小説『架空の坂道』第5章 中編
・日比谷通り午前4時、潮騒がきこえた。
アタシ真田杏が架空坂の寮に入って半年が経ちます…
落選したオーディションの日、お父さんは泣いていたけどアタシは何故か合格している気がしていました。
オーディションから一週間後。詳細は知らないのですが、架空坂オーディションに合格していた子達の何人かが「失格」になった事を学校で友達から聞かされた時も、家に帰って「補欠だけど繰り上がり合格だ~!」と、またまた涙を流して大喜びのお父さんを見た時も、アタシは特になんとも思わなかったです。なぜなら最初から架空坂には絶対に入れると思っていたので…
そんな事よりレッスンやら何やらで、上田から通うのはとても無理そう(なんと練習生のレッスンは朝5時から!)とゆう話から事務所が用意している寮に住む事になり、入学したばかりの高校も事務所指定の高校に転校するみたいです。とにかくお母さんと一緒にバタバタと準備を始めました。お父さんはお店に貼られた架空坂のポスター(ボブ子様が超センターバージョン)を眺めながら、嬉しそうに毎日ニヤニヤしています。

そもそも架空坂のオーディションはお父さんが勝手に応募した事ですが、それでお母さんにこっぴどく叱られてお父さんはしばらくシュンとしていました。アタシも最初はちょっと悩んだのですが、元々地元の合唱団に入っていたくらい歌は好きだし、ネットで見る架空坂のステージもみんな楽しそうで衣装も可愛いし、興味が出て色々と頑張る事に決めてからはお母さんも積極的に協力してくれる様になりました。
ちなみに、お父さんの野望はアタシを利用して『生ボブ子様』に会う事らしい(※1)のですが、アタシとお母さんの夢は当然、架空坂のエース。
すぐには無理だけど高校在学中に絶対実現させます。
そんなこんなでアタシ達4期生が加入して、レッスンも始まった頃… 同期が何故かバタバタと辞めていきました。理由は人それぞれだと思いますが、あれだけ居たライバルも今ではアタシ含め8人しか残っていません。ファンからアタシ達は「死の4期生」なんてゆう不名誉な呼ばれ方をされて「ムキー!」て感じ。
レッスンは基本的にボイトレとダンスですが、楽器や演技なんかも教えて貰えるのでアタシはギターを習っています。
ギターの講師はあのギター姐さんで、架空坂の忙しい活動の中ワザワザ時間を割いて希望者にギターを教えてくれています。ちなみにピアノ希望なら講師は虎Pの娘さんで、演技の場合はブル子先輩です。学校の授業についていけない子はボブ子様がスパルタ指導してくれますが、幸いアタシは今のトコロお世話になっていません。
ギター姐さんはアタシのお姉ちゃんと同い歳。でも研究者として北海道に行ったきりのお姉ちゃんより全然ホントのお姉ちゃんみたいです。とても優しくて美人さんで大好き!

寮は2人1部屋が割り当てられていて、同室の大豪院ユリコちゃんとアタシはタメ歳でとても仲良しです。ユリちゃんは実家が都内なのでぜんぜん通えるのに『早起きが苦手でレッスン場が近いから』って理由だけで寮生活をしている寝ぼすけさん。なので、いつもアタシが起こしてあげています。

一応レッスンは土・日曜日、祝日がお休みとなっています(架空坂アンダーメンバーは定期公演もあるので)。更に学校も無い日(土曜は隔週休校)なら連休で完全休養日になります。
休日はユリちゃんと一緒に買い物や近所をお散歩。寮では食事も出るし、日用品は近くにコンビニがあるので別に買い物の必要は無いけど、虎ノ門ヒルズが近いので時間がある時は何となく2人でブラブラ見て回ります。アタシはいつも上田のアリオと比べて高い値段に驚いてしまい結局何も買えません。
とにかくいま住んでいる寮は、ちょっと歩けば東京タワーや東京駅にだって行ける夢の様な場所。東京プリンセスホテルや日比谷の野音にも近いので、時々「勉強」と言う名のレッスン生特権を使い、最前列で架空坂のライブを眺めながらユリちゃんと「いつかレギュラーのステージに立とうね」って励ましあってます。

