラに5票を使っても良いし特定の気に入った子にオールインでもOK。

 そんな審査員でもある観客の誰もが初見で侮っていた少女の歌声は、参加者の中で圧倒的だった。最初の書類選考でルックスと同時に歌唱資料も添付されるので、そもそも下手ならこの場に立てない。解っていても思わず皆が聴き惚れた。声量からして肺活量もそうとうなモノなのだろう。司会者は『3分パフォーマンス』の規定を思わず忘れてフルコーラス聞き惚れてしまった。
『ま… まあ、歌は確かに上手いんだけど…』会場の誰もが同じ事を考えていた。目の肥えたアイドルファンにとって真田杏と言う少女は、奇しくも最初に司会者が『ボンちゃんみたいな子』と言った印象が全てだった。

「はい、ボン… 真田杏ちゃんでした~ 最後にPRどうぞ!」司会者に促され、真田杏は最後のアピールを叫ぶ。

「次代のエースはアタシだ~!」


まさかの宣言に一瞬会場は静まり返る。

「…その自信はどこから~ でもオジサンは応援してますよ! 真田杏ちゃんでした~」彼は必死にイジってシラけた雰囲気を笑いに変える。

『…いやいや、最後のはアカンて~ 君ならもっと「守ってあげたい」的な感情を抱かせるアピールせんと~💦 せっかく歌で掴んだのに最後ので反感買ったやろ』そう思いつつも笑顔で彼女を舞台袖へ誘導する。すると杏が突然振り返り尋ねる。

「ところで『ボンちゃん』てナンですか?」




「なあオ… 虎P、結局この子落ちてんじゃん」
 オーディション後の楽屋裏。大河とブル子は並んで座り会場の様子や待機室を映しているマルチモニターを眺めながめていた。ステージでは合格者20名が司会者にマイクを向けられ思い思いにひと言ずつ感謝の弁を述べている。

 大河は立ち上がるとテーブルに置かれた30名分の書類の中から真田杏のプロフィール票を取り上げた。「さて、どうかな? 一応22番目なんだから保留というか補欠って事だろ」そう言うと、しばらく眺めた後ソレをブル子に渡し「いまのウチによく読んで特徴を記憶しておけ」と言い放つ。

「特徴ねぇ…」プロフィールを眺めてもブル子には大河の感じる何かを、相変わらず見い出せ無いでいる。「まあ、歌は確かに上手かったけど…」

 大河達が眺めているモニターには合格者が喜んでいる画面と、ふるい落とされた10名が保護者に連れられ帰り支度をしている様子が映っていた。泣きじゃくり、あるいは激怒するのを保護者になだめられていたり、そんな様子は残酷にも会場にも同じ内容が放映されている。あえて裏側を見せている理由は、ファン投票の選考基準としてそういう場面での素行、立ち振る舞いも含まれているからだ。合格して終わりでは無く、表舞台に立つに相応しい人間性かを知るためでもある。

「とは言え、コレやってるって出場者は知ってるんだから普通ヘマしないよね」ブル子の独り言が物語る通り、コンプラ的な問題で隠しカメラは御法度である為、出場者には「そういう部分も見られていますよ」と事前に通達されている。従ってオーディション前には逆にそこを活用してくる者も居て、妙に他の出場者に気を遣う者や、これみよがしに楽屋裏で『練習』と称してパフォーマンスを披露する者までいた。

「どうだろうな? 案外そういうのが過剰過ぎて落とされた子もいるんじゃないか?」大河はブル子の持っている書類の一部分を指差した。「ナニ?」示されたプセールスポイントの部分には「ジュニアトライアスロン優勝」と書かれていた。

「他に書くこと無かったんじゃないの?」成人応募者の中には取得している資格を書く者もいるが、普通は芸能的な履歴を書く部分である。既に芸能歴があればソレを、無ければ空欄。

「ちょっと気になって大会事業部に問い合わせたんだが、彼女はアスロン歴無しでその大会に出場して優勝したらしい。参加した理由も『夏休みの自由研究』だったそうだ」大河はそう言いながら込み上げてくる笑いを押し殺していた。「オマエさんなら解ると思うが、小規模な子供の大会とは言えスポーツの大会でナンバーワンになるのは簡単な事じゃない」
「だから?」スポーツとアイドルは関係ないでしょと言わんばかりにブル子は怪訝そうに尋ねる。

「なんでもそうだが、ナンバーワンになった成功体験はパフォーマンスを発揮する原動力になる。『一芸に秀でた者は…』てヤツさ」

 『一芸に秀でた者は多芸に通ず』という諺がある。
一つのことを極めると、その過程で得た本質的な理解やコツが応用できるため、他の多くの分野でも応用が効き、上達しやすくなるという意味で、色々手を出すよりも、先ず一つの分野に打ち込み突き詰めることが、結果的に幅広い才能を開花させる土台になるという教えでもある。


 泣いている父親を杏と母親がなだめている微笑ましい光景がモニターに映っている。「ふつう逆っしょ」ブル子は呟きながら、両親と帰り支度をしながら何やら会話をしている様子の真田杏を眺めていた。「結局落ちてるし」そう言いながらブル子は何故か少し笑っている。

「さて、どうかな…」

 帰りかけていた杏は、大河の独り言が聞こえたかの様にフと立ち止まり、カメラに振り返ると人差し指を天井に向ける。その唇は「私がエース」と言っている様に見えた。




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