見出し画像

葦原の黄昏、天津の暁 12

第三部:黄昏の章
第十一章:猛る神の初陣(タケミナカタ)

 戦の前夜、タケミナカタの陣屋は、松明の熱気と、男たちの荒々しい気勢に満ちていた。
 「聞けい、出雲のつわものども!」
 タケミナカタは、巨大な杯に満たされた濁り酒を高々と掲げ、集まった屈強な兵たちの顔を見渡した。皆、彼が幼い頃から、共に野山を駆け、武芸を競い合ってきた、気心の知れた者たちばかりだ。その瞳には、恐怖の色など微塵もない。ただ、明日、この国の土を、己の血で守るという、武人としての喜びの光が、らんらんと輝いていた。
 「ヤマトの者どもが、我らを侮り、土足で国境を越えてきおった! 奴らは鉄の鎧を誇るというが、我らの王、大国主命は、スサノオに認められた方。 我らが振るうは、ただの剣にあらず! 荒ぶる神、出雲の神々の、怒りの雷(いかづち)そのものよ!」
 「「「オオオォォォッ!!」」」
 地鳴りのような雄叫びが、陣屋を揺るがす。タケミナカタは、杯の酒を一気に呷(あお)ると、それを、地面に叩きつけて割り、吼えた。
 「明日は、思う存分、暴れてくれるわ! 我らの神々の名を、ヤマトの者どもの骨の髄まで、刻み込んでやれ!」
 そうだ、これでいいのだ。父上やコトシロヌシは、難しく考えすぎる。敵は、斬る。国は、守る。武人の道とは、それほど単純で、明快なもの。タケミナカタは、全身に漲る、戦への高揚感に、打ち震えていた。

 夜が明け、東の空が、血の色に染まる頃。
タケミナカタは、丘の上に立ち、眼下に広がる光景を、その目に焼き付けていた。
 いた。
 平野を埋め尽くさんばかりの、黒々とした、鉄の川。ヤマトの軍勢であった。その数は、確かに多い。だが、タケミナカタの心は、少しも揺らがなかった。むしろ、狩りの獲物を見つけた猟師のように、その魂が、歓喜に打ち震えるのを、感じていた。
 「全軍、突撃!」
 彼の号令一下、丘の上の出雲軍は、まるで堰を切った濁流のように、雄叫びを上げながら、ヤマトの陣へと、雪崩れ込んでいった。
 戦いの序盤は、まさしく、出雲の独壇場であった。
 地の利を知り尽くしたタケミナカタの兵たちは、森に潜み、谷に隠れ、ヤマトの先鋒を、巧みに翻弄する。個々の武勇では、出雲の兵が、ヤマトのそれを遥かに上回っていた。タケミナカタ自身も、その巨体と、比類なき剣の技で、敵兵を、まるで枯れ木のように、次々と薙ぎ払っていく。
やった。やれるぞ。
 勝利を、彼は確信した。
 だが、その確信は、陽が中天に昇る頃には、もろくも崩れ去っていた。
 ヤマト軍の後方から、静かに、そして、不気味なほど整然と、本隊が現れたのだ。先頭に立つのは、騎馬に乗った、黒い鎧の老将。フツヌシ。
 彼が率いる兵団は、これまでの先鋒とは、全く質が違った。彼らは、個として戦わない。まるで、巨大な、一つの生き物のように、陣形を組み、動くのだ。前線の兵が疲弊すれば、後方の兵が、寸分の乱れもなく、その位置を交代する。弓兵たちは、一斉に矢を放ち、その矢の雨は、出雲の兵たちの頭上に、的確に降り注いだ。
 タケミナカタの兵たちが、一人、また一人と、まるで的を射られるかのように、倒れていく。それまで頼りにしてきた、個人の武勇が、その組織的な「戦の仕組み」の前に、赤子のように、無力化されていく。
 なぜだ。なぜ、崩れぬ。
 焦りが、タケミナカタの心を支配し始めた。彼の誇り高い戦は、いつの間にか、ただの、無慈悲な殺戮の場へと、その姿を変えていた。
 「フツヌシィィッ!」
 怒りに我を忘れ、タケミナカタは、敵の将の首、ただ一つを目指して、敵陣の奥深くへと、単騎、斬り込んでいった。
 だが、それこそが、老将フツヌシの、冷徹な罠であった。
 タケミナカタが、我に返った時、彼の周囲には、もはや、味方の姿はなかった。ただ、彼を取り囲む、ヤマトの、無数の、鉄の矛先だけが、ぎらりと光っていた。
 しまった…!
 ヒュッ、と、空気を切り裂く、鋭い音。
 次の瞬間、タケミナカタの左肩を、これまで感じたことのない、灼けつくような激痛が、貫いた。
 見れば、一本の矢が、彼の誇る短甲(たんこう)の隙間を、正確に射抜き、深く、突き刺さっていた。
 「ぐ…あ…っ!」
 左腕から、力が、ごっそりと抜け落ちる。愛用の大剣が、手から滑り落ち、地面に、乾いた音を立てて転がった。
 彼は、その場に、膝をついた。
 顔を上げれば、見えるのは、次々と倒れていく、自らの兵たちの姿。天に翻っていた、出雲の旗が、力なく、引き倒される様。
 そして、丘の上、馬に乗ったまま、まるで、盤上の駒の動きを確かめるかのように、こちらを、冷ややかに見下ろす、フツヌシの、影のような姿。
 戦は、終わった。
 出雲の武は、今、ここで、完全に、敗れたのだ。
 父上…申し訳…ありませぬ…。
 遠のいていく意識の中、タケミナカタは、ただ、それだけを思った。そして、残された、最後の力を振り絞り、天に向かって、吼えた。
 それは、勝利を求める雄叫びではない。
 ただ、己の無力さと、失われた者たちへの、慟哭の叫びであった。
 その声は、ヤマトの兵たちの、冷徹な鬨の声の波に、虚しく、掻き消されていった。

第十二章へ→
 
←目次・序章へ
 
#小説 #歴史小説 #ファンタジー小説部門 #日本神話 #古事記 #国譲り #出雲 #文芸 #物語 #読書好きな人と繋がりたい #悲劇 #父と子 #切ない #古代史 #古墳時代 #神々の戦い #葦原の黄昏天津の暁 #創作 #創作大賞2026 #note小説

いいなと思ったら応援しよう!

金森努@マーケティング・研修講師/コンサルタント ありがとうございます! これからも頑張ります。