上京したての頃、皇居の近くを2人で歩いている時に「昔は江戸城のお堀の近くまで海になっていて、港もあったのよ」とユリちゃんが東京豆知識を披露してくれて、東京駅やいつも通っているレッスン場が海の下だったのかと思うと驚きました。
アタシも東京出身者(※2)だけどそうゆう事は全然知らないので、ユリちゃんが時々教えてくれる東京豆知識はとても勉強になります。
レッスン場は新橋駅の近くにあって、毎朝日比谷通りとゆう大きな通りを横切ってそこまで通っています。寮からレッスン場に向かうのに使っている近道で郵便局前の横断歩道を通るのですが、そこは押しボタン式なので必ず赤信号。
信号待ちの間は時々目を閉じて、ユリちゃんから教わった海の事を想像しながら2人で耳を澄ませます…
歩行者用信号機が「ピッポ!ピッポ!」と鳴り始めたら、そこからは猛ダッシュ! とりあえず遅刻は一度もありません。
自転車で通えばもっと楽かもと2人で相談して「お買い物の時は自転車があれば便利なのにな~」と虎Pに直訴したら「怪我をしない様に通いの連中も含めて、架空坂メンバーには自転車禁止令を出している」とか言うので仕方ありませんね。愛車 Bianchi ちゃんを実家から呼び寄せる日はまだまだ遠そうです…
でもブル子先輩はバイク乗っているなんてズルい!

朝5時から7時までのレッスンを受けてから、電車に乗って学校に通っていますが、レッスン後はお腹が空くのでアタシもユリちゃんも必ず新橋駅前の吉牛でオヤツ(朝食は寮で食べているのでコレは断じてオヤツなのです!)を食べてから電車に乗ります。ここの支払いは虎PのツケでOKらしいので2人とも遠慮なく特盛で食べてます。
もちろん学校帰りにもレッスンがあって、レッスン終わりにも吉牛に寄り道したくなりますが夜はガマン! 寮母さんが作る晩ゴハン目指して寮まで2人で猛ダッシュの日々! て、なんかいつも走ってる気がしますね…
悲しいお知らせです。
先月、早朝のレッスンが辛くて通いの子達4人が辞めていきました。寮生の子達2人もレッスンを休みがちになり結局退所。なので同期は遂にアタシとユリちゃんだけになってしまいました。
ある日の休日、ユリちゃんは用事があって実家に帰っていたので特にやる事も無いし、久しぶりに寝だめしておこうと朝からウトウトしていたら、床の上でガッツリ寝落ちしちゃったらしく、目が覚めたら何故か病院のベッド上。
「だってボンちゃんが白目向いて倒れてたから! てっきりボンちゃん死んじゃったのかと…」とゆう事で、犯人はユリちゃんでした。救急車まで呼んじゃったらしくて、病院には虎Pやボブ子先輩まで駆けつけて大騒ぎ。虎Pがウチの両親と電話をして『ああ、たぶんソレ寝落ちしてます』と教えられ、ようやく誤解がとけたみたい。
まったくユリちゃんたらとんだドジっ子さんです。疲れてたら白目向いて寝るのくらい当たり前の事なのに。大豪院て名前でお解りでしょうが、ユリちゃんはお嬢様育ちで、しかも一人っ子なので、意外とそういう世間の常識からズレている(※3)所も多くて可愛いのです。
そんなユリちゃんが退所する事になりました。先日の実家に用事とゆうのはその事だったみたいです。元々は「高校生の間だけ」って約束で架空坂に入る許可を貰っていたみたいですがお父さんが経営しているミンメイショボウの海外支社がどうとかで予定が前倒しになったとか何とか…
アタシには難しくてよくわかりません。
学校もレッスンもお休みの土曜日。寮にある荷物を引き払う為に朝からユリちゃんのお父さんが来ています。以前から『大きい』とは聞いていたけど実際に会うお父さんは、10メートルくらいあるんじゃないかと思うくらいゴジラみたいに大きくて、お札の人みたいな髭男爵。可愛いユリちゃんと全然似てないので本当にビックリしました。ヒゲゴジラは荷物もあっとゆうまに運んでトラックに積み込んでいきます。
ユリちゃんはヒゲゴジラの仕事の都合で外国(なんか難しい名前なので憶えていません)に行くらしいですが、どうせ寮生活なのでユリちゃんだけ残ればいいと思いませんか? それを「目の届かない所に一人娘を置いておけないのである!」とゆうヒゲゴジラの我儘で強引に退所させられました。ヒドイ!
しかも、そのままユリちゃんを連れて帰ろうとするのです。
「今夜だけは」と二人でお願いしましたが頑固オヤジなのでゆう事を聞きません。仕方ないので、怖かったけど強引に寮の外に押し出してやりました。
ヒゲゴジラは尻餅をついて驚いていましたが「吾輩を押し出すとはアッパレな娘である! 仕方ない、朝には迎えに来るのである!」と変な捨てゼリフを吐いてトラックで帰っていくのを、二人であっかんべしてお見送りです。ザマー見ろヒゲゴジラ!
その日は2人一緒のベッド。架空坂で苦労したお話や、一緒に見たステージのお話、ふたりの子供の頃のお話。とにかく色々なお話を夜遅くまでしました。
「ボブ子様とブル子先輩、2TOPの座を奪ってやろうとゆうアタシ達ふたりの野望は、きっといつかアタシがセンター取る事で果たすから!」
そう誓って、今日は白目を剥かずに寝落ちしました。

