「あとで考えよう」と思っていた読書は、全部忘れていた|40歳の気づき
昨日のnoteで「若い頃にした読書の内容は、ほぼ忘れてしまっていた」と書いた。完全に黒歴史だ。数十万は投資したと思う。セミナーも含めると100万以上かもしれない。
「本を読んでも覚えていない現象って、どうして起こるの?」と考え続けていたら、ひとつの結論に至った。
本で学んだことが自分のものになっていないから
に尽きるのではないか。
書いてしまうとあたりまえすぎるのだが。これ書く意味あるのかな。急に不安になってきた。でも書く。
そもそも、人からのアドバイスが響くのは、自分が困っていて解決したいと思っているときなのではないだろうか。
たいして困っていないのに、本を読んで「なるほど、大事そうだ」と感じたくらいでは記憶に残らないのも無理はない。
だからこそ「これはつまりどういうことなのか」と「自分の生活にどう活かせるのか」という抽象化・転用のステップを踏むことが大事なのだろう。
読んだだけで終わっている読書のことを仕事っぽく表現するなら、ネクストアクションを決めていない会議なのではないか。
読んで終わりの読書というのは、
会議で「こういう現象がありますよね」「こうするといいかもですね」と話しただけで、じゃあ次から自分はどうするのかを決めないまま終わる感じ。
そんな会議に意味あるのか?ないだろ。
ということは読んだだけで終わっている読書にも意味はないってことになる。うわ、書いていて泣きそう。自分をタコ殴りにしている気分だ。
なぜ読んで終わりになりやすいのか。
それはたぶん…絶対に身につけるぞと思っていないからなんじゃないかな。私の場合はそんな気がする。
なにかが役に立てばいいな~程度で読んでいる。気になるから読んでおこう、いま話題だから読んでおこうくらいのノリで、なんとなく摂取しているだけ。興味本位の読書だと気合いが半減するのかも。
でも思い返してみると、明確な困りごとがあって読んだ本や、必要にかられて読んだ本の内容は、わりと覚えている。
「この本を読み終わった後に最低10個、本で学んだことを実践しなかったら、明日急に刺される」とかいう条件があったら、絶対に学ぶはずだ。
どのくらい必死に学ぼうとしているか、自分事として考えているかどうがが定着に大きく関わるのだろう。
学んだ内容を自分の生活に活かす動機づけと工夫が必要なのだ。
いちばん大事な「活用のしかた」を考えないまま読書を終えていたから、内容を忘れてしまっていたのだと思う。
人から聞いただけの言葉は、そのままでは自分のものにならない。自分で強制的に、自分の生活に置き換えて考えてみるという工程が必要なのだ。
過去の私へひとことアドバイスするなら、
「あとで読み返してじっくり考えよう!と思ってるかもしれないけど、そんな日は永遠に来ない。いまこの瞬間に、学んだ内容をどう活かすかを考えなさい」
だな。
毎日note、233日目。
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