気が付けば枕元に置いたアタシのメガネを朝陽が照らしていて、虹の様なプリズムがシーツに七色の光を作っています。寝ぼすけだった筈のユリちゃんはもう居ませんでした…
こんな時だけ先に起きるなんてズルいです…
あれから更にレッスンを頑張って、ユリちゃんが居なくなった翌月には、ようやくアンダーのステージに立ち、それからしばらくして体調不良でチョコチョコ休むボブ子先輩の穴埋めで何故かレギュラーのステージに混ぜて貰える様になりました。
でもまだレギュラーと補欠を行ったり来たりって感じ。それでもステージで歌えるのは凄く嬉しいし楽しいのですが、その度に「ユリちゃんが居ればなぁ…」「あの時ヒゲゴジラが1ヶ月だけ待ってくれていたらなぁ…」と悔しくてたまりません。

今日は地方遠征ステージなのでまだ薄暗い早朝に寮を出ます。
「バスの中で食べなさい」と寮母さんがオニギリをたくさん包んでくれました。新橋駅に集合なのでいつも通りに歩いて、郵便局前の交差点で信号待ちも… いつも通り。東の空は少しだけ白く明るく、毎朝ユリちゃんと見ていた日比谷通りを横切る光景が目の前に広がっています。
今日のステージの事を先日メールで報告したら、ユリちゃんから「一時帰国するのでステージを観に行けるよ」と返信がありました。
だから今日は嬉しくて… でも少し緊張もしています。
「落ち着けアタシ」と自分に言い聞かせながら目を閉じて深呼吸。
早朝のクルマ通りも少ない、とても静かな日比谷通り午前4時。今日も潮騒の音が遠くからきこえた気がしました…

※1:のちに「星を越えて」プロモーション撮影の上田市ロケで父の野望が実現しています。
※2:母親の実家が江戸川区小岩にあり、そこに出産後しばらく居た(出産後1週間程)ので彼女は「自分は東京出身者だ」と言い張っています。当然記憶はありません。
※3:当たり前ですが、常識外れなのは逆にボンちゃんの方です。
